最終更新日: 1999年2月14日(日)
とりあえず、フルセットが手に入るかもしれないので、昼休みに職場の近くにある東区役所に行ってみることにした。来世紀から、職場は西風新都に移転する予定である。沼田じゃこんな芸当も無理だな。きっと、本屋も図書館もないに違いない。その前に、保育園と学童保育はできるんだろうか。我が家の一番の心配事である。
どこの係に行けばいいか受付の前で悩んだが、2Fの「まちづくり推進課」に行ってみることにする。声を掛けると、薄い冊子をくれた。部数がないが、一部ならくれるという。
表紙には、ホッチキスの針の痕が、2組残っていた。おそらく、課内回覧した時の回覧用紙を留めた時の痕だろう。こんなものをくれるなんてなんて無神経なと思ったが、いかにも役所らしいと思ったので、そのままありがたく頂戴することにした。
川崎市のエンゼルプランは、きれいなパンフレットがあって、ご意見葉書がついていると聞いていた。役人の前でパラパラめくったが、市民の意見を聞くとかいう記述がどこにもない。
「あのー、これ、コメントしようと思ったら、どこにコメントすればいいんですか?」
「それぞれの課にお願いします。例えば保育園のことでしたら、上(3Fの児童福祉課)にお願いします。」
「とりまとめとかはしていないんですか?」
「こちらは単に冊子を持っているというだけです。一応ここ(広島市社会局児童福祉課)がまとめています。」
うへえ。
「広島市児童育成計画」のページについて、広島市役所のウェブマスターにメールを出した。文面は以下の通り。
東区に住む、二児の母の会社員です。「広島市児童育成計画」なる広島市版エンゼルプランがあることを、このページではじめて知りました。エンゼルプランのターゲット層であるわたしがそれまで知らなかったくらいだから、よっぽど広報が足りなかったんでしょうね。
このプランの内容はさておいて、三点苦情があります。
一点目。
このページを見ても、どこの部署が問い合わせ先なのかすらわからない。問い合わせ部局名と電話番号くらいは、書いておくべきでしょう。児童育成計画のパンフレットは区役所で手に入れて(でも印刷部数は少ないと言われた)、やっとわかりましたが。二点目。
「お知らせ」のコーナーにある、障害者基本計画、老人保険福祉計画、児童育成計画は、広く市民の声を聞かなければ、まともなプランになるはずはありません。せっかくインターネットで公開しているのですから、市民が書き込むことのできる掲示板は設置するべきでしょう。
三点目。
一般市民には、これらのプランの策定プロセスですら知らされていません。最近では、国の審議会の議事録の多くが、インターネットで公開されており、それを見て政策の根拠を知ることができます。しかし、広島市児童福祉審議会の中で、どのような話題が出たのかすら知るすべがありません。ぜひ、市議会および審議会の議事録の、議事録の項界をお願いしたい。
以上、対処をよろしくお願いします。
中国新聞に、児童育成計画について報道した記事があれば日付を教えてほしい、というメールを書いた。
昼休みに、広島保育団体連絡会(TEL: 082-247-1865)に電話をかける。 計画についての取り組みは特にないという。 とりあえず、計画についての疑問点のうち、「一時保育のニーズが高いのに具体的な取り組みが見えない」「西風新都に保育園を作る計画がないこと」について話す。それから、広島市の待機児事情について、少し話をした。
「東区の秋山さんというと、『ちいなか』取っている人ですか?」
おそるべし。これだけで身元が通じてしまった。
とりあえず、職場の電話番号と、わたしの保育問題ページのURLを伝えた。
8/26の18:30から市役所14Fで、「豊かな保育をすすめる会」が市役所の保育課に対して要望書を提出するから来ないかと、誘われた。興味のある人は集まりましょう。
中国新聞から返事のメールが来た。広島市児童育成計画の策定過程で簡単に報じたことはあるが、計画の概要が分かるような記事は書いていないとのこと。うまくツンツンして記事を書いてもらえないかなあ。
広島市役所からも返事のメールが来た。感心感心。
昼休みに区役所に行く。児童育成計画のパンフレットはやはり存在しないようだ。広島区役所のサイトをのぞくと、連絡先が書いてあった。よく見ると、「社会局児童福祉課」のはずが「市民局児童福祉課」になっている。またウェブマスターにメールを書いて、誤りを指摘して直してもらった。
いつの間にか、区役所の福祉課に、ファイルが3冊並んでいた。それぞれ、「保育園(東区)」「保育園(東区以外)」あと一冊は忘れた。(^^;)各保育園の入園案内が閉じ込んである。広島光明学園の入園案内は、いかにもパソコンのカラープリンタで出しました、という感じだ。ホームページと共用しているのだろうか。しかし、保育目標が唯一書いていないのが、うちの子達が通うあけぼの保育園だ。情けない。
もう一冊のファイルには、保育園を追い出される条件(保育料踏み倒し、育休、etc...)やら、保育園入園の優先順位などが閉じ込んであった。「おお、これは貴重な資料だ。広島市の保育データのページに打ち込もう」と思って、コピーを申し込んだら、拒否されてしまいました。えーい、紙と鉛筆持参で優先順位だけでも書き取ってしまえ。と思ったが、休み時間がもうすぐ終わるので、職場に戻ることにした。
数日前に
会社でも保育園でも、誰も投書に気が付かなかったようだ。広島市児童育成計画の認知度を上げようという作戦は、のっけから失敗してしまいました。(-_-;) ブロック紙への投稿が一発で採用されたところまでは見事だったが、やはり世の中は厳しかった。(^^;)
「豊かな保育をすすめる会」の、市への要望書提出に出席した。
広島保育センターの人に、公立園親の会の会長さんを紹介してもらった。
自己紹介をして連絡先のメモを渡し、「日曜日の中国新聞の投書欄に載っているんでよろしく」と言った。
要望書の概要は以下の通り。
あんがい行政はまともだった。さすがしっぽをつかまれないために、言葉づかいは用心深い。(笑)
広島市の保育事情も、保育事情で切実に困っている保育園や親についても、よくわかった。
だが、家庭で育児をしている親にも配慮して欲しかった。
お役所的だなと感じたのが、「需要が動くので読みにくい」という発言だった。
「一時期は、わかくさに入れなくてたいへんだったのが、このごろではそうでもない」というが、これはとっても当たり前のことだと思う。
わたしの職場はわかくさ保育園のすぐ側にあるから事情はよく分かる、
わかくさ保育園は、広島駅にもっとも近い保育園である。
すぐ側に、光町というオフィス街がある。
親は、家の近所か職場の近所のどちらかで保育園を探す。
95年から公立園でも延長保育をする園が出てきたが(94年に自治労が延長絶対反対を取り下げたからだ)、
私立園の少ない広島市では、延長保育をする園はごくごく少なかった。
広島市の保育園の通常保育時間は17:45までだから、家の近所の保育園ではフルタイムで働く親がまず利用できるはずはない。
(よくやっているよなあ > 我が家)
かくて職場近くのわかくさ保育園に希望者が多かった。
しかし現在では、延長保育をする園が増えたので、わざわざ職場の近くまで子どもを連れてくる必要がなくなったのだ。
この程度で読みにくいなんて言ってもらっちゃ困ります。(笑)
話し合い終了後、「日曜日の中国新聞の投書欄に児童育成計画について書いた秋山です。」と、児童福祉課一同をつかまえた。
さすがにこの面々はあの投書を読んでいた。
いろいろ言いたいことはあったが、とりあえず三点に絞った。
会議室を出ると、一人の保母さんが追いかけてきて、保育運動をやっているか、とかどこで勉強したのか、とか聞かれた。
この保母さんも、中国新聞の投書には気が付いていなかった。
広島保育センターから、ちいなか三月号と「ひとりぼっちじゃないよみんなで子育ち親育ち」なるイベントの案内が送られてきた。
主催は「これからの子育てを考えるアンケート実行委員会」とある。
広島市児童育成計画と関係はあるのだろうか。
問い合わせが自治労連広島(082-243-9240)ということで、いわゆるバリバリの運動系とお見受けした。
2/21の10:00-12:00、東区民センターホールで開催。出てみるか。
児童育成計画 もっと議論を
1.40。これが広島市の出生率です。少子化対策として国が作成したエンゼルプランの一環として、この春に広島市は、「児童育成計画」を発表しました。
さてこの計画について、どれだけの人が知っているでしょうか。広島市は、市の広報誌とインターネットに、簡単な案内を載せたのみで、計画の広報パンフレットすら作成していません。
区役所で児童育成計画について尋ねたところ、何十頁もある資料を頂きました。しかし、発行部数が極めて少ないということです。
ざっと目を通したところ、いくつも問題点を見つけました。一時保育の要求が非常に高いというアンケート結果が出ているのに、対応が弱いこと。人口十万人をめざす西風新都に、一つも保育園を作る予定がないこと。学童保育が既に足りない地域での、拡充の計画がないことなど。
広島市を子供が産み育てやすい街にするには、多くの育児中の親の声を集めて、市政に反映させることが必要です。パンフレットを各児童館・幼稚園・保育園・産婦人科に置き、託児付きで説明会を開いて議論する程度のことは、最低でも必要ではないでしょうか。
1998年8月24日(月)
1998年8月26日(水)
2,3項目ずつ、「豊かな保育をすすめる会」の各メンバーが項目について補足説明を行う。
それに対して市の児童福祉課一同からコメントをする。
正式回答は、後日文書で行う。
児童福祉課一同、と言っても、しゃべるのは着任二年目という課長で、他の人はほとんど黙っていた。
ぎっしり二時間、90人が集まった会議室で、密度の強い話が続いた。
とりあえず言うべきことは言った。
1999年2月14日(日)