伊美別宮社
Imi Betsugusha-Shrine

伊美八幡は八幡さんの「総本家」の宇佐神宮からではなく、遠い京都の岩清水八幡から勧請された。岩清水はもちろん宇佐の勧請だから、伊美八幡は宇佐の孫(表現が適切かどうかは別にして)ということになる。伊美が宇佐八幡の神宮寺である弥勒寺の領地で、これが岩清水に寄進されたことによるらしい。勧請されたのは仁和2年(886年)で、平安遷都から92年後、藤原基経が初めて関白となる前年のことだ。ほどなく遣唐使が廃止され、菅原道真が政界に登場する。岩清水の宇佐からの勧請を奏請したのが奈良大安寺の僧行教で、彼が紀氏の出身だったことから紀氏が近畿から国東に進出することになる。岐部氏、櫛来氏は紀氏の一族として今も続いている。一方の有力な氏族の竹田津氏、伊美氏は日田出身であり、中央と地方の名族がここで交差したことになる。2003年8月15日、久しぶりの晴天。境内は蝉の声に包まれている。