飛鳥寺
Asuka-dera Temple from Iruka-zuka

入鹿塚からの飛鳥寺。先ほどまでここにいた修学旅行の女子高生の一群の嬌声が塚の周辺にまだ漂っている。飛鳥寺は推古天皇5年(596年)創建の日本最古の寺で、寺名を法興寺、元興寺とも呼んだ。鞍作止利が作った日本最古の本尊の飛鳥大仏は後補が拙いため、痛々しいお顔になられているのが非常に残念だ。土門拳さんが「初めはとても撮影する気が起きなかった。」と語っていたとのこと。無論、止利仏師や飛鳥寺の責任ではなく、蘇我氏滅亡後の荒廃と二度の火災が原因である。本尊はまた、堂の正面に対してやや斜めを向いておられる。ご住職さんに理由をうかがったら、「本当のところ、どういうことかは分かりませんが、一説では太子さんの生まれた橘寺の方を向いているとも言いますね。」とのことだった。

この地は「真神が原」といい、万葉集には柿本人麻呂の高市皇子への挽歌(巻二 199)、舎人娘子の雪の歌「大口の真神の原にふる雪はいたくなふりそ家もあらなくに」(巻八 1636)、巻十三の相聞歌「大口の真神の原ゆ思ひつつ還りにし人家に到りきや」(3268)とその反歌「還りにし人を思ふとぬばたまのその夜は吾も寝(い)も寝かねてき」(3269)がある。
世阿弥作と伝えられる能「飛鳥川」の舞台がどこかは定かではないが、川はこの飛鳥寺と甘樫丘の間を北に向って流れていて、この辺りから田園も広がっている。別れ別れになった母を訪ねる子供が吉野から都に帰るときに田植女に話しかけられ、それが母とわかる物語だが、その舞台としてもおかしくはない。      次へ