景行天皇陵
Ancient tomb of Emperor Keikoh

桜井市巻野内からの景行天皇陵(渋谷向山古墳)。景行天皇四年の冬11月に美濃から還幸しこの纏向に都を作ったとある。天皇は専ら九州を平定し、子の日本武尊は九州に次いで東国を攻めた。天皇が九州の日向にあるとき、この纏向日代宮のある大和をしのんでかの有名な思邦歌(くにしのびのうた)を詠まれた。
「愛(は)しきよし 我家(わぎへ)の方ゆ 雲居立ち来も
 倭は国のまほらま 畳づく 青垣 山籠れる 倭し麗し
 命の 全(まそ)けむ人は 畳薦(たたみこも)平群の山の 白樫が枝を う華(うず)に挿せ 此の子 」(日本書紀巻第七)     次へ