1812年、おわら節の元となった「おわらび節」というのが出来る。これは、歌の中に「おわらび」という語が使われていて、一説ではそれが転じて「おわら」になったと言われている。
1900年おわらに胡弓(写真。左が弓。右が本体。弦は3本。元は中国の楽器)が使用されることが定着する。また、この頃に尺八を用いることはやめてしまっていたらしい。
1911年「豊年踊り」が考案され、以後何度か変化をしながら現在のような形になる。
1929年「男踊り」「女踊り」が追加される。
大正時代以前は合唱で唄われていたが、大正時代に伯兵蔵によって独唱となった。
また、この唄だが「踊り用」として変わらない歌詞と、毎年募集される(「お〜○
お茶」の短歌みたいなの)新歌詞という風に別れている。
こんなに伝統的な踊りなのにも関わらず、こんなに変化し続けるのって珍しいんじゃないかな?