海外風景写真コーナ


その1

このコーナは海外写真のコーナです。
タンスに埋もれている写真を発掘してみました。
ヨーロッパ風景写真
フィレンツェの全景
ヨーロッパの街や風景の写真です。
1970年頃の撮影です。
写真をクリックすると大きくなります。
フィレンツェ全景
今から何年も昔、まだ20代そこそこの頃の夏、私は欧州を旅行していました。その時の印象は、見るもの聞くものが全て珍しく、カルチャーショックの連続でした。石造りの建物の重厚さ、ウエザリングさえもアートに感じてしまいました。又、ゆったりと流れる時間、町には必ず歩道があり電柱や電線は地中に埋められていること、ちょっとした公園ではいつでも野外音楽会が開かれていること、看板は錆びていないことなど、外国旅行が初めての私にとって何もかもが珍しく思えました。今、記憶の回廊を辿りながら、私が尋ねた町々の印象などを書きとどめてみたいと思います。
ベルギー
石造りのヨーロッパ的建物が続く。
小便小僧は何故か東京浜松町
駅でも見られます。
ストックホルムにて
20代の頃の筆者
元祖・小便小僧
グランプラス近辺
<アムステルダム〜ブリュッセルにて>
羽田を深夜に飛び立ったサベナ・ベルギー航空は、やがて、アラスカのアンカレッジにて給油の後、北極圏を経由して、アムステルダム空港に着陸しようとしていました。たまたま到着予定地のブリュッセルが霧のため、回避したものです。空港に近づき高度がさがった時、草原の中にレンガつくりの家々が点在する様子が、目の前に飛びこんできました。ヨーロッパの歴史の深さ、品質の良さに圧倒されてしまいました。ブリュッセル空港には、そこから1時間ほどのフライトで到着です。本物の小便小僧の像が印象的でした。
ブリュッセルに宿泊後、翌日、コペンハーゲンを経由して、ストックホルムに行きました。スカンジナビア航空だったと思います。北欧のひんやりとした空気、針葉樹、軽井沢高原のような砂地の地面。真っ青な入り江が湖のように輝き、市役所などが点在しています。自然と人とが伸びやかに調和した都市空間が広がっていました。
ドイツ
ベルリンの市民プール
結構深そうですが
みな平気で泳いでました
旧東ベルリン市街
殺風景な風景にもみえる
<ベルリンにて>
ストックホルムから、ハンブルクを経由して、ベルリンにフライトしました。当時は、東西冷戦の時代で、東ドイツ上空を飛行中は、ちょっと緊張感がありました。東側国圏はなんとなく別世界という感じで、今では意味の無い心配だったようです。東ベルリンの町はなんとなく人通りが少なく、閑散としている様子でした。広場の真中にちょうどコーラの屋台があり、飲んでみました。コカコーラというよりぺプシコーラに近い感じで、ちょっと勘が抜けた様だったと思います。
西ベルリンのKDB(カーデーベー)デパートでメルクリンに出会いました。HPに掲載している、SLと客車がそれです。友人はブルー塗装のEL(DB141)を買っていました。帰国後、渋谷のレオセンター他を見つけて、日本でも手に入 ることが分かり、欧州型のコレクションも一過性で終わることなく今まで続く きっかけとなりました。
<フランクフルトにて>
ベルリンからフランクフルトに戻り、当地に滞在していた知人にあいました。事前に手紙を送っていたのですが、まさか合えるとは思いませんでした。おせんべをお土産にもっていったのですが、欧州の気候とは相性が合わず、浅はかな選択をしたものです。その後、知人と一緒に古城街道を南下しハイデルベルクの町に入り、お城も見学できました。古城の脇にはライン川の支流(ネッカー川?)と思われる緩やかな流れがありましたが、地形は谷状になっていて山がせまっているところに家々が点在していました。川の下流の方向は扇状地的に開けていて、オレンジ色の屋根と白壁が密集しているようです。昼食にビール園に立ち寄り、ビールでささやかな歓迎会を行い、知人と別れました。その後、私達はさらに南下しスイス方面の国境を越えました。そこには、グリーン色の客車が走っていました。
スイス
スイスの町(ベルン?)と
信号を待つレトロ・カー
ブリュッセル市街と勘違い
していました、ゴメンナサイ!
ピラトス山麓の
みやげ物屋さん
ピラトス山


スイス鉄道V200
デイーゼル機関車

何気なく撮った写真ですが、V200デイーゼル機関車はその後模型でも良く見かけました。これはドイツから輸出したものだそうです。
<ピラトス高原の谷にて>
やがて、アルプスの一部のピラトスの谷に立寄りましたが、その時偶然に、ワインレッド色のデイーゼル機関車が通過していました。後で分かったのですが、これが人気のv200だったのです。夢中でシャッターを押しましたが、一瞬の間合いのカットを納めることが出来て幸いでした。翌日はダウンしてしまいホテルで一日休んでいましたが、友人はユングフラウヨッホまで遠征したようです。せっかくの機会でしたが残念な思いをしました。その後、ジュネーブの町で時計を購入、国境の峠を下り、パリへ向ってバスはひた走りました。
フランス
パリ・セーヌ川
遠方にノートルダム寺院
宮殿?
ゆったりと流れるセーヌは今も同じく流れているのでしょうか?
<パリにて>
パリまでの道は大変平坦で、ほとんど田園のようです。ルーブル博物館やエッフェル塔もさる事ながら、一番印象に残ったのは野外ステージでのアンサンブルでした。生暖かな夏の夜の怪しさと芸術の都の真髄が溶け込んで魅惑の夕べを演出している様でした。演奏曲目は今でも不明ですが、ビバルデイかテレマン、ヘンデル当たりではなかったのかと想像しています。
翌日、モンマルトルの丘にいってみました。若い芸術家が集っていますが、気恥ずかしいさと、顔に自身がもてず、似顔絵は遠慮しました。その日、パリの日本食のお店にたまたま立寄ることとなり、マグロの刺身を楽しみました。
イギリス
ロンドンの街角
ピカデリーサーカス
バッキンガム宮殿前の
衛兵のパレード
ロンドン名物の黒塗りのレトロなタクシーや2階建てバスは写っていないようです。
<ロンドンにて>
パリからロンドンへはエアフランスで3時間ほどのフライトでした。今ではドーバー海底トネンルのユーロスターが楽しみですね。レトロなタクシーと左側通行。東京にもちょっと似ているような印象でした。せっかくの経験でロイヤルアルバートホールを訪ねてみました。モーツアルトの演奏を聞きましたが、4Fの回廊当たりから垣間見た程度で、演奏そのものは聴きそびれてしまいました。
<マドリードにて>
ロンドンからマドリードに移動したのは、真昼の2時でした。南欧の灼熱の太陽がギラギラと輝き、町は午後の休息でひっそりとしています。何故かカサブランカを彷彿とするホテルの一室にて私達も休みした。夜に情熱の踊りフラメンコではカスタネットをかき鳴らす踊り子の迫力に圧倒されました。その後、ニースへはエアフランスのカラベル機にて移動です。尾翼の付け根から乗りこむ様な珍しいタイプの飛行機でした。
イタリア
フィレンツエの全景 ローマ・ポポロ広場
オベリスク
ローマの遺跡
ホロロマーノ
コロセウムの遺跡 ナポリから水中翼船で
45分のカプリ島
カプリ島の海の色
青の洞くつを彷彿とさせる
太陽の国イタリア。乾いた空気と真っ青な海。
<ベネチアにて>
モナコを経由して、ミラノからベネチアへと移動しました。サンマルトル広場からみたアドリア海のグリーンな色合いがとてもアート的でした。その後、高速道路をフィレンツエに向け移動。フィアットの小型車が沢山走っていて、東名高速の静岡あたりの風景の様です。山はオリーブ畑が広がっているようでした。フィレンツエの小さなホテルに一泊し、翌日はローマです。
ローマでは、トレビの泉は、コイン1回が再びここへ来れる、2回が愛がかなう、3回が円満な分かれがかなう等のおまじないがあるようです?(正確には忘れました)。私は1枚投げてみましたが、その後実現していません・・^^;
<ナポリにて>
ナポリから、高速船で45分のところにカプリ島があります。カプリ島にある、青の洞くつはすばらしいの一言に尽きます。あの真っ青な藍色合いは地中海の色でしょうか?
<ブリンデイッジからアドリア海へ船出>
5000トン位のフェリーでギリシャへ向いました。外洋に出ると船はゆっくりとローリングします。座席タイプのキャビンで一夜を明かすと、木の無い荒涼とした島影が傍らに続きます。海の色はナス紺を透明にしたかのような色合いで、白い波しぶきが宝石の様でした。

アクロポリスの丘にて

<おわりに>
その後、アテネに滞在後、南回りでボンベイ、バンコクを経由をして帰国しました。現代では欧州は新幹線が整備されているそうです。一度、ユーロレールパスにて巡ってみたいと思います。それが今の夢ですが、DVDのJALジェットストリームなど色々と発売されてますので、家庭でそれなりに楽しむことができますので、そ れでも充分です・・
なお、このページは鉄道とはやや関係ありませんが、一部に欧州系の鉄道との出会いがあり、趣味の原点になっています・・・。
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その1 ヨーロッパ風景写真
その2 ハワイ
その3 RENA’s 南の島の旅行記
その5 冬のパリ




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