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1999.11.01 Up Date

 「古代文学会・物語研究会合同シンポジウム」準備委員会からの報告 Ver.03

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 来る9月23日(秋分の日・木曜日)、古代文学会と物語研究会の第7回合同勉強会が、午後1時30分より、共立女子短期大学の3号館402A国文学研究室で行われます。

 シンポジウムテーマのコンセプトを練り上げるために研究発表を行い、討論する形式で進めます。

津田博幸・小森 潔 ☆神田龍身『偽装の言説−平安朝のエクリチュール』森話社から

準備委員以外の方の参加も歓迎しますので、なるべく多くの方に集まっていただくことを期待しています。 

準備会予定 11月03日(土曜日)11月23日(勤労感謝の日・火曜日) 

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そろそろ「文学」モードかな?      三品 泰子

 大会テーマ「ジャンルの生成−同時代言説の海へ−」。

はっきり言って、私はこのテーマがとても好きだ。古代文学会のセミナー活動で、「現場」へ!という呼び声のもとに現場論が立ち上げられた時の、何かが起こりそう、という気持ちが蘇ってくる。

 思い返せばあの時も、表現の枠を打ち破ろう、もっと広い古代の表現の海に飛び出していこうという衝動があった。それで、それまでは『万葉集』とか『古事記』などのごく限られた古代のテキストしか見ようとしなかったのに対して、国史や太政官符などの、歴史学が対象とするような資料までを、とりあえず古代の表現として読んでいった。どれが「文学」テキストでどれが「文学」ではない、といった腑分けは置いといて、まずは古代の表現を、海のような広がりとして見渡してみたいと思っていた。

 はじめて詔勅や太政官符などを読んだ時に抱いた印象は、言葉が一定の形式の中にありながら、生で活き活きと動いて機能している、という新鮮な感じだった。資料に初めて向き合ったときに感じた、その素朴な驚きや感触を、今も読むたびに思い出させてくれるのが、歴史学の新川登亀男さんの本だ。

 このあいだの会で新川さんの『道教をめぐる攻防』をレポートしたあと、あらためて前著の『日本古代文化史の構想』を読みなおしているところだ。仏典の中のフレーズや、中国の法律のフレーズなどが、日本古代という現実の中で、どのように受け取られ、活き活きと動き、力を発揮していたのかということが描き出されている。まさに言説によって、言説として作り出されていく歴史だ。どんな世界像をもっていたのかという静的なヴィジョンだけでなく、その世界像がどのようにして作り出されていったのかを動きとして捉えているから、その世界像が誰にとってのものなのかが見えてくる。現場論が「実践者」とか「競合」というタームで捉えようとしていたことが、見事に掬い上げられている。私にとって、これぞまさにミスター現場論!といったところだ。

 ところで、古代文学会と物語研究会とが合同で大会を開くことの意味はどこにあるのだろうと、この半年間、準備会に参加するたびに考えていた。今はこのように考えている。古代文学会、というか現場論は、一度、文学と歴史、などのジャンルの壁をとっぱらったわけだが、今はそろそろ、あらためてジャンルについて考えてみる時がきたのではないか。そのきっかけを見つけるためには、物語や日記など、わりと強度のジャンル意識を持っているような素材を研究している物語研究会の人たちと対話してみるのも、一つの手かもしれない。

 一度とっぱらったジャンルを、あらためて考えてみる時がきたという実感は、私の個人的な体験の中でふくらんでいる。今まで大学で、国文学専攻の私が歴史学のゼミにもぐっていると、「なんで文学の人が歴史の資料を読むんだろう、まぁ別にいいけど。」みたいな、声なき視線をいっぱい浴びて、「いいじゃん、別に。」と開き直りつつ、それでもやっぱりだんだん、私はいったい何をやっているんだろうと、自信がもてなくなったりした。文学テキストの外に出たものの、いったい何がわかりたいから私は今ここにいるのだろうかと、確信がもてなくなっていた。

 それがこのあいだ、歴史学の新川登亀男さんが、文学を研究している私たちのこの会に来てくださったこと、そして会の最後に話してくださった一言で、この何年かの私の居心地悪さやひっかかりが、静かに解けていくのを感じた。その時の新川さんの話を私の言葉でまとめると、こうなる。歴史に事実はない、現実だけだ。その意味で歴史と文学と、違いはない。両方とも同じ言説だ。とは言ってもやはり、一方は歴史だし一方は文学だ。だから歴史と文学をまずは同じ土俵にのせ、そうすることによって歴史学をやっている者は、歴史とは何かをそこで改めて考えていくきっかけを掴んでいこう、というものだった。

 この一言で、私は救われたと同時に、自分の問題点がどの辺にあったのかがわかったような気がした。つまり、歴史学が対象とするような資料を読みながら、自分のやっていることは文学研究だと主張するのに早急すぎて、どこかで「歴史」とはこう、「文学」とはこう、という説明を先にあらかじめ持とうとしていたのだ。答えはあとからわかってくるものなのに。「文学」とは何かをあらためて自分なりに考えていくための、きっかけを掴む。それが現段階で、やれることなのだ。結局、「文学」とは何かということの答えは、うろちょろした挙げ句にやっと最後にたどり着くものなのだろう。そして、どんなにうろちょろしても、最後の答えに向かっているんだという意志だけは、絶対に手放さないようにしよう。道に迷っても、ゴールのイメージだけは持ちつづけなければ。

 さて、物語研究会の中で、同じような問題に直面している人だと、遠くからお見受けするのは、小嶋菜温子さんだ。今回の会で小嶋さんの論文を取り上げようと提案したのは、じつは私。なぜかというと、『かぐや姫幻想』を読んだとき、小嶋さんは竹取物語を浸している世界の生々しさを伝えるために、嵯峨天皇や仁明天皇が自分の死後の魂が今の自分の意思に反して物の怪になってしまうのではないかという、もののけ姫的な恐れにおののくところを叙述した歴史書の記事を面白がって読んでいるみたいだったからだ。そしてその一方で、どのページにも繰り返し繰り返し「物語は…」という言い方が出てきて、読む方はだんだん「物語」の波に船酔いしそうだった。歴史書への耽溺と物語への強烈なこだわり。きっと小嶋さんも、歴史学に対して文学研究とはこう、という答えを出したくて、ジタバタしているんだなぁと、失礼かもしれないが、親近感を感じた。もしかしたら、今の物語研究会の人達のなかで最も、大会テーマに対して、これこそ自分の問題だと感じて正面から向き合って下さる人ではないかと想像しているのだけれど、いかがでしょうか。

 前に小森さんが、この会の感想文の中で、古代文学会の人たちという「他者さん」に対面するのは正直言って気が重いが、それでも何故か会の日がくると足を運んでしまう、というようなことを書いておられた。私もいまだに、物語研究会の人たちと向き合っていると、私たちがお互いに理解しあうには何かがあまりにもズレている、といった思いが頭をよぎる。でも今回この会でレポートさせて頂いて、物研サイドの方々が、私のレポートを受けとめ盛り上げようとして下さっている気持ちが、ひしひしと伝わってきて、単純な私は、けっこうジーンとしてしまった。それにひきかえ、古代の男どもは…。(ウソ) 研究会の日には、素材として取り上げた『道教をめぐる攻防』の著者である新川登亀男さんをはじめ、この本に興味を持たれた、たくさんの人が集まって来て下さり、感謝です。なお、「まともな人」「まともでない人」という失言が冗談みたいな波紋をよんでましたが、いつものメンバーではないゲストの方々も、別に「まともな人」というわけでもなく、そこに深い敬愛をもっているということを、最後に申し添えておきます。

 戒厳下の東京─7月準備会の感想   原 豊二 

 7月31日、上京の折にこの準備会に参加した。準備会もそこそこ会を重ねているようで、なごやかな雰囲気のものであった。発表は三品泰子さんの「世界を体系づけていく力─8世紀の「家」をめぐる礼と霊─」と岡部隆志さんの「小嶋菜温子 準拠・非準拠論について」の二本。今回は古代文学会中心の会であったので、私にはそれをどのように受け止めるかが問題となった。三品さんの発表は、新川登亀男『道教をめぐる攻防』の書評のような形でなされたが、著者も同席し、なかなか緊張感のある場となった。なぜ道教が日本に根付かなかったのかが、主な議論であったと思う。岡部さんの発表は、小嶋批判ということになるのだろうか。準備会という場全体が小嶋談義に花を咲かせていたのであった。  思えば、その時に、この準備会の感想を託され、安請負したのが愚かだったか、何を書いていいのかわからない。月並なことであれば、いくらか書けるのであろうが、それでいいのか。突然興味本位で駆けつけた私は、そもそも前からの流れも理解できていない。そうであるならば、私自身が、その場で直観的に感じたこと(たわごと?)書こう。今、私はそう思い付いた。 さて、道教談義の時、「左道」と左翼は類似するという某氏の発言は、その場に笑いを誘った。これはよほど受けたらしく、2次会でビールを飲んでいた時も、さまざまな左翼談義(主に学生運動)がなされたことを記憶している。それはそれで面白かったのだが、どうして文学研究者はかくも政治用語を軽薄に使うことができるのかと、率直に私は感じたのであった。私にとって過去の過激な学生運動は興味の範囲ではない。なぜかというと、それが思い出話に集約され、今現在の様々な問題と直接的に結び付かないからだ。イデオロギーに全くと言っていいほど、生活感が伴わない。政治とはより具体的なものであり、言語ゲームとして左翼/右翼と言ってみても、そこでは何も始まらないのである。実際問題、研究者もそういった政治によってその存在が認められているのであり、研究条件の整備はどうしても必要なのである。また、「保守反動の風があらゆる領域に吹き荒れつつあるかに見える現在(安藤徹「源氏帝国主義の功罪」『<平安文学>というイデオロギー』)」やはり、その軽薄さは悲劇的な結末を迎える要因になるのではないだろうか。「君が代」問題ひとつとっても、安藤氏のこの一言は重くのしかかる。準備会で話題になった「小嶋さんは文化学的なものから文学を必死に守ろうとしている」ということも、大きく文部省などの権力による文学教育の排除に反応していることからきているのかも知れない。研究者は必ずしも、政治に関わる必要はない。それは当然のことであるが、他者の判断に我々の一言が強く影響を与えるということは考慮する必要がある。極力、実際的、実体的に政治用語を使用するべきであろう。なぜなら、過去の国文学者の過ちを我々は繰り返してはならないからだ。12月5日の合同シンポジウムの成功を祈りつつ、担当者・発表者の奮闘に期待したい。また、このシンポジウムがこれからの文学研究の転換点になるのか、非常に楽しみである。

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 来る7月31日(土曜日)、古代文学会と物語研究会の第6回合同勉強会が、午後1時30分より、共立女子短期大学の3号館402A国文学研究室で行われます。

 シンポジウムテーマのコンセプトを練り上げるために研究発表を行い、討論する形式で進めます。

三品泰子 長屋王の「礼と幽冥」・光明子の「救済」−競合する同時代言説の海へ−

 ☆新川登亀男『道教をめぐる攻防』からの更なる展開を目指して。

岡部隆志 小嶋菜温子氏の一連の〈準拠〉〈非準拠〉論文を読む。

準備委員以外の方の参加も歓迎しますので、なるべく多くの方に集まっていただくことを期待しています。 

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妖怪と化し、悪魔祓いに思いをはせる−−六月準備会・後日譚

猪股ときわ

 上原作和氏の「〈琴の譜〉を語ること/書くこと 物語言説を浮遊する音」と助川幸逸郎氏の「転移とシャーマニズムー浮舟をめぐって」という見事に対照的なレポートについての、客観的な報告は放棄しよう。私の関心のおもむくところを中心に、できるだけ「ジャンルの生成ー同時代言説の海へ」に即しながらコメントしたい。

 上原氏は『うつほ物語』「内侍のかみ」と『源氏物語』「宿木」とに登場する琴の譜が、一定の史実に即していることの証明としてあるのではなく、物語展開上の重要な転換点に位置し、「新たな物語への扉を開くシナリオ」(うつほ)であり、「新たな物語を紡ぎだすための序奏となる機能」(源氏)を果たしているとする。私もちょうど、ある研究会で九世紀〜一〇世紀の楽譜と両物語に登場する楽譜についての関連をあれこれ考え、ほとんど「同時代言説の海」の中で溺れ切っている口頭発表をしたばかりである。だから上原氏が、三田村雅子氏の論をふまえて、登場人物のが譜を書き、献上し、譜にまつわる故事や来歴について「解き」をすることに注目する点、興味深かった。その上で言えばさらに、楽譜というものじたいも言説として読むことができると思う。むろん、同時代の琴の譜はことごとく散逸している。だが、九世紀から一〇世紀の琵琶譜や横笛譜のいくつかは見ることができて、その序や奥書・跋文からなぜ譜が伝来し書かれたかを、譜を授与された藤原貞敏、編者である貞保親王や源博雅自身といった人々が言明するのを読むことができる。伝習の終了後に師から弟子へ授与された譜からは、譜を書くことの意味や権威・権力との関係、伝えることをめぐる種々相などなどを考えさせられる。あたかも『うつほ』の帝が語ったような、故事の断片が書き込まれた序もあるし、勅撰の貞保親王編になる横笛譜にはあからさまな礼楽思想が語られている…‥そうした「譜を書くこと」「譜で語ること」が帝や親王によって推進された同時代ないしその直後に、「物語言説」の中の譜がある。とくに琴については譜および琴書類と関連した知が大前提であることは、上原氏の前著が開示するところであるが、私は物語が譜や琴書類の言説世界を充分承知しながら、譜のまったく登場しない琴の伝授を語り、あるいは音楽的にはたぶん充分でないはずの伝授(源氏−女三宮)に譜の授与を語っている点がとても気に掛かる。上原氏の言うように『うつほ』は新たな展開のはじまりを、しかし『源氏』は一つの物語の終わりを語るのに譜が示され、見られ、解かれ、献上されているのではないだろうか。と、現在、物語と譜の「言説の海の中」でアップアップしている私は、どうせなら海中に住む妖怪にでも変身して、もともと書物にマニアックな(と、著書『光源氏物語の思想史的変貌』から推察する)上原氏をさらに海中奥深くへ引きずり込もうとたくらみつつ、なかなかまとまらない我が論文と苦闘している。

 さて助川氏の準備会での発言は、いつも刺激的・挑発的である。今回のレポートもまた。まず現在の物語研究における身体論について「ナルちゃん(ナルシズム)方向」、結局は誰にも批判できない物語の登場人物の「自己」(つまりは研究者の自己)の到達点を示すところへ行くと批判し、パワフルに始まった。本題は「転移」という元来は精神分析の用語を使用した物語分析を「『古代性を帯びた語り』(一種の憑依状態)の問題であると共に、『自由間接言説』の射程を見極める作業ともなる」としたうえで、宇治十帖を具体例として実践するというもの。「憑依」とうタームを使用しない方がすっきりするのではないか、という発言もあった。氏は「神秘化する装置を解明する」ために両方必要なのだといった言い方で、回答していたと記憶する。表層批評である言説分析と、従来は深層を見る方向をもっていた「古代性を帯びた語り」への視野と、双方を評価・批判しつつ継承するために「転移」という、氏独自の見方を提示しているのだと思った。また「原型としての」ではない「古代性」とは何なのか、今回のレポートではよく掴めなかったのだが、この点こそ古代文学会の夏季セミナーで、ここ五、六年ほど問われてきた問題の一つである。会の前日に古代文学会の例会で成巫過程を巫者が後に語るものを扱った岡部氏が、助川氏の報告を「男女の情愛を語る言説が、成巫譚に近い、トランスしてゆくときの水準に近いものとしてあった」ということだ、と解読していたのは興味深い。ところでそういう『源氏物語』の言説とは、いったい何なのだろう。いわゆるトランス場面と言われている物語内の別の箇所の解読も聞いてみたい。氏自身も興味あると言われていた、病気治療の場面(日記などに記されるか)や、トランスした巫女の出現を記録する言説などなどとの位相差も聞いてみたい…‥と、いろいろ聞いてみたいことを抱えつつ帰宅してきて、「自由間接言説」についての論文を読み、平行して『エクソシストとの対話』という怪しげなタイトルの(しかしやけにまっとうにはじまる。いまどきの読者はそんなに無知じゃないよとも言いたくなる。やばい題名だと思って防衛戦をはっているのだろう)ルポを読む。エクソシストとは、現代イタリアのカソリック神父の中から正式にローマ法王から任命される「悪魔祓い」師のことで、医者と連携しつつのエクソシスト人口は九〇年代に入って急増しているとのこと。医者は精神科の門をたたく多くの患者の中で、分裂症でも多重人格者でもない、「病気でない」者にエクソシストを紹介し、エクソシストはその門をたたく多くの人の中のほとんどを精神科医に紹介して、あとの何パーセントかに儀礼を行なうという。例によって探索の結果ようやくルポライターが実見したエクソシスト場面は、ラテン語の一定のリズムをもった祈祷と、時代に即して書き替え・書込み・削除されながら法典化している「対話」方式が、穏やかな日常生活を営む「普通」の人間の躰と発言の中から、獣のような振る舞いと「悪魔」的罵詈雑言を引き出してしまうというもの。意外なことに、「自由間接言説」が狂気に触れつつ狂気を止揚するものであること、それじたいは、エクソシストの儀礼場面での対話や祈祷の働きに通じていると思われる。「欲望に先立つ記号を無意識が顕在化させる」という準備会での誰か(岡部氏のヘーゲル解説だったか)の発言を思い出すが、それが具象化したらこんなに鮮烈になるのかもしれない。とはいえ、エクソシストが対話者の話術や話性やに同化することは厳重に禁じられ、禁じる訓練をして熟達することによってのみ、狂気を(なんとか)回避しつづける。この点は、「自由間接話法」とはおおいに異なる。ちなみに、以前悪魔祓いの場面にただのホラーじゃないものを感じた映画「エクソシスト」(T)を今回見直してみた(うつらうつらしながら)が、その対話場面こそがかなり不満な代物だった…‥助川氏の「転移」論はすでに「文学」というジャンルを越境したところから開始している。アイデアのもとになったのが或る演劇思想ー実践であると言うのだから。言説分析にエクソシストと、私は氏のスリル満点の試みを追う羽目になった気もする。欲張りで、破綻を恐れない助川氏にエールを贈り、「ジャンルの生成」へと、「転移」論を徹底的に大展開してほしいなあと思う。

テーマとの関連については、できるだけというよりなんとなく、になってしまったかもしれない。深海の妖怪として悪魔祓いされてしまわないように、と願いつつ。

古代文学会・物語研究会合同研究会準備会より

     植田 恭代

季節はめぐり、順番もめぐり、ふたたび猪股ときわさんとともに感想を書き記す。以下思いつくままに── 。

 昨年末からの準備会も回を重ね、すでに報告されているとおり、テーマも「〈ジャンル〉の生成 ー同時代言説の海へー」に決定した。今回の集まりは、このテーマをそれぞれの興味から考えてみようという試みであった。発表は、上原作和さんの「〈琴の譜〉を語ること/書くこと 物語言説を浮遊する音」と助川幸逸郎さんの「転移とシャーマニズムー浮舟をめぐってー」の二本。限られた時間のなかでもあり、つきつめた確固たる結論の提示というより、むしろテーマをより深めていくための糸口を自由に提供してもらうのが趣旨であったのだが、それぞれの発想や立場のエッセンスとなる部分は語っていただけたと思う。『うつほ物語』から『源氏物語』を見通して〈琴の譜〉を考える上原さんの場合は「典拠」の問題が、用語「転移」を用いて宇治十帖の女性たちの系譜を考えようとする助川さんの場合には「もののけ」や「「転移」の物語というジャンル」などの問題が、多くの関心を集めたところであった。今回の発表者は物研側のお二人であったが、そこで浮上してきた諸問題は、どちらの会の参加者にも共通する興味となったのではないかと思う。

 前回の岡部隆志さんの文章でもふれられていたことであるけれど、同じ発表をもとにことばをかわしてみると、あらためて、物研の側が『源氏物語』という作品を抱えていることの特殊性を感じずにはいられない。さまざまな切り口に、研究方法に、柔軟かつ敏感に反応してくれる作品をやはり中心に据え、その魅力を私たちは堪能してきた。しかし、その分、「同時代言説」という観点から文学状況をながめようとしたとき、どうしてもそこにある種の制約を抱えてしまうように思われる。アクロバテイックに発想を転換していくことの難しさを感じる。合同の準備会を持ちはじめてから、沈静することなくむしろ強くなっていくばかりのこの感触が、たぶん重要な問題であり、課題となってゆくのだろう。一方で、研究も研究方法も知らなかった頃に感銘を与えてくれた『源氏物語』の重みも、決して手放したくはない、と思う。『源氏物語』があるからこそ見えてくる「何か」も、同時に執拗に追い続けてゆきたい。十二月の会まで、もう半年足らず。これからの数ヶ月に、どのような発見があるだろうか。「ジャンル」ということばじたいにも、理解の差異はありそうである。

 十年前とはすっかり事情の変わったいま、合同の会の本番は、かつての合同大会とはずいぶん違ってくるだろう。というより、沖縄大会とはまったくの別ものかもしれないとさえ思う。もとより参加者の世代も替わっている。そのような場で、こうした企画の意義が問えればいい。本番の詳細についてもそろそろつめてゆかなければならない時期を迎えているが、現在の流れからすると当日はシンポジウムの形式となりそうである。さらにテーマを掘り下げて、有益な本番を迎えられればと思う。

 今年の夏は、是非、同時代言説の海へ。泳ぎの得手不得手はたぶん問われまい。

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