2003年 6月の  日録  (1)           6/ 1- 6/10

   


2003/06/01(Sun) 5月を振り返り……

  (順 不同)

1)地震はコワい!!
2)ドイツ語ハイデルベルク学院授業始まる
3)勉強本格化、忙しい!(^^;)
4)つつじ咲く、牡丹咲く、ハクチョウ無事!!


----------------------------------------------------------------------------
No.330
2003/06/02(Mon) 優作の先妻・カンナ役に財前直見!!

NHK朝ドラの話題です。(^^;)

先月(5/5)のこの欄に
やがて登場するであろう優作の先妻役は誰か?
という予想をしましたね。覚えてますか?

床嶋佳子などを検討(?)したが
財前直見については、ギャラが高い!と却下(笑)
結局 財前とイメージの近い とよた真帆が適当なのでは
と勝手に予想したのですが……

開けてビックリ!
  財前直見だったとは!! 

まあ、1週間のみの出演ですから
ギャラも問題なかったのでしょうね(笑)

つまらないことには、ハナがきくものです。(^^;)
おかげで、芸能痛じゃなかった 芸能通 と妻から
見直されたワタシです。(笑)
 (家庭サービス、家庭サービス……(笑))
………………………………………………………
第10週「生みの母と育ての母と」

6月2日(月)〜6月7日(土)  

こころ(中越典子)の前に、優作(仲村トオル)の先妻
藤井カンナ(財前直見)が現れる。
カンナは離婚の経緯を話し、倖(黒川智花)と優太(広田亮平)を引き取って
ドイツに連れて帰るという。……

http://www.nhk.or.jp/asadora/story/story.html

----------------------------------------------------------------------------
No.331
2003/06/03(Tue)  あやふやなことは…

<先月 書き漏らしていたこと>

この欄も、時々 「うろおぼえ」で書くことがあるが、そいう時は
その後も、なにかと気にかかるものだ。

丹念に調べて書くというのも更新が億劫になってしまうので、
その兼ね合いが難しい。
プロとはいえ締め切りに追われる新聞のコラムなど
さぞや大変なことと思う。

そんなことを考えつつ…

-------------------------------------------
5/18 日経 春秋から

 あやふやなことはまず調べる。
それでも間違う。 間違いやすいのは、頭から信じ切っているときである。
  《中略》
▼8日に「母の日」について、
「全世界で一斉に母を思う」と書いたら、パリ在住の 読者から間違いを指摘するメールが届いた。
米国や日本のように「5月の第2日曜日ではない国が たくさんある」というご指摘である。
まったく恥ずかしい話で、世界どこでも同じ日だと 思い込んでいた。
早速、東京にある各国大使館へ電話して教えてもらった。

▼フランスは原則「5月最終日曜日」。
その日が聖霊降臨日に重なるときは「6月第一日曜日」。
ことしは5月25日だそうだ。
英国はキリスト教の四旬節の四回目の日曜日、
ことしは3月30日。
ロシアは「国際婦人デー」の3月8日、 メキシコは毎年5月10日とさまざまだ。
英国では「Mothering Sunday」 と呼んで、季節の花の水仙を贈る。

▼菊の花を贈ることもあるという。
「Chrysanthemum」(菊)の最後の 「mum」が母につながるからだという。
どこの大使館もきちんと答えてくれた。
母の日を通して、世界が多様であることを いまさらながら痛感させられた。

-----------------------------------------------------
No.332
2003/06/04(Wed)  オットー・ビーバ博士講演会

…をうかがうため上京。

ウィーン子のイメジと違って ちょっとコワもてのドイツ人的な感じ。
(武石みどり先生て、若き日の曽野綾子
 みたいな魅力的な才女!)

興味深いお話:  (質問に答えて)
サザビーズで落札された例のベートーベン第九 譜面について

報道された「自筆譜」というのは誤りで
事実は、楽譜を出版したショット社が保管していた 版刻用の最終譜
 = コピストによる筆写譜が真相。
ベートーベン自身による書き込みが数箇所あるものの
とても4億円! もの価値があるとは思えない、
 安ければ、自分のところ(楽友協会)で購入したかったが
断念した(笑)、…そうである。

(なお、先日この欄で
 第九自筆譜は、ポーランドのクラクフ(クラカウ)に
 あるはずと書いたが、 1978年頃
 当時の東独政府あて 「友情の証」として返還された
 「魔笛」ほかのうちに含まれていたようで、
 現在はベルリン図書館に保管されている、
   とのことでした)

-------------------------------------------
ウィーン楽友協会資料館長  オットー・ビーバ博士講演会


ウィーン古典派の愉しみ
ウィーン古典派とは? 〜 その背景と真髄

講師 : オットー・ビーバ博士
日程 : 6月4日(水) 19時(18時半開場)
場所 : 音楽の友ホール
通訳 : 武石みどり(東京音楽大学助教授)
  
新三菱ゴールドコンサート第5シリーズ開催に当り
監修者のビーバ博士をウィーンよりお迎えして講演会を開きます。
「ウィーン古典派」について分かりやすくお話いただける予定です。
2004年1月20日の第2回に演奏するハイドンのオラトリオ
「四季」についてもお話しいただくことになっております。

<お問合せ・お申込み>
新三菱ゴールドコンサート実行委員会
-------------------------------------------------------------------------

No.333
2003/06/05(Thu)   「アラビアのロレンス」

以前にも 書いたような気がするが
ワタシが、この映画で印象に残っているのは

アカバに集結したアラブ諸族の大集会をみての英国大使だったかが言うコトバ
「ほっておくのが一番…」

そのコトバ通り、集まったアラブ諸族は
アットいう間に、分裂抗争をはじめ ついには、それぞれの地に引き揚げてしまう。

フィクションかもしれないが、 外交大国イギリスの植民地経営の極意を
かいまみたような思いがしたものであった。

----------------------------------
■《天声人語》 06月04日

 アカバ。
この地名が特別な響きをもって迫るのは、 昔見た映画のせいだ。
D・リーン監督の「アラビアのロレンス」(62年)である。
P・オトゥール扮するロレンスが悶々と悩んだ末、 「アカバ」とつぶやく。

 映画は第一次世界大戦中、アラブの反乱を助けた 英軍将校T・E・ロレンスの半生を描く。
トルコ軍が支配する軍港アカバを陸から攻めるロレンスの 決断が分岐点になった。
そのためには背後の砂漠を突っ切らねばならない。
無謀とも思われた砂漠の行軍は、 美しくも過酷な場面の連続だった。

 このアカバ攻略で中東の戦局は一変したといわれる。
その歴史を意識したのかどうか、今はヨルダンの観光地 であるアカバで4日、ブッシュ米大統領を交えて
イスラエルの首相とパレスチナ自治政府首相とが話し合う。
ロードマップと称される和平への行程表が議題になる。

 ロレンスらがたどった道なき道のことを思い浮かべた。
アカバへ進軍中、行方不明になった男を捜しにロレンスが 引き返そうとする。体力は限界に近く、命懸けの救出である。
制止を振り切って出発するロレンスの言葉が記憶に鮮やかだ。
「ナッシング・イズ・リトゥン」。

 何も書かれてはいない。
つまり「運命などない」。
自分で筋書きをつくるのだ、という強い意志が印象的だった。

 中東和平をめぐるロードマップには2年後までの ざっとした筋書きが描かれている。
しかし待ち受ける困難は、ロレンスの砂漠の行軍に 劣らないだろう。
アカバが再び「歴史の道標」として その名を残すことができるかどうか。

(どこも削除することができない名文なのでそのまま引用させて頂きます。お許しを…)

-------------------------------------------------------------------

No.334
2003/06/06(Fri)  再会

ハイデルベルク学院授業のあと
渋谷で iさん(I教授とは別人〜為念)と 待ち合わせ、
   iさん行き付けのお寿司屋へ!

iさんは、元の会社(ギンコウ)で 30年前にご一緒したことのある先輩。

久しぶりの再会で愉しい時間を過ごしました。

興味深い話:
 バーチャル事務所と称して
 バレエからジャズ、フラメンコまで
 幅広く若手の卵たちを応援しているんだそうな。

 昔の旦那衆というか、パトロネージュというか
 いやあ、粋な遊び(江戸っ子風にいうと あすび)
 ですね、感服しました!!

----------------------------------------------------------------------------

No.336
2003/06/06(Fri)   一部訂正

前件のうち

>バレエから……フラメンコまで

は、

<俳優(演劇。H優座中心)から  ジャズ・ミュージシャン、
 フラメンコ(ダンサー、歌い手)まで>

〜の誤りでした。
 (つまり、バレエはなかった(^^;))
お詫びして訂正させて頂きます。

----------------------------------------------------------------------------

No.335
2003/06/07(Sat)   デジカメ選び

昨夜のおいしい酒の余韻(笑)で 久々に朝寝坊。
(最近 年のせいか、朝一度は
  5時頃 目覚めてしまう。  時には、早い朝食をとって二度寝に就く……)

さて
今 デジカメ選びに悩んでいる。
用途は、雑誌・新聞スクラップの接写撮りこみ。
一時はスキャナーで撮っていたが 手間が大変で、結局中断している。
デジカメで取り込みできれば、簡単と思うのだが

そういうわけで
一応機種は接写に強い(1cm!)
RICOH G3にしようかと
ビックカメラとヨドバシへ

デザインが今一だが、内容はOK  値段がねえ(笑)
 ポイント・カード割引というのが   結局無駄になるようで、気に入らない。
 マケル時は、いさぎよくマケルんだよ!
  と、つっこみたくなる(笑)

というわけで、本日は決まらずでした ……(笑)

--------------------------------------------------------------
No.337
2003/06/08(Sun)   外国語は難しい

ドン・アルフォンソさんのように
仕事で翻訳をなさっておられる方は
さておき、
我等 素人にとっては、外国語は本当に鬼門!

読みたい文献に限って、日本語訳がないんだなあ、
 これが!!!

しかたないので、字引を首っ引きで
ボソボソ読んでいるのだが、
う〜む… 非能率なこと甚だしい (^^;)

今日も、CONPLEAT MOZARTの
ヴァイオリン・ソナタの項 3曲ばかり試訳してみたのだが
う〜む… とてもおみせできない (笑)

どなたか、この本も早いこと邦訳出版してくださあい!

----------------------------------------------------------------
No.338
2003/06/09(Mon)  買ってはイケないモーツアルト本

えらそうに、こんなことを 言ってはいけない (^^;)
 のだが、
みるにみかねてのことで……

でも、この著者は結構  音楽ジャーナリズムの大物かもしれないなあ、
あとで、イジワルされても困るし……
……

ということで、伏字だらけで、 何のことかワカラン!という方も
おられるかもしれませんが、お許しを……


「モーツアルトを○ぐる人たち」
 ○井 K司
  ○○ハ ○ジック メディア刊

この本の困った点
・データが古い。
 今や古典も古典、一時代も二時代も前の
 アインシュタインを金科玉条にして論じられても困っちゃう。
  しかも最新刊ということで、初心者にはこれが最新情報と
 受け取られかねない。
  一例をあげれば、
K32「ガリマティアス・ムジクム」を「音楽の駄弁」とは!
  今どき、何のことかわからんちゅうに。
    (アインシュタインの訳本は、この表現)
  さらに、ケッヒェル番号を6版の番号の方を採用している。
  これも、ノイエ・ケッヒェル制定目前ということで、
  昔に戻って初版番号のみを使用している昨今の事情に反する。
   (K158aで
    エクスルターテ・ユビラーテK165を思いつく人が
    どのくらいいるだろうか?)

・データが不正確、かつ著者の思い込みによる不正確な断定が多い
  これは随所で目に付くが、極く一部のみあげると……(赤字はワタシのコメント)

 >モーツアルトが登場するまでは、ハイドンはヨーロッパ最大の作曲家であった。
   (う〜む… そんな話 聞いたことがないが……
     ハイドンが偉大になったのは、1790年 ロンドンへ出発してから、と いうのが
     通説と思うが……)


>アンナ・マグダレナが綴った「バッハの思い出」は、美しい感動的な本で……
   (この書が、20世紀になってから英国人女性によって書かれたフィ
    クションであることは、今日常識と思うが……

     *邦訳出版社は、建前上現在も真作とのポーズをとっている。

>バッハの教会音楽・器楽音楽、ヘンデルのオペラ・オラトリオは、
  間違いなくモーツアルトへ引き継がれていった
  (間違いなく言い過ぎ(笑)と思うが……)

>音楽の都ウィーンで……
  (この時代、ウィーンは文化的には片田舎で、音楽の都はパリ、ロンドンであった)

>1年4ヶ月の、就職活動ともいわれるミュンヘンへの旅を終えて、
  モーツアルト父子がザルツブルクへ帰ってきたのは、1779年1月のこと。
  (何を指すのか、まったく不可解。
   モーツアルト父子の第二次ミュンヘン旅行は1774・12〜1775・3だ し、
    <因に第一次は、6歳時の1762・1から4週間の旅>_
   17779・1に帰ってきた旅行は、1777・9−17779・1の
   マンハイム・パリ旅行である)


*あと1つだけにしよう。
 私も忙しい中、反証資料に当たるだけでも大変なので (^^;)

>モーツアルトが逝って37年経った1828年、
 ベートーベンが56年の生涯を閉じる前年、
 シューベルトが死んだ翌年、
 大著「モーツアルト伝」が出版された。
  (ベートーベンが死んだのは 1827年
   シューベルトが死んだのは 1828年です。
   このくらいのことは、編集者もチェックしろよ! 
     と言いたくなるが(^^;))


*あげ足取りとは言われたくない。
 忙しい中、あえて指摘したのは、繰り返しになるが
 初めてモーツアルトの本を読む人に、これが最新情報と
 受け取られかねないからだ。
  最初に読む本は重要です。 (お薦め本については、日をあらためて)

--------------------------------------------------------------
No.341
2003/06/10(Tue)  批判というのは…

疲れるし、後味も悪いので あまりやりたくない。

こちらの浅読みや勘違いで批判しては 申し訳ないので
そう考えると、その確認に追われたりで 手間のかかること夥しい。

願わくは
こういうハタ迷惑な本を出さないでほしい…
(おっと、うかつにこんな事を口走ると、我が身にふりかかる
  発言は慎重に、慎重に…)

 


<ブラウザの「戻る」ボタンをクリックして下さい>

  次に進む方はここをクリック

 

 

 

 

 


  続く

 

<元に戻る方は、ブラウザの「戻る」ボタンをクリックして下さい>