●●6月10・11日の再生YMOドーム公演の後、幸宏さんはどうしてたんですか。
「ぼちのち釣りに行ったり―こないだ死にかけたの、和歌山で磯釣りだったんだけど、台風の翌日で。ちょっと危なかったですね、危うく新聞の記事になるとこだった(笑)」●●洒落になりませんねえ。
「あと、社長業(←高野寛も所属する「オフィス・インテンツォ」)やったり―今日は税務署の調査が入りましたけど(笑)。まあ定期的に入るんですけどね」●●肝心のミュージシャン業務は……。
「とりあえず映画音楽作ったんですよ、椎名誠監督の『あひるのうたがきこえてくるよ』ので、その上映会に付き合ったり。でも音楽はやってないですね、それぐらいしか」●●軽く言い放ちましたな。精神的リハビリの意味を持った休息ですかね。
「えっと、あのね、どうしようかなと思って。自分のソロに入るにしても、何やるか考えなきゃいけないし。スティーヴ(・ジャンセン/exジャパン)とのユニットも6曲録った時点で止まってて―英詞だし海外マーケット向きの作品だから、日本のレコード会社は渋るよね。ここらでヒットシングルを作って欲しいみたいで。当然の話ですけどね」●●その要望はやはり、90年からの「痛み三部作」の延長線上の楽曲を期待されてるんですかねえ。
「更にもっとわかり易いもんじゃないですかね(笑)。例えば僕の音楽を聴く人って、ファン以外は少ないわけでしょ。だけどそういう人を動かさないと、レコード会社は商売になんないわけだから。そこですよねジレンマは」●●でもそこで幸宏さん自身は、マスを見据えて作品を作ることに積極性や興味を持てるんですか。
「一時あったけど、今はそんなに無いですね。やんなきゃいけないなあとは思ってるけど。自分の演りたいものとマスが交差すればいいなあと思ってたんだけど、今一つそうはなり切れなかった。やっぱりどっかマニアックな要素が、僕にはあるんだろうね。それを断ち切るべきなのか、そうじゃないものを作ってみるべきなのか―だけど売れてる人達だって、実は本人はマニアックに作ってるつもりなんでしょ? でも計算で作るものはパワー持たないんでね、やっぱり。そこですよね、問題は。それが最高と信じてるものじゃないと、ヒットには繋がらないだろうし、大衆の心を動かせないだろうし」●●そこでマスを意識して作った音楽と、純粋な衝動で作った音楽の二つが存在するとするならば、再生YMOはどっちですか。
「マスは意識してないですね。周りは勝手な解釈してましたけど、僕たち三人にとっては完全に実験だったから。その内容は、現実のマスとは全くかけ離れたとこにあったと思うんですよね。レコード会社も無視しちゃいましたね。(鈴木)慶一がずっと言ってたけど、『あんなに無視したレコードは無い』って(笑)。レコード会社はもっと売れる作品を考えてたでしょうけど」●●『テクノドン』はレコード会社から聴き手から、周囲の期待を全て裏切った感はありますね(笑)。
「うん、演りたかったものに近かったです、だから。『なるほど、YMOだったらやっぱりこういう感じか』って思いましたね」●●具体的に言うと?
「役割分担がねえ、10年前と同じでした。どの曲にもコンポーザーとして絡んでるっていう(笑)。僕と教授(坂本龍一)、僕と細野(晴臣)さん、あとは三人の共作―僕はサポートが多くて。通訳ですね、僕(笑)」●●(笑)多いですわ、そういう役回り。(サディスティック・)ミカ・バンド再結成の時も、実作業を一手に引き受けてましたけど。何故にそうなっちゃうんですか。
「何故でしょうねえ(笑)。ま、YMOが揃っちゃうとテンション上がるし緊張感漲るんで、『まあまあまあ』って奴がいないと(笑)。円滑剤みたいなね」●●でもその役回りが、最も体力及び精神力を消耗しちゃうわけで。
「そうなんだよなー。だけど皆歳とったから、体力の限界があって―それが面白かったですよ」●●今回はお体大丈夫だったんですか。
「うん……終わった直後は結構痩せてたけど、しばらくして盛り返しました。でもあんまり体調良くない、相変わらず(笑)」●●……ミカ・バンド直後に較べれば、かなり体調良さそうですよねえ。
「あの時の方が辛かったですね。ミカ・バンドの場合は5人のバンドで―(桐島)かれんは曲書かないから4人か―小原(礼)と一緒に一所懸命まとめましたけど、でもミーティングとかあまりにもなされてなかったからなあ。作ってるものに対する自信が欠けてましたね。YMOの場合は徹底して詰めるんで、コンセンサスが見えてたからそんなに辛くはなかったですね」
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