ホームへ戻る物語研究会のページ物語研究会99最新情報合同シンポジュームメインページ合同シンポ Ver.01合同シンポ Ver.03

1999.11.01 Up Date

 「古代文学会・物語研究会合同シンポジウム」準備委員会からの報告 Ver.02

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 来る6月12日(土曜日)、古代文学会と物語研究会の第5回合同勉強会が、午後2時より、共立女子短期大学の3号館402B国文学研究室で行われます。第4回の準備会において討議の結果、テーマには

「ジャンルの生成−同時代言説の海へ」

を設定しました。古代文学会・物語研究会それぞれの例会で会員のみなさんにお諮りすることとします。今回の勉強会からは、参会者がテーマ設定に向けて研究発表等を行い、それらを討論する方法で進める予定です。

 テーマ設定のための研究発表

上原 作和「〈琴の譜〉を語ること/書くこと−物語言説を浮遊する音」

助川幸逸郎「転移とシャーマニズム−浮舟をめぐって」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

「退潮と収縮、もしくは漂流する救命ボートの中の物語学

−同時代言説のことばの海のなかで」  上原作和

古代文学会との合同研究会のための準備会もすでに4回を数えた。テーマ設定のための読書会では、『物語研究会会報』『書物と語り−新物語研究』『アマテラス神話の変身譜』、『日本文学』1994年06月号の会員関係論文、兵藤裕己『平家物語』などをテクストに討論し、前回、「ジャンルの生成−同時代言説の海へ」なるテーマの設定に至った。その上、自分ならこのテーマをどう論じるかプレゼンテーションをしようと言う話がでて、僕が古代の委員側からご指名を受けると言うおまけまでついていたのである(上記参照)。

 さて、本会のスタートは必ずしも順調と言えるものではなかった。それぞれの会の歴史の事例・体験を論拠とした強硬な反対意見や、また開催の成果そのものに疑問符を付す意見もあり、実際には開催までに、まだ、さまざまな紆余曲折があるかもしれない。しかしながら、僕はこの準備会に参加してみて、少なくともふたつの会の若い世代が、「分からせられない研究の不毛」と言う共通の磁場を持つに至ったこの一点において、成果を確実に挙げ得たものと考えている。何より、ともすれば暗黙の了解の内に研究の価値観・方法論が規制されて、退潮と収縮を繰り返す「我誉めの座の文芸」と化していた物語学が、最もシンパシィーを以て互いに接近したはずの会の準備委員にも言葉や意図が通じないものであるに過ぎないことがわかったのだから。

記すのも悲しいが、今や「国文学」は漂流する救命ボートの中の「座の文芸」と化している。国立大学の講座名から「国文学」はすっかり消えてしまったし、私学でも日本文学関係学部学科の改組改編は日常茶飯事である。受験生、学生の「国文学」離れは深刻で、専門書はまったく売れなくなってきているのは言うまでもない。研究者が関われる出版物としては、大手新聞社系の『AERAMOOK源氏物語がわかる』『AERAMOOK万葉集がわかる』のような万単位の発行部数は夢の数字で、国文専門書店の発行する単行本は手堅く300部から400部、国文学ジャーナリズム誌も公共図書館での購入も含めて数千部というところか。むしろ新しい読者を獲得しつつあるということであるならば、『源氏研究』や、『文化学の越境』シリーズこそ大健闘と言える本作りということになろう。それらごく一部の成功例を除けば、いわば執筆者が購買者でもあるという研究人口の激減と言う現実に直面するわけである。その上、大学では時代を担う世代を育てるための「国文学」と言う場そのものが消滅しつつある。我々のような、「国文学」の21世紀組(ちなみに僕は1962年生まれ)には目標もゴールも霧の彼方になってしまった{……霧の向こうは崖かもしれぬ、いやきっと結果はそれでも進むしかないのだが}。 であるからこそ、「国文学」、ひいては物語研究会の退潮と収縮とを相対化する場として、古代文学会との合同準備会はあまりにも残酷な現実を僕たちに付きつけてくれるのである。とは言うものの、二次会の酒はあまりにも甘美である。まるで光源氏が36歳の春に夢見た「胡蝶の舞」の陶酔のように……。僕はこの陶酔から覚醒することの方がむしろ怖いのである。

※ 拙文「恍惚の光源氏−『胡蝶の舞』の陶酔と覚醒」

      『叢書 想像する平安文学/第9巻/音楽と歌謡の想像力』勉誠出版所収予定参照。

「同時代言説の海」の近くの岸辺にて               岡部隆志  

 古代文学会と物語研究会の合同研究会の準備委員の中に、私が入っているということに実は少々とまどっている。私は、十年程前に、沖縄で行われた物研との合同大会とのやはり準備委員だったし発表者でもあった。何故、また自分が、という思いがあったのだが、前回の生き証人が必要なのだろうと(まだ全員生きているが)、この役割を引き受けた次第だ。

 しかし、研究の対象も方法もほんとに変わってしまったものだと、時代というものの流れの速さを痛感する。沖縄の大会のときは、テーマとは、ある種、世界観の切り取り方だった。世界観は当然研究主体の価値観の問題だから、両会の違った世界観をすり合わせるのはほんとうに大変だった。結局、出てきたテーマは、両方の世界観を含んでいるような妥協的なものだった。が、今回、テーマの設定についてそういう苦労はまったくない。むろん、すんなりテーマが決まったということではないのだが、苦労の仕方が前回とは全く違う。今回は、両会の準備委員にとって、世界観の違いなどというものが最初から問題にならないのだ。むしろ、世界観などどこにもあるはずがないという研究方法の茫漠とした光景の前での、立ち竦み方が少し違うと言ったらいいだろうか。それは、決して同じように途方に暮れているという意味ではなくて、世界観などという野暮ったいものとは違う方法で、いくらでもおもしろい世界は覗くことができるという期待に満ちた立ち竦み方であって、その立ち竦み方に少し違いがある、と言ったらいいか。「源氏物語」のような確固とした研究対象を持っていない分、立ち竦み方において古代文学会の委員の方に一日の長があると感じているが、むろん、だからどうということもない。古代文学会の委員の方が闇雲だという言い方も出来る。合意できたテーマ「ジャンルの生成―同時代言説の海へ」には、世界観の違いも何もなく、結局、気がついたら、みんな言説の海の上に漂っているに過ぎないと気づいたということだ。それにしても何故「海へ」なのだろう。漂流するよりは泳ぎ出そうということと解したい。溺れるだけかもしれないという不安も出されたが、それは泳げない私の不安であって、私以外はみんな海の上で楽しむことだろう。私は、今回は、岸辺にいて、みんなが言説の海の中で泳ぎ回っているのを眺めていたい。ほんとうに私は泳ぎが得意でないのだ。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 来る4月29日(木、みどりの日)、古代文学会と物語研究会の第4回合同勉強会が、午後1時より、共立女子短期大学の3号館402B国文学研究室で行われます。勉強会は、今回から参会者がテーマ設定に向けて原案をもちより討論する方法で進める予定です。

 参考に、テーマ設定のコンセプトには、一案として「同時代言説の言葉の海の中へ」が提示されています。創造的かつ刺激的なテーマ設定に関する御意見をお寄せ下さい。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

ホームへ戻る物語研究会のページ物語研究会99最新情報合同シンポジュームメインページ合同シンポ Ver.01合同シンポ Ver.03