Column●コラムのページです。

「竹喬の夕雲」

2008年6月18日・記

 コンビニの帰り道、夏至の頃は午後の7時を過ぎてもやっぱり
明るいなあと思いながらふと空を見上げると、小野竹蕎の絵に出
て来そうな夕焼けの雲がたなびいてました。携帯のカメラでは無
理だろうなあと思いつつ撮ってみたところ、意外や意外いい色合
いに写っていました。
 小野竹喬は日本画家の中で私の一番好きな画家で、特に一見稚
拙な形だけど、自分が幼い頃から見て来た様々な空を感じさせて
くれる雲が好きで、一時期ためつすがめつ画集を眺めていました。
 帰宅して早速、記憶していた絵を確かめたくて画集を繰って行
くとびっくりする程そっくりな雲でした。(この写真程ぼけてい
ませんが・・)薄いピンクの綿菓子を無造作に千切って水色の空
にばら撒いたような彩色素描画で、写真から電線と半月を取り、
画面下に2〜3本のすっとした梢を描き足すと、まさしくこの竹
喬の空になるなあと何だか嬉しくなりました。
 この絵のタイトルは「夕雲」で、それを見た時なんていい言葉
だろうと、今までこのタイトルを素通りして来た自分が悔しくな
りました。
 たった二文字なのに「夕雲」には夕方の空の色、気温、湿度、
音、それぞれの人の思い出など、全てを包み込むような膨らみが
あり、言葉としてもとても新鮮で、竹喬が芭蕉の「奥の細道句抄
絵」を描いた動機、感性に初めて触れることが出来たように思え
ました。
 これから夕方の散歩で素敵な雲に出会ったら「竹喬の夕雲」と
呟きそうです。


岡鹿之助展を観て

2008年6月5日・記


●美術館のディスプレイウインドウ
 岡鹿之助展を観にブリジストン美術館へ行って来ました。
 彼の絵は、同美術館の常設の部屋で左掲の写真の作品「雪
の発電所」を何回か観ただけで、いつかまとめて観てみたい
と思いつつも何故かきちんと出会えずに来ました。
 しかし第一展示室の最初の「信号台」という絵を観た瞬間、
これまで画集さえもまともに見なかった故にまっさらな状態
で彼の絵に対峙できる事を感謝したい気持ちになりました。
 岡鹿乃助という画家はこんな凄い絵を描いていたのか・・・
と呆然としてしまい、しばらく動く事が出来ませんでした。
これ程までに自分自身が画面に溶け込んでしまいそうになった
のは初めての感覚でした。
 「信号台」は彼がパリに渡った翌年の1926年、28才の時の
作品で、画家・岡鹿之助誕生ともいうべく記念碑的な作品であ
り、彼自身が「トリガステル描法」と名付け、後に、絵に迷い
が生じた時に幾度となく立ち戻る原点である、という事をカタ
ログの解説で知った時、この絵に感応した自分はまだ大丈夫か?
(最近ちょっと制作意欲が・・・)と、励まされたような気持
ちになりました。
 カタログと一緒に購入した「ひたすら造形のことばで」とい
う彼の著書も初めて読みましたが、その中に「私は形をつくる
ことに興味がある。それは色のマスによって形を定めてゆくや
り方で始めるから、色が形に先行するともいえる。以下、略」
という言葉を見つけた時、まるで自分が絵をつくる際一番大事
にしている所と同じだ!(岡鹿之助という巨匠に対しておこが
ましい言い方ですが・・)と増々彼の全てが自分の内部に沁入
ってくる嬉しさを感じました。
 岡鹿之助の絵、思想は今後の私の人生の
バイブルとなり
ました。


ルノワールの庭

2008年5月21日・記


 今年の4月、5月は雨がやたらと多くうんざりしていたが、
久し振りに気持ち良く晴れた日、密かに「ルノワールの庭」と
名付けている庭の側を通ったら、見事にバラを基調に色とりど
りの花が咲き誇っていました。(写真よりはもっと華やかなん
ですが・・・)
 この庭ではいつも老夫婦が揃って作務衣を着て、丹精を込めな
がら作業をしていますが、時々華奢な奥さんがプロの庭師顔負け
の力仕事をしているところに出くわすと、上品な雰囲気との落差
がカッコ良く、じっと眺めてしまいます。(決して、不審者じゃ
ないですからね!)
 この家の門、玄関上部の壁面全体にも何種類かの蔦バラを組み
合わせて這わせてありますが、微妙に開花時期の違いを計算して
あるせいか、長い間目を楽しませてくれます。
 私の亡くなった父親も庭いじりが好きで、特に一重のオールド
ローズを始め、様々な種類のバラを育てていました。
 そんな事もあって、周りにはたくさん綺麗な庭がありますが、
特別にこの老夫婦の庭が好きなのかもしれません。


初めての鳶?体験

2008年5月2日・記

 今、私の住むマンションに大規模修繕工事が入ってい
る。先日、三階の鉄柵部分が予想以上に疲弊しており、
住人を代表して視察をして欲しいとの要請を受け、外壁
に沿って組み立てられた足場を登る事になりました。
 塗り直す内外壁のペンキの色を決めた後、成り行きの
軽い気持ちで引き受けましたが、最初に登る二階までの
地面から垂直に伸びる梯子を見た瞬間、恐怖と後悔の念
が過りました。男一匹、後には退けぬと意を決して登り
始めると、パイプと梯子の接合部に荷造り用のナイロン
製のテープ(薄手の縦に裂けるタイプ)を結わえている
のが目に入りました。
 接合の要がナイロンのテープなの?と驚きと不安を感
じましたが、これはきっと職人さん達が経験から割り出
した、日々の自分達の命を確かに預けられる一番丈夫な
素材なんだと、不思議な信頼感が胸に広がりました。
 無事一段目の足場に立つ事が出来、三階まで冷や汗を
かきながら辿り着きましたが、側面を覆う蚊帳より薄い
ネットが安心感の強力な味方になる事に感心したり、ヘ
ルメットの安全性の威力を(足許ばかりに気を捕られ、
二度程思いっきり頭をパイプ、足場にぶつけた)思い知
ったり、いろいろな発見をもらえた面白い体験でした。

 
でも、もう二度と登りたくない・・・
 


もう初夏なんですね・・・

2008年4月26日・記

 時々側を通る小さな一軒家があっという間に、童話に
出て来そうなアイビーの館に変身していました。
 もう初夏なんですね。つい先頃まで体内の神経や血管
のような感じで、大小様々な枝だけが壁面を張り巡らせ
ていたのですが・・・
 毎年この家のアイビーで季節の移り変わりを確認してた
ような気がします。明るく柔らかい葉の色が夏に向かって
どんどん固く深緑に変わり、紅葉し、枯れ葉そして枝だけ
になり、また新緑になって行くのを見ながら。
 この変移を見る度に決まって思い出す映画のシーンがあ
ります。ダスティン・ホフマンとキャサリン・ロスが主演
した「卒業」の中の、二人の愛が破局した後、彼女を追っ
て彼女が通う大学の校門を、その真ん前に借りたアパート
の窓から彼が一年もの間じっと見続けるシーンです。
 画面のアングルも一個所に固定し、季節の変移だけを映
していました。バックにはサイモンとガーファンクルの歌
(Scaborough Fair)と(April Comes She Will)が
流れていたっけ。

 その時、私も二十才の大学生でした・・・
 

 


タンポポってライオンの歯だったの?

2008年4月17日・記

近所の空き地にタンポポの綿帽子がすっくという感じで生
えていました。惚れ惚れするようなその姿に思わず近寄っ
てしゃがみ込み、じっと見入ってしまいました。
蜘蛛や蜂の巣の幾何学性も凄いけど、この綿帽子の球体も
驚異的だなと思いながら、タンポポは英語名でダンディラ
イオンだけど、どんなスペルだったかなあなどと考えてい
ました。家に帰り辞書で調べると、dandelionと一緒にフラ
ンス語のdent de lionがあり(ライオンの歯)と注釈が付い
ていました。「えっ!ダンディライオンってライオンの歯
っていう意味だったの?」とびっくりし、英語のdentを見
ると(歯車などの)歯状の突起とありました。
歯車の突起→タンポポの花弁→ライオンの歯と形状を順に
イメ−ジして行くと感動的な程に納得できました。
私はずっとダンディライオンの語感から、ダンディーすな
わち雄ライオンの顔の側面全体を覆うフサフサの髭の意味
だと思い込んでいました・・・
ガオウー!!!

*後日、友人から「ライオンの歯」の由来はタンポポ
 の葉のギザギザの形から来ているとの指摘を受けま
 した。またまた私は勘違いの思い込みを犯したよう
 です・・・・



光りと影が織り成す一瞬のショー

2008年4月7日・記

日曜日の朝、床に掃除機をかけながらふと天井を見上げると、
壁(右下の三角形部分)との境目から放射状に影が出来てま
した。一瞬、何の影か分らず形を探っていると植物の葉と茎
に見えて来ました。この部屋の植物は出窓に置いてある鉢植
類しかないと、そちらを見遣るとポトスと合致しました。
ポトスの位置から天井の影への角度を考えると、かなり下か
らの光だなと思い、その角度で目を往復するとカーテンの僅
かな隙間から地面の反射光(4月にしてはかなり強い日差し
でした)が差し込んで出来た影だという事が分かりました。
それにしても頭でいくら想像、計算しても、こんな位置にア
ール・ヌーボー様式のステンドグラスのような影は創り出せ
まいと感心しながら、ケータイで撮影しデータ保存などをし
ている間に、影は消滅していました。
一瞬の光と影が織り成した幻想的なショー。
しばし、消え去ったあたりを見上げながら、一期一会・・・
なんていう言葉が胸を過って行きました。


Happy birthday to me・・・

2008年4月2日・記

今日は私の○○回目の誕生日である。Happy birthday to me....
おめでとう!の花束なんぞ望むべくもないので、先刻撮ったこの
花を自分に贈ろう。何か寂しいコラムの出だしになってしまった
なあ・・・・・
さて、満開の桜は昨日の強風で大分花びらが飛ばされてしまった
けれど、まだまだ迫力ある姿を見せています。そんな中、いつも
の散歩コースからちょっと逸れた道を歩いていたら、玄関先の階
段に、花瓶の形をしたバスケットから溢れるように覗いている花
を見付けました。外の階段に置いてあるのだし、多分造花なんだ
ろうと思いながら近寄って見ると、何と花瓶にきちんと活けられ
た生花のバラでした。幽かに甘くいい匂いも漂っています。
石造り(大理石?)の階段と白い漆喰のような壁と黒い木の扉の
コーナーに、一つだけオブジェのように置かれた様子はとても美
しく、昔、旅をした大好きなイタリアの空気感までをも思い出さ
せてくれるようでした。
イタリアにはたくさんの楽しい思い出があり、久し振りにベロー
ナのジャンニに手紙を出そうかな?などと、このコラムを書いて
いる内に幸せな気分になって来ました。
今宵は、旨いイタリアンで自分を祝ってやるか!


自然には、かなわない・・・

2008年3月26日・記

コラムのページを始めてから、日々の散歩で何か面白い
ネタはないかと、以前よりも上下前後左右キョロキョロ
と見回すようになりました。掲載の写真の葉も、先週の
雨上がりの朝に散歩中の路上で見つけたものです。
風雨が強かったので、飛ばされた葉は雨粒の重さで地面
に押さえ続けられ、そのまま張り付いたのだろう。
カメラのファインダーでトリミングしてみると、きれい
に葉脈を拡げた葉の周りの円い雨のシミと路面の質感が
相まって、まるで現代アートのような表情を持っていま
した。こういう自然が何の作為もなく造った様の美しさ
と力強さを前にすると、つくづく適わないなあと思って
しまいます。


古墳とミモザの環境で

2008年3月21日・記


満開のミモザ/2008年3月16日・撮影

今、満開のミモザの花が美しい。毎年、黄色い絨毯を敷き詰めたような花房の繁みを見上げると、
何故か決まって思い出す本があります。未読の「ミモザ館の殺人事件」というアガサ・クリスティーか
エラリー・クイーン作だと記憶していたミステリーです。掲載の写真の撮影後、今年こそ読んでみよう
と近くの図書館へ行きました。書架で探しても検索パソコンでも見つからず、ガッカリして帰ろうとし
ましたが、手ブラで戻るのも癪だし、何か一冊ミモザ関連の本を借りてみようと、再度、「ミモザ」で
検索しました。その中に「井伏鱒二全集第18巻」が目に止まり、井伏鱒二のミモザ絡みの小説なんか
ちょっと面白いかな?と、中身も確認しないで借りて来たところ、エッセイ集でした。目次を繰って行
くと、このコラムのタイトルに借用した「古墳とミモザの環境で」がありました。作家「庄野潤三」の
作品の根底に関してのエッセイで、ミモザ絡みは僅かにこの一行「舎宅のまわりには、当時としてはめ
ずらしいプラタナス、アカシヤ、ミモザの木が植えてあったという。」だけでした。肩透かしをくらっ
たような欲求不満をなんとか解消したくて、「庄野潤三」という作家と出会ったのも何かの縁と、すぐ
にまた図書館へ出掛けました。借りて来た本は、庄野潤三の他、三人の「第三の新人」世代の作家を併
録した全集で、久し振りに純文学に浸る時間を持ちました。ひょんな経緯で、読む事もなかっただろう
「庄野潤三」の小説に行き着いた事はとても面白く、今度は、木蓮(今、白木蓮も美しい)で検索して、
未知の作家と出会おうかな、と思っています。

*後日、詳しく調べたが「ミモザ館の殺人事件」なんていう本はこの世に存在していませんでした。
毎年、何故このタイトルを条件反射的に思い出したんだろう?・・・


池田満寿夫展を観て

2008年3月11日・記


入場券・東京オペラシティアートギャラリー

池田満寿夫の知られざる全貌展を観に、新宿の東京オペラ
シティアートギャラリーへ行って来ました。
この美術館へは初めて訪れましたが、ゆったりとした空間と
落ち着いた雰囲気に、とても良い印象を持ちました。
さて、今回の展覧会は陶芸に重点を置いており、版画の作品
しか知らなかった私は、彼の世界に新たな感動の出会いを持
つ事が出来ました。最初の小さな展示室に、一つだけポツン
と置いてある「茜城」というタイトルの、陶芸のオブジェに
感応した私は、そのまま彼の陶の魂に引き込まれてしまった
ようです。陶芸の晩年は、仏教の「般若信教」を表現し続けた
のであるが、63歳という若さで急逝した事を思い合わせると、
運命のある必然さを感じるが、作品から発せられるエネルギー
からは、100歳を超えても尚の制作を信じて止まないような、
焼き釜の前での、彼の姿が見えるようでした。
また、版画の作品に今日でも尚、新鮮な輝きを放っている事を
感じ、池田満寿夫は日本の美術史に凄い足跡を残した、本当の
芸術家なんだと、認識を新たにしました。

*陶芸の中に、花器として使ってみたいと誘惑に駆られる作品
 があり、今の時季なら梅の枝を活けたらさぞかし・・・・と、
 うっとりと夢想していました。



ナスカ展を観て

2008年2月26日・記


入場券・国立科学博物館
ナスカの地上絵をかなりの迫力でリアルに体験出来るとの
情報が入り、上野までナスカ展を観に行って来ました。
CGでナスカ平原を詳細に再現したものだが、それを知って
なければ本当にセスナ機で上空から撮影したと錯覚する程、
良く出来てました。またこの展覧会で初めて、巨大な地上
絵の造り方が単純な数学(比例)の応用だったと言う事を
知りました。まず、造りたい場所の中央に人の背丈で俯瞰
出来る大きさの絵を描き(一筆書きの形)、その要所要所
にクイを打ち、そこから出来上がりの大きさに倍寸した距
離の所に新たなクイを打ち、それを繋いで行くと巨大な地
上絵になると言う訳である。成る程、宇宙人じゃなくても
造れるなあと、何か今まで色々想像してた謎のロマンが消
えてしまったような、ちょっと淋しい気分になりました。
また、地上絵の線にあたる所は、実際は砂地の50cm幅位の
浅い溝で、地にあたる所は平原に散在している拳大位の岩
石であると言う事も、現地の素材で会場に造られたサンプ
ルで体験(溝の上を歩ける)して解りました。
さて、何の目的で巨大な地上絵は造られたのか?
神々への儀式の時に人々が歩く為の道説が、現在最有力と
の事だが、ナスカの土地の過酷な自然や、土器の側面の絵
の由来や、首級の意味や、その他、色々知って行くと素直
に納得出来ました。
ナスカは年間降雨量ゼロの土地故に、2000年もの長い間
地上絵が破壊されずに残って来ましたが、最近雨が降り始
め、水害で近い将来消滅してしまう予測が出て来てます。
やはりナスカにも温暖化の影響が!・・・・・・・・


懐かしいカレー粉の味

2008年2月19日・記

某食品メーカーのレトルトカレーを「昔なつかし」のタイ
トルに惹かれて買ってみました。
いつもレトルトカレーは、ちょっと値が高めの物でも食べ
ている途中で食傷気味になり残してしまうのだが、これは
気が付いたら完食していました。
パッケージに表記の懐かしい赤い缶のカレー粉の匂いが食欲
をそそり、子供時代にタイムトリップさせたようです。
あの頃、母親が作ったり、給食に出たりしたカレーのルーは
小麦粉とカレー粉だけのシンプルなものだったけど、何か香
ばしくて旨かったなあと、空いた皿をしばし見つめていました。
「この白い皿も、給食の時はアルマイトの金属の皿だったし
(必ずどこか凹んでた・・)、スプーンも匙(さじ)って言っ
てたし、隣の席の(・・子)ちゃんはもう何人ぐらいの孫がい
るんだろうか・・あの脱脂粉乳は・・」と際限なく思い出に耽
ってしまった午後でした。


都会の雪ダルマ

2008年2月13日・記

雪が降った9日の翌日、散歩の途中で出会った雪ダルマです。
道路の雪はすっかり溶け去りこの子(何故かこの子と言い
たい・・)だけがケナ気な感じで踏ん張ってました。
石を置いた目鼻と小枝の口。携帯のレンズを向け画面を
覗いたら全体にグレーのシックな色調でまとまっていて
「オッ オシャレ!これこそ都会の雪ダルマ」とパシャリ
と撮った次第です。
地面の一時停止の表示なんか大胆でモダンなカーぺットの
模様に見えませんか?

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