モーツァルト・エッセイ (2004.4.26)
→ 「参考資料 《ジュノーム協奏曲》に関するNYT記事(2004.3.24)の試訳 」もご参照ください。
→ 「参考資料 ローレンツ氏からのメール〜ジュナミー協奏曲その後 」もご参照ください。
速報: ビッグ・ニュース 《ジュノーム》の正体がわかった!!
4月3日の毎日新聞のスクープ「バッハのカンタータのパート譜再発見」のニュースの興奮さめやらぬ頃、たまたま久々に覗いたカリスマ・モーツァルティアン森下さんの運営する「モーツァルト・コン・グラツィア」に、驚くべき情報が、さりげなくアップされていた。
なんと、あのピアノ協奏曲第9番《ジュノーム協奏曲》の謎のヒロイン、ジュノームの正体が突き止められた、というのである。
≪ジュノーム協奏曲≫について、多くの伝記・CD解説は、異口同音に
「前年末またはこの年の初め、ザルツブルグを訪れたフランスの女流ヴィルトーゾ・ピアニストであるマドモアゼル・ ジュノーム(ジュノーム嬢)の依頼によりこの曲ができた」、と見てきたように記しているが、実はこのことを示す資料はなにもない。
すなわち、ヒロイン ジュノームについて明らかなのは、後述するヴォルフガングとレオポルトの間の3つの手紙のみで、それ以外の第三者の証言がまったくないのである。
このことについて 現代モーツァルト研究の大家N・ザスロウは喝破している。
“ Was she a great artist ? :彼女は偉大なピアニストだったのか
Was she young and beautiful ? : 若く美人だったのか
Nothing at all is known ~ “ : 何もわからない(以下 略) 拙訳 」
つまり整理してみると、明らかなのは
@ 1778年4月5日付けのヴォルフガングからレオポルトにあてた手紙
: <ジュノメ夫人もこちら(パリ)にいます>
A 同月20日付けレオポルトの返事
: <ジュノメ夫人によろしく>
B 同年9月11日付けヴォルフガングの手紙
: <ジュノミ用協奏曲を(以下略)>
だけであり、ザルツブルクに来た、という物的証拠はまったく残されていないし、ただジュノメ夫人 と呼んでいるだけなのである。
したがって、
C ジュノームか、ジュノメか、ジュノミなのか?
D マドモアゼルなのか、マダムなのか?
E いったいどんな経歴の持ち主なのか?
〜については、まったく不明なのである。
国立音楽大学の吉成 順 助教授は、白水社版書簡全集解説をはじめ、従来の解説はみなヴィゼワとサン・フォアが創作した《ジュノーム嬢》伝説にふりまわされたものだ、としている。(下記 吉成氏の著作や、Web参照)
つまりモーツァルトもレオポルトも、
「ジュノム嬢 Mademoiselle Jeunehomme」という表現を一度も使っていない。その表現こそ、ヴィゼワとサン・フォアがその伝記中で創作したものだとしているのである。
さて、さっそく、ニュース・ソースとして掲示されたニューヨーク・タイムス3月15日号記事をWEB検索し、LAWRENCE VAN GELDERという記者の署名入り記事を見つけたところ、そこには おおよそ、次のようなことが書かれていた。
(第1行で、 A Mozart mystery has been solved at last.
「ついに、モーツァルト・ミステリーの1つが解明された」〜と、高らかに述べている)
1)従来言われてきた「ジュノーム嬢」という言い方は、「若者」という意味の「jeune homme」を曲解したヴィゼワとサン=フォワの創作であった。
(筆者注:このことは、吉成氏が従来から主張されてきたことである)
2)この協奏曲を注文したのは、パリの有名な舞踏家でモーツァルトの親友の一人だったジャン・ジョルジュ・ノヴェールの娘の ヴィクトワール・ジュナミー Victoire Jenamy であった。(1776年にウィーンで注文したという)
3)このことを発見したのは、ミヒャエル・ローレンツ博士 Michael Lorenzという音楽学者で、昨年設立されたウィーンの市立アルヒーフの調査でこのことを発見したという。(同:詳細は不詳)
4)この発見は、3月にウィーンで行われた サー・ロジャー・ノリントン指揮シュツッツガルト放送交響楽団とロバート・レヴィンのピアノによる≪ジュノーム協奏曲≫のコンサートの際に明らかにされた。
5)VAN GELDER記者 最後に曰く、
Adieu Jeunehomme. Enter, for the first time, the "Jenamy" Concerto.
さらば「ジュノーム」よ、そして こんにちは(or お入り、こちらへどうぞ)
「《ジュナミー協奏曲》」!
なんの裏付け資料公開を伴わない一篇の新聞記事を鵜呑みにするのも気が引けるが、
事実であれば、従来の伝記記述を一変するほどの大発見であり(ベートーベンの「不滅の恋人」発見に匹敵するのでは!)ローレンツ博士による詳細な学会発表、論文発表が待たれる。 因みに、吉成氏は同Web上で、今回のローレンツの研究によりこの問題は解決済みと、次のように述べておられる。(同氏にうかがったところ、面識ないローレンツ自身から、この記事を添付したEメールが送られてきたとのこと。)
>in spring 2004, Dr. Michael Lorenz revealed that the recipient was Victoire
Jenamy, daughter of french dance master, and the problem is now solved.
>その後 Michael Lorenz によってK.271の依頼者が、舞踏家ノヴェールの娘
Victoire Jenamy だったことが発見され、問題は解決しました。(吉成氏Webより)
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<参照資料>
1)ニューヨーク・タイムスの記事全文は、次のWebで読むことが出来る。
http://listproc.ucdavis.edu/archives/mlist/log0403/0007.html
2)吉成 順 「ジュノーム嬢の伝説」(ユリイカ増刊『特集モーツァルト』所収)
これは、同氏の下記Webでも読むことが出来る。
http://homepage3.nifty.com/jy/essays/mz_jeunehomme.htm
3)ザスローの文章は、The Compleat Mozart p123 から一部を引用したもの。
4) Michael Lorenzの名は、《MOZART
JAHRBUCH 1998》 冒頭1-20頁の論文に窺える。
" Mozarts Haftungserklaerung fuer Freystaedtler.−Eine Chronologie"
<後記>
Michaelの読み方は、「マイケル」より「ミヒャエル」の方が適当と思われるので訂正した。(2007/7/10)
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