《ジュノーム協奏曲》に関するNYT記事(2004.3.24)の試訳 <2004.5.31修正>

   (著作権問題をクリヤーしておりませんから、あくまで学術的参考扱いということで、転載はご遠慮ください)

        →  「エッセイ 速報:《ジュノーム》の正体がわかった! 」もご参照ください。

        →  「参考資料 ローレンツ氏からのメール〜ジュナミー協奏曲その後 」もご参照ください。



MOZART BY ITS RIGHTFUL NAME        
      (正しい名前の判明したモーツァルト作品)


A Mozart mystery has been solved at last.
ついにモーツァルト・ミステリーの1つが解決した。
 
So says the musicologist Michael Lorenz, an expert
on the Viennese music of the late 18th and early 19th
centuries, and the proof of the pudding will be served
on Thursday in Vienna when the pianist Robert Levin
sits down to join Sir Roger Norrington and the Radio
Symphony Orchestra Stuttgart to play Mozart's piano
concerto in E-flat (K.271) for the first time under
its proper name.
こう語るのは、18世紀後半から19世紀初頭のウィーン音楽研究を
専門とする音楽学者のミヒャエル・ローレンツ博士。
氏は、証拠は木曜日のウィーンで明かされるだろう、と言う。
ピアニスト ロバート・レヴィンがサー・ロジャー・ノリントン指揮
シュトゥットガルト放送交響楽団との共演でモーツァルトのピアノ協奏曲
変ホ長調K271を、はじめてその正しい名前により演奏する、と。
(*訳注:the proof of the pudding is in the eating という成句で
    「論より証拠」の意。ここでは、単に「証拠」と訳す)


For more than a century, Dr. Lorenz says, the identity of the
French pianist for whom the young Mozart, above, wrote the
piece has baffled Mozart scholars, and the work has been known
as the "Jeunehomme" Concerto.
ローレンツ博士によれば、
若きモーツァルトがフランス人ピアニストのために書いたというその作品は、
100年以上に渡り、上記のように誰のために書いたのかということについて
モーツァルト学者たちを悩ませていて、これまで《ジュノーム協奏曲》として
知られてきた。


Dr. Lorenz says that jeune homme, or young man, a reference to
Mozart, was the name given to it by a pair of French scholars
in a 1912 biography because they couldn't identify the woman
for whom he actually wrote it.
ローレンツ博士は、jeune homme 即ち 「若者」という語は
2人のフランス人学者によって、
(最初)モーツァルトを指すものとして使われたが、
(続いて)モーツァルトがこの曲を書いた相手の女性の名前とされた 、と語る。
というのは、彼らは1912年刊行の伝記*の中で、その女性を同定することが           できなかったから、(そう名づけた)だという。
(*訳注: 2人のフランス人学者とは、テオドール・ドゥ・ヴィゼワとジョルジュ・ドゥ・              サン=フォワ で、著書は共著の
W.A. Mozart, sa vie musicale et son ceuvre  邦訳『若きモーツァルト』のこと)

After that, he says, scholars refrained from further research.
Mozart, in a letter to his father, Leopold, after finishing
the concerto in January 1777,referred to the pianist as "jenomy,"
and Leopold referred to her as "Madame genomai."
 その後、学者たちはそれ以上の研究を行わなかったのだと、彼は言う。
1777年にこの協奏曲を完成した後で、モーツァルトは父レオポルトに
宛てた手紙の中で、このピアニストを「ジュノミ」と呼び、
一方レオポルトは「ジェノメ夫人」と呼んでいた。

Dr. Lorenz says the mystery woman was actually
Victoire Jenamy, a daughter of Jean George Noverre,
a famous dancer who was one of Mozart's best friends.
ローレンツ博士は、その謎の女性は本当は、モーツァルトの親友の
一人で有名な舞踏家のジャン・ジョルジュ・ノヴェールの娘である 
ヴィクトワール・ジュナミー
*だった、と言う。
(*訳注: この読み方は暫定のもの。ジュナミーかジェナミーか、今後確定していきたい)


Dr. Lorenz says a bit of research in the City Archive of
Vienna last year established that Victoire was an excellent
pianist, and it was she who commissioned the concerto in
Vienna in 1776.
ローレンツ博士は、昨年ウィーン市立アルヒーフ(古文書館)の
小調査で、ヴィクトワールが優れたピアニストであること、そして
1776年にウィーンでこの協奏曲を依頼したのが彼女だった、こと
立証された、と語っている。

Adieu Jeunehomme.
Enter, for the first time, the "Jenamy" Concerto.
 さらば「ジュノーム」よ、
 いよいよ、《
ジュナミ協奏曲》の御目見得だ!

(*訳注: 最終行は、ある方から頂いた >Enter, Othello → オテロ登場 
   のような成句のパロディではないか!とのご教示を反映して訳してみた。
    (御目見得には、「はじめて」の意がある)


(この試訳にあたっては、モーツァルト愛好家のK氏、
 一橋大学院・言社研のY氏ほかの多大なるご助言、ご教示を頂きました。
 厚く御礼申し上げます。)

*後記: 朱書き部分は、吉成先生、ドン・アルフォンソ氏からのご教示をもとに修正したものです。

<後記>Michaelの読み方は、「マイケル」より「ミヒャエル」の方が適当と思われるので訂正し ました。(2007/7/10)


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