鑑真和上廟
Shrine of Jian Zhen

「鑑真が寂したのは、唐招提寺ができてから四年目の天平宝字七年の夏であった。」(井上靖「天平の甍」) 鑑真は結跏趺坐して西に面して寂し、大和朝廷の使者が鑑真の死を故国中国・揚州の諸寺に伝えたところ、僧は皆、東に向って3日間哀悼の意を表したとのことだ。
この年には道鏡が少僧都となり、翌年は道鏡の政敵、藤原仲麻呂が殺されるなど、政情は混迷を深めていく。
廟に向かって左の池のほとりには、井上靖さんの「天平の甍」の碑が静かに佇んでいる。
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