Last Up Date 2002.01.02          

日記を物語る 2001年12月INDEXホームに戻る@Aoyamagakuin 2001.11.30             


12月30日(日曜日)  

簡易大掃除を決行してから、この夏結婚したばかりの清瀬の友人宅に寄り、その後所沢インターへ。軽井沢−佐久平インター間がちょっと混んでいました。

12月31日(月曜日)  

年末恒例の私的ニュースですが、思い浮かばないんですよね。九月に車上狙いに合うも、親切な方に拾われて警察に届けられ、盗難された物がすべてもどってきたことくらいでしょうか。今年後半は原稿をたくさん書いたので、来年は、一気に開花と行きましょう。


12月01日(土曜日)  

『狭衣物語』勉強。この『法華経』の連続引用はなんだ!!。先日、『大蔵経』のCD−ROMを貰っておいて良かったと思いました。

早朝、母から弟の家に子供が出来たことと父の心臓の手術の話。その昔、心筋梗塞になったところが弱っているのだそう。今年の暮れも年末はどこへも行かず帰るほかはなさそうです。

12月02日(日曜日)  

午前中は明治の諸君の漱石のレポート約200本を読む。『それから』の物語の「その後」を知りたい、多数。『門』の存在を知らないらしい(涙)。夏目“瀬”石と書いたもの三名(怒りを通り越す)。「昔の法学部生はサルトルとボーボーワールが必読書でしたよ」と説教したけれども、これはオヤジ(39歳)の説教くらいにしか届かなかったのか。もちろん分析的で高度な批評性の高いものもありました。念のため。午後は『狭衣物語』と紫式部の勉強と原稿の礎稿作成。頑張っています。

12月03日(月曜日)  

明治大学。「国語」は『文化防衛論』、「文化概念としての天皇」。あまりにもタイミングが悪すぎる(良すぎた)世相ではあります。「論文演習」は情報実習室で「時事問題」に関してネットで探して600字で要約、1000字で批評していただきます。来週以降の時間は添削に費やすことになります。

夜は有楽町の東京会館で、第23回・角川源義賞贈呈式。藤井貞和さんの《受賞のことば》を全文引用して、みなさんとこの喜びを分かち合いたいと思います。「二十世紀が、『源氏物語』の研究を、ある意味で飛躍的に拡大させたことは、十三世紀、十八世紀という時代についで、『三度目の正直』という感があるのではないでしょうか。それのまさに実らんとする六十年代という季節に、幸運にも私は際会して、それより三十年という歳月を、諸先生、諸先輩の謦咳にふれ、時代の息吹である、論攷のかずかずを吸収して、『物語とは何か』『文学とは』という課題をかかげ、研究および活動に参加できたことは、望外の喜びです。研究革命は、同時世界的に起きた現象であって、日本社会が世界へ深く参入したこととして、とりわけ物語研究は今後に記憶されつづけると思います。二〇〇一年という折り目を、このように記念することができまして、苦労を分かち合った友人たちと、いまは祝いたいとおもいます」

二次会は藤井さん・津島さん御夫妻の御招待で有楽町の「爐端本店」。木造三階立ての素敵なお店でした。「ものけん」メンバーが集結し、関根賢司さんの進行で、松井さん、兵藤さん、三田村さん、そして三谷さんのお祝いの言葉の数々。そして、津島さん・藤井さんの素敵なスピーチ。僕は、この日のこの夜のことを、生涯忘れることはないでしょう。

12月04日(火曜日)  

午後は母校で『元輔集』、夕方、國學院で『うつほ物語』の会。仲忠が春宮のために書の手本四巻を書くくだり。両会とも今年はラスト、早いものです。

12月05日(水曜日)  

明治大学。「国語」はこちらも『文化防衛論』、「文化概念としての天皇」。あわせて『鏡子の家』を見る。クラスによって反応がちがいます。

講義終了後、AV館の視聴覚教材教員準備室でパンダさん(著者・出演者の自称 )の『パンダ来るな/藤井貞和自作詩朗読』発行元水牛の「ムービー@/A」を開いて見ました。含羞と饒舌の混沌とした現代詩の世界がそこにはありました。

12月06日(木曜日)  

終日『狭衣物語』の原稿に向かう。それにしても狭衣の大将は『法華経』を読経するのが好きな人のようです。この原稿を入れるはずの出版社の編集担当の方から僕のウィルスメールが届いたとのこと。この騒動はいつまで続くのやら。

12月07日(金曜日)  

明治大学。「論文演習」はこちらも情報実習室で『時事問題』の作文。インターネット・ニュースで検索し、ダウンロードしてから批評を書くというもの。休み時間に神鷹先生から、先日お尋ねした巻子本から冊子本への移行期を考察した論文のコピーを頂戴して恐縮。『源氏物語』の「物」や「住まい」の特集に合わせて、コンセプトを随分絞り込むことができました。先日の話では、社運を賭けた企画に相次いで失敗、国文学から撤退した出版社もあるようで、僕でも出来る限りの協力をしなくてはならないと考えます。

クリスマスツリーの鮮やかな表参道を抜けて青山学院女子短期大学。三時限目は二年生のため、「来週の卒論が間に合わないんです」と泣きつかれ(たことにして)、あえなく休講、四時限目開始直前まで、『校本狭衣物語』のある四大、日本文学科合同研究室、四大図書館とはしごして、深川本との異文をチェックしました。講義は「蜻蛉」巻論。いよいよ大詰めです。

12月08日(土曜日)  

所沢市の松井公民館で古典に親しむ会。『源氏物語』少女巻。昨日頂戴したばかりの、与謝野晶子訳・神野藤昭夫・解説『源氏物語』角川書店の紹介に、『源氏物語』の漢籍、昨日あった読書の儀で朗詠された『日本書紀』推古天皇条など。足掛け十一年、今年も一年お世話になりました。夕方は、池袋で原稿が「書け」ますようにと「牡蠣」尽くしの料理に、明日からの精進を誓ったのでした。

12月09日(日曜日) Thanks 79000 Hits!! 

日本文学協会の『枕草子』の会。調査が行き届きすぎて資料(レジュメ45枚)が時間内には消化しきれないほどでした。この学会の大会は、発表と質疑の充実ぶりは先にも記したとおりですが、会としては倒産寸前の企業のようだった(二日目の出席者は委員か委員経験者ばかりで50人を割り込んでいました)のに、こんなに地道に活動している人達もたくさんいるのです。基礎体力が目に見えて落ちてきている今こそ、そうした力を汲み上げてゆかなくてはなりません。とりあえず僕も自分で出来る身近な事からはじめましょう。

幽琴窟琴學陋室の伏見先生から、孔子作曲の琴曲『幽蘭』の名義についての玉稿の御案内を頂戴しました。ご覧下さい。

12月10日(月曜日)  

明治大学。「国語」は『文化防衛論』、「文化概念としての天皇」。治安維持法の国体と私的財産の護持の問題。「論文演習」は「時事問題」の添削。AV教室に入ると、お菓子を頬張りながら確定したゼミの情報交換に余念なし(おいしそうでしたが一人もお裾分けしてくれず)。しかもなぜか演習メンバーの大半を占める女性陣(構成は、女子12名・男子03名《当初、出席一名のみ》)が、なぜか結束してレポートを(笑ってごまかすという困った方法で)出し渋り、講義予定の消化に一苦労する。年内は月曜日あと一回、通算二回を残すのみとなりました。来週は僕にも御菓子下さい。。。

12月11日(火曜日) 

終日、『狭衣物語』。漢籍の引用が指摘される約80箇所に、内閣文庫本・為家本・版本の本文の異同を併記しながら、略註と漢籍索引を付けるというもの。早朝からとりかかって夜の九時まで休憩もせずに一気に八割方書き終える。お昼と一緒の夕食は美味でした。

12月12日(水曜日)  

明治大学。「国語」はこちらも『文化防衛論』いよいよ核心部分に入りました。

夕方からは、上野公園内にある、建物そのものが重要文化財の旧東京音楽学校奏楽堂で、余明先生の古琴をメインとした「悠久なる時を求めて−−中国の琴」コンサート。洞簫の王明君さんを伴って、リストになかった「関山月」から始まり、「陽関三畳」「酔漁唱晩」「平沙落雁」「神人暢」「酒狂」。再び登場して、曲目を中国語で告げた余先生の最後の曲は、再びの「関山月」でした。帰りは新宿で。僕はいつも御一緒しているみなさんですが、中には十年ぶりくらいという組み合わせのメンバーもあり、時の経つのも忘れて、まさしくの忘年会でした。

12月13日(木曜日) 

本日も、『狭衣物語』。枚数超過を編集者に相談する。先日、阿部好臣さんから頂戴した『源氏物語曼荼羅−その書の世界』(栴檀社研究会講演録9、2001年12月)は、次に滞っている『源氏物語』の論文に使うためにも熟読させていただきます。このところ、新聞もろくに読んでいません。

12月14日(金曜日)  

明治大学「論文演習」は「時事問題」の添削。田代まさし事件一名、後は全員狂牛病問題。「検索」と「置換」を使った校正方法は使ったことがなかったようで、感嘆の声が上がる。やはり、ワープロを完全にマスターしているわけではないようです。青山学院女子短期大学。三時限目は「音楽史」ということで、『古事記』の「枯野の琴」から『枕草子』まで。出したばかりの卒論の修正を命じられたとかで、中身を見せてもらうと細かい添削が施されていました。こんな有名な方にこんなに丁寧に指導してもらえているとはなんと幸せなことか。卒業してからその価値がきっとわかります。四時限目は「文と法の物語」の核心部分。熱心に聞いてくれました。

夕方は慶應に移動して『小右記』の会。長和元年六月三、四日条。今書いている『狭衣物語』の注解に多いに役立ちました。二次会は個室で、「浴湯の儀」のこと、映画のことなど。黒板先生の人生観などについてお伺いして、一同しんみり。師走の国道一号線で泉岳寺あたりを通過したとき、僕が「今日は忠臣蔵ですね」と切り出すと、先生がさりげなく話題を膨らませてくださいました。

12月15日(土曜日)  

横浜市立大学で物語研究会。年末だけあって、名古屋、京都からの顔も見える。やはり、研究というもの、他者のことばに自身の研究を常に相対化させる自覚が必要。研究者としての「裸に王様」にはなりたくありません。とは言っても、論文の本数はすぐに検索できますから、実力もすぐに測定可能の時代にはなりました。もちろん、量より質だと言う声もありますが、それは車の両輪でしょう。ところで、三次会はどこも満杯で、横浜駅まで行ってもなかなかみつからず、この時ばかりは不況も関係なかったようですね。

12月16日(日曜日)  

夕方、水泳にも行ったほかは、例によって『狭衣物語』。そして、夜の十時過ぎに、なんとか書き終えました。明日の朝、送信します。これはさらに発展させられるだけの題材。卒論も今週いよいよ追い込みのようですね。

12月17日(月曜日)  

明治大学。「国語」は『文化防衛論』。『増鏡』で建武の中興の後醍醐天皇が配宮で父帝・後宇多帝を夢見る場面に、『源氏物語』明石巻との「文化的再帰性」を見出し、真の「みやび」に言及するあたり。「みやび」のカテゴリーである無秩序が、桜田門外の変の水戸の勤皇の志士を賛美し、テロリズムを肯定するという論理展開は、さすがに難解です。「Mishima」のラストシーンはみな固唾を飲んで見守っていました。「論文演習」は「時事問題」の添削。またまた男子学生が全員遅刻(結局、今日も01名来たのみ)しており、女子学生全員でお菓子を食べていました。「僕にもくださいよ」と言ったところ、「そんなもん、いらねぇよ〜」と言われると思っていたとのこと(僕のことば遣いがやはり野卑なことに気づきました)。「美しい日本語を語り、書くようにする」論文演習の先生なのに。。。レポートはジョージ・ハリスンの死に、田代まさし、あとは狂牛病と政府の対応など。冬休みはいくつかアップしておきますよ。四時限目を終えると、聖心を二年前に定年退職なさり、この大学も僕が生れた頃からお勤めの道家先生が「今日は感動的なことがありました」と余韻に浸っておられました。最後の講義と知った学生が終了と同じに皆でクラッカーを鳴らして労をねぎらったと言うのです。僕の両親と同じ年の道家先生、お疲れ様でした。年末のちょっと心が温まる話です。

僕が信州出身と言うことで尋ねられた「白線流し」について調べて見ました。ドラマでは信州の純朴な高校生の話ですが、やはり「岐阜県立斐太高等学校で卒業式の日に男子は学帽の白線、女子はスカーフをそれぞれ結んで1本の「白線」にし、下級生らに見守られながら、川へとその「白線」を流していく」と言う行事で、それを松本に置き換えた物語であったようです。そこで、僕の高校時代を綴った文章「時の流れに」もアップしましょう。

12月18日(火曜日)  

ひさしぶりにオフにする。池袋のジュンク堂などを回ってきました。また古琴のCDに「胡笳」と「広陵散」が入っているもの(『中国の古琴−−宮廷の旋律』King Record) をみつけたので、車のCD−CHANGERにさっそく入れて聴きながら帰りました。ただし、解説の「大胡笳」が「大胡茄」と誤植だったのは御愛嬌。「茄子」を吹いても音は出ません。。。

12月19日(水曜日)  

明治大学。「国語」は『文化防衛論』。「文化的再帰性」から「みやび」がテロリズムを包含するというところで、二時間続けて質問者が訪れる。帰宅して原稿整理など、気ぜわしくなってきました。80000カウントキリ番ゲットの《木徳》な方には粗品進呈致します。御連絡を。

12月20日(木曜日)  

次の原稿に取りかかり始めました。あらかじめ本文は入力してあるのですが、それからが勝負。デジタル化時代は下準備の時間が10分の01以下になったのではないでしょうか。紫式部の机辺を中心に考えて見たいと思います。

12月21日(金曜日) Thanks 80000 Counts  

2001年最後の明治大学出講。「論文演習」は雪または霙の天気予報のためか、出足悪し。なんとか日程を消化。課題未提出者の誠意を待つのみとなりました。ところで、80000カウントキリ番ゲットはなんと、この「論文演習」の日程確認のために開いた、AV館のパソコン(つまり自分)ということになってしまい、次のゾロ目まで粗品進呈はお預けとなりました。青山の図書館で『神田喜一郎全集』などを借り、霙が雨にかわる中、立川の叔母の家によって帰宅。オフィシャルの仕事は本日で終りました。でも来週も忙しい。。。

12月22日(土曜日)  

何の気なしに夕方池袋に行ったのは失敗でした。人が多くてどうにもならず、結局、車はどこも大渋滞、帰宅にも二時間三十分かかりました。この春書いた紫式部伝の再校が届きました。

12月23日(日曜日)   

余明先生のスタジオでレッスン。絃を指ですべらせて音を揺らす「由」の猛特訓。「指が痛い」などと弱音を吐いても一切お構いなし。先生は先日のコンサートのために上海に帰り、自分の楽曲を恩師にチェックしてもらって臨んだとのこと。ひさしぶりに先生と合奏しながらの練習で、時間も一時間以上超過していました。謝謝。

12月24日(月曜日)  

すっかり休みモードの生活となり、のんびりと過ごす。こんな日もたまにはいいでしょう。

12月25日(火曜日)   

本日もとりたててて記すことなし。何気なく手にした雑誌『汲古』のバックナンバーにあるヒントを得る論考を見つけた、とだけ書いておきましょう。

12月26日(水曜日)  

「リンクフリーの会」のページ『うつほ物語』のページ更新しました。

12月27日(木曜日)  

まる三日抜いたので、また原稿に向かう。『紫式部日記』の『源氏の物語』豪華本製作と『源氏物語』内の物語絵制作技法の差異についてと言うところ。

12月28日(金曜日)  

原稿、原稿、そして水泳。先日届けたばかりの『狭衣物語』のゲラが風間書房から届きました。誤植の多い原稿に、丁寧な割付がなされていました。正月にじっくり諸本本文を校合し、推敲したいと思います。

12月29日(土曜日)  

年内有効の招待券があったので、有楽町の丸の内東映へ。千年の恋 ひかる源氏物語。内容は,,,,。御覧になったみなさんの心心で。天海源氏の筝の琴の撥さばきと舞の所作は見事です。僕は、中宮彰子が膝上に琴{きん}を置いて演奏しようとしていたことに興味を持ちました。


INDEXホームに戻る