乳幼児心理学のあれこれについて

  • 「三才までは母の手で」について
  • 母性神話おそるべし
  • エリクソンの危機理論の話
  • 児童虐待と児童福祉法の改正
    目次 おたより

    「三才までは母の手で」について

    「三才までは母の手で」というのは、第二次世界大戦後の 戦災孤児収容施設を 調査した児童精神医J.ボゥルビーが言い出しました。 彼が調査した施設に収容されていた子供たちには、 ホスピタリズムと呼ばれる一連の心身の発達に問題が出る症状が 現れていたのです。 ホスピタリズムは、三才未満児に顕著に現れていました。 彼はホスピタリズムの原因は、「母性的養育の欠如」であると 結論づけかつ、その悪影響は生涯におよぶと述べました。

    当時の施設は、看護婦一人で15〜20名の乳児を機械的に世話する、 というものでした。 現在の日本の保育園では、一人の保母で3名の乳児を世話します。 また、母性的養育(やさしく声をかける、スキンシップなど)の 重要さを意識した保育が行なわれます。 ボゥルビーの報告をそのまま、現在の日本の保育園に 当てはめることはできません。

    で、現在の日本の保育園の保育レベルはどうかというと、 家庭の保育に遜色ありません。 都会の核家族につきものの、専業主婦の母親が狭いマンションで、 子供と二人きりで過ごす密室育児だの、公園デビューだのに 無縁な世界もそこにあります。 逆に最近では、生後四ヶ月からの集団保育の実施を推奨する動きも出てきます。
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    母性神話おそるべし

    「母子関係の心理学」(依田明著、大日本図書)という本の 68ページ中に、 「父親や祖父母が子供の世話をすると、複数養育によって ホスピタリズムになる」旨の記述があります。 今のところ、この話をした相手からは「正気とはおもえん」とか 言われているので、少し救われた気分です。
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    エリクソンの危機理論について

    ゆりかごから墓場まで、人生いつでも、年齢に応じた岐路に立っているのです。

    岐路の中でもっとも有名なのは、0歳台の「信 対 不信(trust vs mistrust)」でしょう。

    「お腹が減った」「おむつが汚れた」「遊びたいよ」 などと乳児が泣きます。 保護者が適切な対応をして乳児の欲求不満が解決するとき、 乳児は「信」を学習します。 保護者が適切な対応をしなかったり放置して、乳児の欲求不満が解決しないとき、 乳児は「不信」を学習します。

    乳児が学習した「信」が「不信」より十分に大きいとき、乳児は世の中は 信頼していいものだ、自分がここにいていいものだ、と学習します。 逆に「不信」の方が大きいとき、乳児は世の中は信頼できないものだ、 ここは自分のいるべきところではない、と学習します。

    さてエリクソンは、「不信」の効用も強調します。 「信」が「不信」より大きすぎたとき、乳児は世の中を信頼しすぎてしまいます。 用心するということを学びません。 ただし、普通はこうはなりません。 乳児が泣いても、母親は晩御飯の支度で忙しいかもしれません。 上の子の世話でてんてこまいかもしれません。 泣き続ける乳児を放置せざるをえない状況はたびたびあります。 かくて、乳児は適当に「不信」を学んで、能天気にならずにすむわけです。
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    「三才までは母の手で」について

    「三才までは母の手で」というのは、第二次世界大戦後の 戦災孤児収容施設を 調査した児童精神医J.ボゥルビーが言い出しました。 彼が調査した施設に収容されていた子供たちには、 ホスピタリズムと呼ばれる一連の心身の発達に問題が出る症状が 現れていたのです。 ホスピタリズムは、三才未満児に顕著に現れていました。 彼はホスピタリズムの原因は、「母性的養育の欠如」であると 結論づけかつ、その悪影響は生涯におよぶと述べました。

    当時の施設は、看護婦一人で15〜20名の乳児を機械的に世話する、 というものでした。 現在の日本の保育園では、一人の保母で3名の乳児を世話します。 また、母性的養育(やさしく声をかける、スキンシップなど)の 重要さを意識した保育が行なわれます。 ボゥルビーの報告をそのまま、現在の日本の保育園に 当てはめることはできません。

    で、現在の日本の保育園の保育レベルはどうかというと、 家庭の保育に遜色ありません。 都会の核家族につきものの、専業主婦の母親が狭いマンションで、 子供と二人きりで過ごす密室育児だの、公園デビューだのに 無縁な世界もそこにあります。 逆に最近では、生後四ヶ月からの集団保育の実施を推奨する動きも出てきます。
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    母性神話おそるべし

    「母子関係の心理学」(依田明著、大日本図書)という本の 68ページ中に、 「父親や祖父母が子供の世話をすると、複数養育によって ホスピタリズムになる」旨の記述があります。 今のところ、この話をした相手からは「正気とはおもえん」とか 言われているので、少し救われた気分です。
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    エリクソンの危機理論について

    ゆりかごから墓場まで、人生いつでも、年齢に応じた岐路に立っているのです。

    岐路の中でもっとも有名なのは、0歳台の「信 対 不信(trust vs mistrust)」でしょう。

    「お腹が減った」「おむつが汚れた」「遊びたいよ」 などと乳児が泣きます。 保護者が適切な対応をして乳児の欲求不満が解決するとき、 乳児は「信」を学習します。 保護者が適切な対応をしなかったり放置して、乳児の欲求不満が解決しないとき、 乳児は「不信」を学習します。

    乳児が学習した「信」が「不信」より十分に大きいとき、乳児は世の中は 信頼していいものだ、自分がここにいていいものだ、と学習します。 逆に「不信」の方が大きいとき、乳児は世の中は信頼できないものだ、 ここは自分のいるべきところではない、と学習します。

    さてエリクソンは、「不信」の効用も強調します。 「信」が「不信」より大きすぎたとき、乳児は世の中を信頼しすぎてしまいます。 用心するということを学びません。 ただし、普通はこうはなりません。 乳児が泣いても、母親は晩御飯の支度で忙しいかもしれません。 上の子の世話でてんてこまいかもしれません。 泣き続ける乳児を放置せざるをえない状況はたびたびあります。 かくて、乳児は適当に「不信」を学んで、能天気にならずにすむわけです。
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    児童虐待と児童福祉法の改正

    児童福祉法の保育所入所の要件を記述した24条が、大幅に変更された。 以下に、新設された条項の一つ、第4項を示す。

    市町村は、福祉事務所長または児童相談所長から保育の実施が適当であるとの 報告・通知を受けた子供について、その保護者に対し、保育の実施の申し込みを 勧奨しなければならない。

    条文からすると、福祉事務所・児童相談所が、児童虐待を受けている子供を 保育園に引っ張っていくことができるようになったようだ。 この24条4項はもっとPRされていい。 と書くと、「育児放棄した母親がパチンコにはまるのを助けるとはけしからん」 という声が聞こえてきそうだ。

    保育園の質はしばしば問題になるが、母親の質はなぜか問題にならない。 母親は母親であるというだけでベストな保育をすると思われているようだ。 これが「母性信仰」というものである。 母親も人間で、ストレスもたまればノイローゼにもなるという、 当たり前のことを忘れた教条主義だ。

    ちなみに、いろんな職業の人間が、業務上感じるストレスを測定する、という 実験があるそうだ。母親が育児で感じるストレスはしばしば、重要な決定を おこなう経営者に匹敵し、アクセルを踏み込む瞬間のスタントマン、 降下する瞬間の落下傘兵なみのストレスも時折感じるという。

    話をパチンコに戻すと、子供を家や車の中に放置して母親がパチンコにはまる場合、 子供を保育園で預かる必要はある。 数時間も家や車の中に乳幼児を放置するのは、「放置(neglect)」と呼ばれる タイプの立派な虐待だ。 子供は虐待から守られなければならない。将来の人格形成に悪影響を及ぼす恐れもある。 また虐待された子供は、自分が親になったときも虐待をする可能性が高い。

    そして、虐待をする母親も、何かしらの問題を抱えている。 できれば子供が昼間、保育園に通っている間、カウンセリングが受けられるとよい。
    続く
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