ミラノ・ピッコロ座

カルロ・ゴルドーニ作
ジョルジョ・ストレーレル演出

「アルレッキーノ」 ―2人の主人を一度に持つと―

アルレッキーノ:フルッチョ・ソレーリ
パンタローネ:ジョルジョ・ボンジョヴァンニ
クラリーチェ:ピア・ランチョッティ
イル・ドットーレ:トンマーゾ・ミンニーティ
ベアトリーチェ:ジョルジア・セネージ
ブリゲッラ:ジャンフランコ・マウリ
プロンプター:アリギエロ・スカーラ


1999年10月26日 新宿文化センター



(今日も終演後、ハヤシライスを喰ひつつ語らふ猫ども)

ガンバ: 新宿文化センターはすごく不便なところだけど、出かけた甲斐があったわねぇ。

CoCo: もぐもぐ。ふがふが。そ、そ、そうですニャー。なかなか面白い芝居でした。まず、開演のベルも鳴らず、客電もまだ明るいうちに一人の老人が舞台の袖から蝋燭を持って登場。「腰が痛い」とか、「明かりは大切にしましょう」といったことをブツブツつぶやきながら、緞帳の前に並べられた十数本の蝋燭に順番に灯をともしていきました。これとともに客電が少しずつ落ちていって、最後は蝋燭の灯だけになりましたニャー。

ブチッケ: 蝋燭でプロセニアムの効果を演出したようですニャ。ここから奥は祝祭空間ですよ〜ってね。それで、このおじいさん自体も人間プロセニアムの役割をしていて、そのまま分厚い台本を持って舞台の脇にある椅子にどっかと腰を下ろし、「第一幕第一場、パンタローネの屋敷の一室」ってなことを言ってから、太い杖で床を“ドドドド・ドン・ドン・ドン”と叩く。

デデ: あれはリュリ先生がお亡くなりなる原因となったあの杖ですニャー。当時は指揮者もあの杖を使ったそうだ。あのおじいさんはそのまま、プロンプターのようなふりをして、客席と舞台との間に立って、一種の狂言回し的役割をしていましたニャー。幕が上がるといきなり楽器がブンチャカ・ブンチャカ、にぎやかなダンスシーンだったね。

ガンバ: 照明は最初に灯された蝋燭が主体で、電気の照明も基本的に蝋燭の色で通していたわね。この柔らかな照明がステキだったわ。ヴェネチアという場所を意識したのか、たまに水色が混ざることもあったけど。ストーリー自体は実にたわいないものなんだけど、役者の体当たりの演技がすごかったわねぇ。

ブチッケ: そうですニャー。物語は本当にたわいないドタバタ喜劇でやんすニャー。例えば、「フィガロの結婚」の第二幕を簡単に要約せよって言われると、すごく困ったことになるわけですが、この芝居を要約するには同じような難しさがありますニャ。まあともかくアルレッキーノという召使いを生業とする人間が、同時に同じ旅館に泊まり合わせた2人の人間に仕える羽目になるという設定だと言ったらいいんでしょうか。ムニャムニャ。

CoCo: いつもお腹をすかしていて、飯を食わせてくれるんなら、誰にでも仕えてしまうって感じかニャ。ちょうど、モンテヴェルディの「ウリッセの帰還」に登場する狂言回し、えーと、誰だっけ、あの有名なデブ。

ガンバ: デデでしょ。

デデ: ちゃうでぇ。イーロだす。

CoCo: そうそう、あのイーロの役回りにそっくりですニャー。

ガンバ: アルレッキーノはフランス語で発音するとアルルカン、英語風に発音するとハーレキンかハーレクインでしょ。まさに、典型的な道化よね。

デデ: それそれ。この芝居を書いたゴルドーニは18世紀の人だけど、この手の道化芝居は一般にコメディア・デラルテって呼ばれますニャ。17世紀初め頃に起こって、ものすごく流行したらしい。ただこの世紀の後半には新しく起こったオペラに押されて、フランスに流れていき、劇団はフランス宮廷にも召し抱えられたりして、パリやヴェルサイユが本場になってしまったらしいね。モリエールの師というのも実はコメディア・デラルテの俳優だったそうで、その意味ではフランス演劇の原点でもあるわけですニャー。で、その芝居の中身だけど、アルルカンとか、ドットーレとか、ベアトリーチェとか、パンタローネとか類型的な人物が登場してドタバタを繰り広げるわけですニャー。

ブチッケ: そのドタバタが並大抵じゃない。本当に鍛え抜かれた肉体と演技と、そしてせりふ回し。どれをとっても一分のすきもないでげすニャー。

デデ: そう、その通り。デラルテのアルテというのは、芸術という意味のアートじゃなくて、職人業という意味のアートなんだ。あの時代は王侯貴族も素人芝居をよくやったらしいけど、そうじゃなくて、専業の役者がやる芝居ということだったらしい。当時の役者は文盲が多かったらしいけど、例えば盲目のホメーロスが何万行もの詩句を朗唱したように、コメディア・デラルテの役者も修行時代に、常套的なせりふ回しを徹底的に叩き込まれたらしいんだ。だから、一度芝居が始まってしまうと、大雑把なストーリーの枠内で、いくらでも即興的に物事が展開していったわけ。

ガンバ: ふーん。そうなのかぁ。そう言われれば、せりふ回しと仕草が妙に様式化された感じもしたニャー。でも、歌舞伎みたいに一部死にかけているってところがなくて、終始生き生きとしていたわね。それと、あの、イタリア語の音楽的なこと。どちらかというとピッチよりは強弱のアクセントなのかな。すごく気持ちよかった。

CoCo: イタリア語がわからないから最初はどうなるか心配だったけど、一応ストーリーさえ頭に入れておけば十分に楽しめる舞台だったね。特に第2幕で2人の主人が別の部屋で食事をする場面。アルレッキーノは同時に両方の給仕をしなけりゃならないから、もう体がいくつあっても足りない。上手からも下手からも「アルレッキーノ!」と呼びつけられて、あっち行ったりこっち行ったり。舞台上を食べ物や皿が飛び交って、さながらサーカスの軽業って感じでしたニャー。

ブチッケ: あの場面は、「セビーリャの理髪師」のフィガロを彷彿とさせますニャ。「おー、フィガロ、フィガロ、フィガロ、フィガロ、・・・・」ってやつね。

デデ: そう、まさにそこですニャ。つまり、少なくとも現在実際に舞台に上る形としては、イーロから始まりアルレッキーノを経て、フィガロに至るという道化の系譜が見て取れるわけです。ただ、空腹を満たしてくれれば誰にでも仕えるというイーロやアルレッキーノとは異なり、フィガロはかなりのインテリですが。

ガンバ: セリフの細かいところまではとても聞き取れなかったけど、相手の言葉尻を捉えて、奇妙にねじ曲げて、シュールなユーモアを感じさせるってところは、マルクス兄弟のグルーチョでしたっけ、あの感じに似ているわね。

ブチッケ: そうそう、コメディア・デラルテ自体はずっと前に滅んでしまいましたが、その芸風はサーカスの道化や曲芸の中で生き続けていたわけですニャ。今世紀になって、マルクス兄弟や初期のチャップリンなんかがこの芸風を“再発見”したってことですニャ。

ガンバ: とにもかくにも、祝祭的興奮を満喫したわ。最後に客席と舞台とを区切っていた蝋燭が一つ一つ消されて、その直後、2人に仕えていたことがばれたアルレッキーノがドタドタ逃げ回るでしょ。そして、舞台から客席に降りる階段を壊して、客席を走り回る。まさに捨て去るべき梯子ね。一同彼の後を追いかけ回して、文字通り客席と舞台の垣根がなくなるわけね。

CoCo: おほん。まさに近代を予感させる終幕ではありましたニャー。



デデの小部屋(ホームページ)に戻る

音楽の小部屋に戻る

ボクの小部屋が気に入った、または
デデやガンバに反論したい、こんな話題もあるよ、
このCD好きだニャー、こんな演奏会に行ってきました等々、
このページに意見をのせたいネコ(または人間)の君、
電子メールsl9k-mtfj@asahi-net.or.jpまで お手紙ちょうだいね。
(原稿料はでないよ。)