三重塔と本堂
Three storied pagoda and Main hall

岩船寺は鎌倉時代から興福寺一乗院の末寺だったが、明治14年、廃仏毀釈の混乱の頃に、浄瑠璃寺とともに真言律宗西大寺の末寺になった。
「興福寺の僧たちは春日大社の神職にさせられ、興福寺は廃寺同然になった。この時期に、五重塔が、わずか二十五円で売りに出されたのである。」(司馬遼太郎「街道をゆく」)興福寺は末寺を擁護するどころではなかったに違いない。
本堂でご本尊の阿弥陀如来坐像を参拝した。みごとな丈六仏で、周囲を四天王が護っている。本堂奥の普賢菩薩像、十一面観音像も拝見した。
本堂は1988年に再建した。国の援助を受けず、材は木曽檜を使ったとのこと。ご住職の植村さんは、「国の援助に頼れば、基準にしたがってご本尊をコンクリートの中に閉じ込めることになってしまう。安置する雰囲気が大事ですから、国に頼らず、檀家を中心に独力で再建しました。」と穏やかに語った。「檀家はわずか36軒ですから、それは大変でした。」とも。
寺を辞するとき、ご住職は本堂前の庭木の枝に鋏を入れていた。  戻る