大神神社
Ohmiwa-Jinja Shrine

大神(おおみわ)神社の社名は明治からのもののようで、古くからの名前ではない。三輪山そのものがご神体であり、その人格神が「大物主命」だ。古代の人はそのまま「三輪の神」と呼んでいたのではないだろうか。三輪山を神としたのは「ミワ族」だったようで、大物主命は「国つ神」だった。
天孫族の崇神帝がこの地を支配したときにこの神を天孫系に取りこもうとしたが叶わず、征服した「ミワ族」の末裔を祭祀させたところ神の怒りが鎮まったと、日本書紀にある。天孫系の神は天照大神であり、近くの「笠縫」に祀り、後に伊勢に移り伊勢神宮となった。つまり三輪神社は伊勢神宮よりもはるかに古いことになる。当然神殿はなく、この拝殿が作られたのも三輪神社の歴史から見ればついこの前と言っても良い寛文四年(1664年)にすぎない。

万葉集には三輪または三輪山を詠った歌は8首ある。

「味酒(うまさけ)三輪の祝(はふり)がいはふ杉手触れし罪か君にあひがたき」(丹波大女郎 巻四 712)
「味酒三輪の祝が山照らす秋のもみちの散らまく惜しも」(長屋王 巻八 1517)
「三諸つく三輪山見れば隠口(こもりく)の始瀬に檜原おもほゆるかも」(巻七 1095)
「春山は散り過ぐれども三輪山はいまだ含めり君待ちかてに」(巻九 1684)
「いにしへにありけむ人もわがごとか三輪の檜原に挿頭(かざし)折りけむ」(巻七 1118)
「往く川の過ぎにし人の手折らねばうらぶれ立てり三輪の檜原は」(巻七 1119)
 1118、19の二首は人麻呂歌集にあるが、人麻呂の歌のようには思えない。

やはり次の額田王の歌が三輪山の存在感をくっきりと示してくれる。
「味酒 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山の際(ま)に い隠るまで 道の隈 い積るまでに つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見さけむ山を 情(こころ)なく 雲の 隠さふべしや」
「三輪山をしかも隠すか雲だにも情あらなむ隠さふべしや」(巻一 17,18)      戻る