注記、初出誌・至文堂「解釈と鑑賞/特集・21世紀の日本語研究」01月号 2001年01月10日発行に誤植補訂。

 文と法の物語浮舟物語のことばと思想

  T テクストと文法方法的前提

 テクストとは何だろうか?国文学研究者でも、本文=テクスト、作品=テクスト、引用の織物=テクスト、などなど、その規定や認識は曖昧である。これは文法学でも諸説乱立の様相があるようで、代表的な立場として、工藤真由美が『テンスアスペクト体系とテクスト』注@の「はじめに」で、

「ここでいうテンスアスペクト体系とは、言語活動の単位である《文》を構成する《単語》の文法形式、《スル、シタ、シテイル、シテイタ》とのパラグマティックな対立のなかに刻印された時間的カテゴリである。テクストとは、発話主体による現実の使用のなかにある文の有機的結合であり、一方には、社会的に共有された言語の文法体系があり、他方には、発話主体によるその実際的使用行為とその所産である。05頁」、

 あるいは、

言語活動=言語の実際的使用行為ならびにその所産を《テクスト》と呼ぶことにすれば、テクストは、一つの文で成り立っていることもあるが、そのような場合は非典型的であって、普通、《一定の状況への指向性のある、複数の文の有機的つながり》である。脱場面・文脈化された孤立的な文は文法書のなかにしか存在しない。文はテクストを組みたてる部分=要素であって、テクストと文との間には、全体(構造)部分(要素)関係が、成り立っている。従って、テクスト構造のそとで、文を考察することは、基本的には成立し得ない。17頁」

 と規定している。この見解は、立場によって、文学研究のそれとの近似値が高い研究者もあり、人によっては決定的な断絶がある、とも言えるものである。文学研究、とりわけ古典文学テクストの代表的な見解としては、例えば、

「古典文学研究においても、作品、あるいは本文という概念は後景にしりぞき、テクストという概念に世代交替されつつある。作品が作者により意味を与えられ、作者の側に属するとすれば、テクストは、読者の読む行為により、その意味が生成・現象する。テクストの原義は「織物」であり、多様な要素の織物、その交錯体を意味している。テクストは、唯一の意味や主題には還元されず、そこには起源も終りもない。あるのは、意味の無限の形成・結合と、相互の包含と、解体という関係性なのである。56頁」

とまとめられている 注A。つまり、文学研究におけるテクストとは、研究主体による、意味生成理念、ということになるようだ。

 そこで本稿では、言語学と文学研究のテクスト概念をできうる限り統合する試みを提示してみることで、その一致点と近似値、もしくはその裂け目から見えてくる問題点を考えて見ようと思う。

 そこで、書かれた語り、とりわけ、『源氏物語』浮舟の物語をテクストとして、覚醒・状態の語り、出家場面の極限状態の語り、説得のための書簡体の語り、拒絶の語りを分析して、浮舟物語の文法(もちろん喩的に変換可能な言説として)を明らかにして見たいと考えている。

  U 憑依された言説混濁する意識を表出する言語

薫と匂宮の求愛に心を引き裂かれた浮舟は以下のような歌を残して入水する。

 「後にまたあひ見むことを思はなむこの世の夢に心惑はで」

 誦経の鐘の風につけて聞こえ来るを、つくづくと聞き臥したまふ。

 「鐘の音の絶ゆる響きに音を添へてわが世尽きぬと君に伝へよ」

                     (「浮舟」一九二四M〜一九二五B)注B

 (略)

 正身の心地はさはやかに、いささかものおぼえて見回したれば、一人見し人の顔はなくて、皆、老法師、ゆがみ衰へたる者のみ多かれば、知らぬ国に来にける心地して、いと悲し。

 ありし世のこと思ひ出づれど、住みけむ所誰れと言ひし人とだに、たしかにはかばかしうもおぼえず。ただ、「我は、<限り>とて身を投げし人ぞかし。いづくに来にたるにか」とせめて思ひ出づれば、

「いといみじと、ものを思ひ嘆きて、皆人の寝たりしに、妻戸を放ちて出でたりしに、風は烈しう、川波も荒う聞こえしを独りもの恐ろしかりしかば、来し方行く先もおぼえで、簀子の端に足をさし下ろしながら、行くべき方も惑はれて、帰り入らむも中空にて、心強く<この世に亡せなむ>と思ひ立ちしを、『をこがましうて人に見つけられむよりは、鬼も何も食ひ失へ』と言ひつつ、つくづくと居たりしを、いときよげなる男の寄り来て、『いざ、たまへ。おのがもとへ』と言ひて、抱く心地のせしを、<宮と聞こえし人のしたまふ>Aとおぼえしほどより、心地惑ひにけるなめり。『知らぬ所に据ゑ置きて、この男は消え失せぬ』と見しを、<つひにかく本意のこともせずなりぬる>、と思ひつつ、くいみじう泣く>、と思ひしほどに、Bその後のことは絶えて、いかにもいかにもおぼえず。

人の言ふを聞けば、C多くの日ごろも経にけり。<いかに憂きさまを、知らぬ人に扱はれ見えつらむ>と 恥づかしう、つひにかくて生き返りぬるか」と思ふも口惜しければ、いみじうおぼえて、なかなか、沈みたまひつる日ごろは、うつし心もなきさまにて、ものいささか参る事もありつるを、つゆばかりの湯をだに参らず。                   (「手習」二〇〇〇J〜二〇〇二@)

 (略) 

 U 出家への意志意志を語る言説

 (略) 

 「尼になしたまひてよ。さてのみなむ生くやうもあるべき」

とのたまへば、

 「いとほしげなる御さまを。いかでか、さはなしたてまつらむ」

とて、ただ頂ばかりを削ぎ、五戒ばかりを授けさせたてまつる。

(「手習」二〇〇〇J〜二〇〇二@)

 (略)

 鋏取りて、櫛の筥の蓋さし出でたれば、

 「いづら、大徳たち。ここに」

と呼ぶ。初め見つけたてまつりし二人ながら供にありければ、呼び入れて、

 「御髪下ろしたてまつれ」

と言ふ。げに、いみじかりし人の御ありさまなれば、「うつし人にては、世におはせむもうたてこそあらめ」と、この阿闍梨もことわりに思ふに、几帳の帷子のほころびより、御髪をかき出だしたまひつるが、いとあたらしくをかしげなるになむ、しばし、鋏をもてやすらひける。

 かかるほど、少将の尼は、兄の阿闍梨の来たるに会ひて、下にゐたり。左衛門は、この私の知りたる人にあひしらふとて、かかる所につけては、皆とりどりに、心寄せの人びとめづらしうて出で来たるに、はかなきことしける見入れなどしけるほどに、こもき一人して、「かかることなむ」と少将の尼に告げたりければ、惑ひて来て見るに、わが御上の衣、袈裟などを、「ことさらばかり」とて着せたてまつりて、

 「親の御方拝みたてまつりたまへ」

と言ふに、Dいづ方とも知らぬほどなむ、え忍びあへたまはで、泣きたまひにける

 「あな、あさましや。など、かく奥なきわざはせさせたまふ。上、帰りおはしては、いかなることをのたまはせむ」

と言へど、かばかりにしそめつるを、言ひ乱るもものしと思ひて、僧都諌めたまへば、寄りてもえ妨げず。

 「流転三界中」

など言ふにも、E<断ち果ててしものを>と思ひ出づるも、さすがなりけり。御髪も削ぎわづらひて、

 「のどやかに、尼君たちして、直させたまへ」

と言ふ。額は僧都ぞ削ぎたまふ。

 「かかる御容貌やつしたまひて、悔いたまふな」

など、尊きことども説き聞かせたまふ。<とみにせさすべくもあらず、皆言ひ知らせたまへることを、うれしくもしつるかな>と、これのみぞ、<仏は生けるしるしありて>とおぼえたまひける。                (「手習」二〇二九F〜二〇三〇K)

  (略)

  W 消息の言説/拒絶の言説

 僧都の御文見れば、

 「今朝、ここに大将殿のものしたまひて、御ありさま尋ね問ひたまふに、初めよりあり  しやう詳しく聞こえはべりぬ。御心ざし深かりける御仲を背きたまひて、あやしき山賤 の中に出家したまへること、かへりては、仏の責め添ふべきことなるをなむ、承り驚きは べる。いかがはせむ。もとの御契り過ちたまはで、愛執の罪をはるかしきこえたまひて、 H一日の出家の功徳は、はかりなきものなれば、なほ頼ませたまへとなむ。Iことごとには、 みづからさぶらひて申しはべらむ。かつがつ、この小君聞こえたまひてむ」

 と書いたり。 (「夢浮橋」二〇六四M〜二〇六五E)

 (略)

 「心地のかき乱るやうにしはべるほど、ためらひて、今聞こえむ。昔のこと思ひ出づれど、 さらにおぼゆることなく、あやしう、<いかなりける夢にか>とのみ、心も得ずなむ。すこ し静まりてや、この御文なども、見知らるることもあらむ今日は、なほ持て参りたまひ 。所違へにもあらむに、いとかたはらいたかるべし」

(略)

X 二十一世紀の「テクスト」研究

 最後に、本特集テ−マ「二十一世紀の日本語(=テクスト)研究」に関して付言すれば、今回の私の試みは、従来の文学研究が、「物語は何を語っているか」のみに重点を置いてきたことの反省から、「物語はどのように語られながら、何を語ろうとしているのか」と分析のフィ−ルドを若干拡大したに過ぎない。しかしながら、「物語の語られ方」「物語られる際の法則性」という、方法の分類に重きを置く、テクスト言語学は、方法的に文学研究のそれと極めて近接している研究分野であるという事例は、いささかなりとも示しえたかと思う注H。

 最近、藤井貞和の活発な研究運動は、古代の詩の発生や物語の成立の追求のみならず、近代における人文科学成立史論ともいうべき独自の世界観の構築であり、『国文学の誕生』などの成果が、二〇〇〇年の節目に当たる今年、一気に上梓されつつある注I。氏は、言語態分析、もしくは物語状分析という独自の術語を駆使して、国文学、言語学、国語学、民俗学、それぞれが相互に交渉し、挑発し、新たな時代の新たな人文科学再編を企図しているかのようである。本稿もそうした運動体に触発された、あらたな運動の一翼となり得るならば、これに優る幸いはない。

 注

 @工藤真由美『テンス・アスペクト体系とテクスト現代日本語の時間の表現』(ひつ じ書房、一九九五年)

 A河添房江「テクスト」『國文学 キーワード100古典文学の術語集』(学燈社、一九九六年)、最近のテクスト論の動向は、高木 信「テクスト論の来し方、行く末日本的な、あまりに日本的な」安藤徹・高木信編『テクストへの性愛術物語分析の理論と実践』(森話社、二〇〇〇年)によって、テクスト論の来歴と現状が総括されている。氏は、本来、テクスト理論には、その理論的な背景がおよそ五つあるとして、@ジュネットのナラトロジーAプロップ的物語論B構造主義=記号論Cバフチン=クリスティバ的「引用=テクスト論」理論Dクリステイヴァ/デリダ系列の「テクストの生成と破砕」理論、を簡潔に整理している。128頁」。

 B本文=テクストは、「浮舟」巻は『東海大学桃園文庫影印叢書 源氏物語(明融本) U』(東海大学 出版会、一九九〇年)、他の諸巻は『大島本源氏物語』(角川書店、一九九六年)の影印により、私に校訂する。頁行数は、池田亀鑑『源氏物語大成』(中央公論社、一九五三〜一九五六年)に依拠する。

 C三谷邦明『物語文学の言説』(有精堂、一九九二年)三谷邦明編『源氏物語の語りと 言説』(有精堂、一九九四年)に収められた諸編や「○○巻の言説分析」なる一連の論文、さらに東原伸明『物語文学史の論理語り・言説・引用』(新典社、二〇〇〇年)の研究史も、重要な指摘と問題点を網羅的に論じている。三谷氏の言う「自由間接言説」は、語り手と登場人物の二つの視点・話声が響き合い、時に心内文が地の文に融合する、移り詞をも伴う言説であり、「自由直接言説」=「同化的言説」は、登場人物=語り手=読者の距離が零になる言説をいう。ただし、これらは三谷、東原両氏がおなじテクストを論じても微妙な見解の相違があり、読者による読みの相対化はやはり困難で、この言説分析とて、品詞毎ではなく、文体単位、言説単位での、あたらな品詞分解の読者共同体を再生産しているとも言えよう。

 D三角洋一『源氏物語と天台浄土教』(若草書房、一九九六年)、なお、出家作法の先駆的な研究としては、中 哲裕「浮舟・横川の僧都と『出家受戒作法』」(「長岡技術大学言語・人文科学論集」第二号、一九八三年八月)があるが、三橋正『平安時代の信仰と宗教儀礼』(続群書類従刊行会、二〇〇〇年)によれば、『出家受戒作法』は源信のオリジナルとは言えないようである。

 E三谷前掲書「『源氏物語』と語り手たち」には「浮舟」「手習」巻は「一人称の浮舟物語」であるという指摘がなされているが、吉井美弥子による批判もある。「薫をめぐる語りと言説」三谷前掲編著所収。

 F『出家作法 曼殊院蔵/京都大学国語国文資料叢書』(臨川書店、一九八〇年)。三 橋正前掲書によれば、氏神を拝する記事は十一世紀が初例とのことである。また、本文の「流転三界中、〜」の経文は、『法苑珠林』巻二二−三「剃髪部」が原拠であるという。

 G鈴木日出男「愛執の罪誰の救済か」『国文学 テクストツアー 源氏物語ファィル』(学燈社、二〇〇〇年七月)

 H鈴木 泰「宇津保物語における基本形のテンス」「国語学」(一九九九年三月)などが念頭にある。

 I藤井貞和『国文学の誕生』(三元社、二〇〇〇年)。『詩の分析と物語状分析』(若草書房、一九九九年)、『源氏物語論』(岩波書店、二〇〇〇年)、『折口信夫の詩の成立』(中央公論新社、二〇〇〇年)。