恭仁京跡
The old site of Kuni-kyo

日没までに少し時間があるので、恭仁京跡に寄ってみた。聖武天皇は天平12年(740年)に奈良からこの地に遷都した。藤原広嗣の乱の直後だ。ここは聖武帝の祖母の元明天皇の離宮があったところだから、馴染みがあったかもしれない。また、南山城は藤原家と競っていた橘諸兄の拠点だったこともあるだろう。
逃げてきたのか、あるいは諸兄を頼って世を変えようとしたのか。いずれにしても、ここは木津川に守られた要害の地であり、都を作るには狭いが、心安らかに暮らすにはとてもいい所だ。
万葉集に、「久邇の新京を讃むる歌」がある。その一つ。
「わが大君 神の命の 高知らす 布當(ふたぎ)の宮は 百樹成す 山は木高し 落ちたぎつ 瀬の音も清し 鶯の 来鳴く春べは 巌には 山下光り 錦なす 花咲きををり さお鹿の 妻呼ぶ秋は 天霧ふ 時雨をいたみ さ丹つらふ もみち散りつつ 八千年に あれつかしつつ 天の下 知らしめさむと 百代にも 易(かは)るべからぬ 大宮處」(万葉集巻六)       次へ