日吉大社の鳥居
The Torii in Hiyoshi-taisha Shrine

日吉大社は「山王総本宮 日吉大社」である。「山王」の名の由縁ははっきりしないが、叡山との神仏習合が契機で名づけられたことは間違いない。鳥居の形が「山王」と読めないだろうか。もともとの神は「古事記」の神代巻にある「大山咋神」で、東本宮の神である。その後天智天皇が白村江で唐・新羅連合軍に敗れた4年後、天智7年〔667年)に都を大津に遷し、翌年三輪山に坐す大神神社の大物主神をここに勧請した。これが西本宮になる。
天智8年は、琵琶湖東岸の蒲生野に遊猟をし、額田王と大海皇子との万葉集に残る名歌が詠われた年にあたる。天智としては壊滅的な敗戦と大陸の脅威に怯えて遷都を行い、心の支えとして三輪山の神をここに呼んだのであるが、折も折、遊猟の宴会で恋人の額田が「野守は見ずや君が袖振る」と言えば、弟は「人妻ゆえにわれ恋めやも」とぬけぬけと言う。天智としては公私ともに溜息の出るようなつらい時期だったと思う。