石の観音像
Stone Kannon statue

東慶寺は、いわゆる「縁切り寺」として知られている。寺が「松が岡御所」と称され、鎌倉尼五山第二位の格式を得たのは、後醍醐天皇の皇女である用堂尼が第五世住持として入山したことによるとされる。縁切りとは夫婦関係に限らず、養子縁組の解消や奉公人の解雇、家族関係の断絶など広範囲にわたり、東慶寺は多様な訴えに応じて調停を行った。この寺は、室町期から明治初年に至るまで、女性が自力で離縁を求めることのできた唯一の公的機関だった。   次へ