1.全般的な感想
どうして、Generationはこんなにもごくあたりまえのゲームになってしまったのだろう。
これなら別のゲームで替えがきくではないか。

システムはアークザラッドである必要がないし、ヘモだってヘモジーである必要がない。
最近のゲーム界のハンター増殖を見ていると、そう思えてならないのです。

とはいえ、一時期のネットの言論や「精霊の黄昏」の感想文を見た限りでは、
戦闘ややりこみにもっと容量をさいてほしいという意見が多く、
ファンサービスの一環として格闘+アクションの要素を高めたアークザラッドを作った、
ということもできるのかもしれません。(幻のアーク格ゲーの実現希望もあったことだし)

ところで、Generationのいろんな所に、
今までのアークザラッドシリーズのパロディが見られる事にお気づきでしょうか?
・・しかも、その殆どがブラックジョークを超えてもはや嫌みです。

とはいえ、今までの作品に問題点があったのは確かです。
でなきゃ面白がって作ったに違いないパロディが、痛烈な皮肉になるわけがない。
だから、Generationをただ批判するとか、制作者のせいにするのは間違っていると思う。

アークザラッドが本当に好きだからこそシリーズの問題点について考える人たちがいて、
議論がもっと活発になされていたら、こんな事にはならなかったはずです。
と、いうわけで、以下は、Generationにあるパロディとそれが表す問題点について、
私が考えた事をいくつか述べてみようと思います。
1.エッダについて
グルガを若くして可愛い顔にすれば主人公にしうる、というところからして皮肉だ。
キリカ=シャンテを出してくる所等、ブラックジョークも効きすぎて胃が痛い。
 (・・っていうか、エレナはヘモで代用可能なのか?!)
2.シオンについて
ククルが生きていて、アークと結婚したならば、
身勝手な夫と幼い子供の世話にあけくれるという皮肉。
家に束縛される生活が嫌で逃げ出したのに、今度は男に束縛されるという、
1,2のククルの人生に対する強烈すぎる皮肉に、思わず頭が痛くなってくる。
 (でも、ヒーローに尽くす義務があるヒロインの“幸せな”末路でもある)
3.カードについて
モンスターをカードにして奴隷のように使役していたテオが、
今度はカードとして逆に使役されるというのは、きつい冗談ですよね。
ハンターにしても、アレクが年取ったみたいなルベルスがのっけから死んだりしてるしなぁ。

ところで、キャラカードを使用することに抵抗感のある人は多いかと思います。
しかし、実はGenerationは見方を逆にしただけで、2や3とやっていることは変わらない。
2ではリーザが仲間にしたモンスターはマザークレアの館で売り払う事が可能でした。
3ではモンスターをカードに閉じ込めて、カードの譲渡を行っていました。
2も3でも、生き物を所有物扱いするというのはとても酷い行為だと思います。
それに、本人をカードに閉じ込めるのではなく、その情報を閉じ込めているわけですから、
3よりかはカードキャラの立場は良いと思います。(その辺に落ちているエルク等は除く・・)

ところで、私は初め、カードキャラを召還したらエッダと一緒に戦うのかと思っていました。
しかし、プレイしてエッダの替わりに戦うことを知った時、確信しました。
・・これはエッダがカードキャラそっくりに化けているだけだ、と。
だから、あのキャラカードもそのキャラカードも、エッダなんですよ!(皆、がに股だし)
今では、本人とまったく似ていない過去キャラが出演してもおかしいと思わなくなりました。
(っていうか、トッシュ紙だし・・あり得ない剣の曲がり方してる(笑))
4.テロについて
テロは私たち一般人にとっては残虐だし迷惑な行為でしかない。
アークとゼーマンの差って、美形の若者かおじさんかというだけの違いしかない。
2でアークがやったテロ活動の結果が大災害になってしまったことも否めない。

しかし、悪役が世界を支配していたアーク2の世界では、反抗することは難しい。
とかく安易な方法に傾きがちな若者としては、他人の迷惑なんか考えず、
手っ取り早いテロの方をが反抗の手段として選んでしまうのも致し方ないわけだし。
(16歳の子供にそんな大役を背負わせる父親や精霊が間違っているんですよ・・・)


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2.シナリオとオンラインの感想
スキルセのイベント「除霊師を求む!」だけはよかったんですが、
エッダの位置する善悪二元論の立場からは、
彼女の存在は無かったことにすればいいっていう程度の存在なんだなぁ、
と思わされて、かえって落ち込みましたが。

エッダはどうしようもないとしても、キリカもなぁ・・
どうして彼女は世の中をよりよくしようとしないのでしょうか。

結局人間中心で魔族を差別してるし、サラク博士に対しても、
きちんと考えないから論理武装されただけでコロリと支持側に回るし。

それに、過去の罪を隠して活動することは罪は償うことではないと思うのですが。
(タチアナにも言える事ですが)
なぜ、キリカはダークとこうまで違うんでしょう。やっぱり苦労知らずだからでしょうか?

ちなみに、オンラインはプレイしていません。
人間に近いからという理由でカーグだけを歴代ヒーロー入りさせる態度に疑問を感じるのです。

Generationのような未来は「精霊の黄昏」のエンディングからは想像もできません。
今では台詞考察等の考察のコーナーでも書いたように、
Generationが「精霊の黄昏」の100年前の世界なんだ、と思うようになりました。
(理由についてはここをお読み下さい)


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3.「つぐない」との類似点
ところで、Generation唯一の救いはキャトルコールの良さ、
つまり一般人の立場に立った視点が維持されていたことだと思います。
(それすらも問題がある、と私の友人は声を荒げるのですが)

ちなみに、「つぐない」というゲームを中古で買ってプレイした結果、
Generationは(システム的には)「つぐない2」だ、という結論に達しました。

「つぐない」とは、「精霊の黄昏」以前にキャトルコールが作ったゲームで、
宝珠を盗み女神の怒りに触れて霊体にされてしまったレイスという傭兵が、
元の身体に戻るために心がすさんだ者達にとりついてその悩みを解決して回るゲームです。

Generationは取り憑くシステムこそありませんが、
世界が邪霊に席巻されていたり、ハンター(傭兵)が主人公、
「冥界の門」や邪霊モンスターが出てきた穴などの多数の類似事項を上げることができます。

また、戦闘方法も、「つぐない」はターン制&戦闘画面ありですが、
基本的に戦闘中の操作キャラが一人だけで、バックステップの有無やガードの有効性、
自動生成ダンジョン、憑意するキャラのレベルが不変である等の類似点があります。

「つぐない」は魔物が強くてレベル上げが辛かったり、
シナリオ上、道具屋などの特別な技能を持つ人に取り憑く意味がない等の問題があります。

しかし、音楽、一般人や犬の立場になれる(操作できる)システムがとてもよかった。
街の住民のそれぞれの立場によってひとつの世界でもこんなにも違って見えるんだ、
と感じられる所がとても良かったと思われるのです。
(子供の背丈から見える世界、美女と権力者の娘に対する世間の扱いの差など)

また、濡れ衣を着せられたよそ者を放っといたら本当に犯罪者になる危険性があるとか、
素晴らしい才能を持っていても、求められる成果が高すぎて失敗ばかりする人とか、
人生の苦しみは往々にして些細な事が原因で起こるという真実を色々なキャラに託しています。

それをもっと追求したシナリオであったならば、
彼らの悩みを追体験し、それを解決することでプレイヤー自身も救われたのかもしれません。
だからGenerationの失敗をバネにして、キャトルコールには「つぐない」のシステムではなく、
本質的な良さ(自分と全く無関係な他人を助ける)を活かした次のゲームを作ってもらいたいですね。


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4.戦闘とモンスター
「つぐない」と今作の類似点のうち最も凶悪な代物、それが凝りすぎたモンスターの動き。
一匹一匹ガードや回避タイミングが異なり全てに対応するのがとんでもなく難しい。

キノコとか妖樹とかマイマイとかガンナーとかキャノントラップにかなわない。
他のモンスターと戦いつつキノコの素早く不規則な動きに対応するのが辛い。(格闘兵も)
マイマイはHPが低くなると殻にこもるのでストレス倍増だし。
妖樹やキャノントラップは遠くから攻撃してくる上に大ダメージ食らうし。
オープニングから終盤まで小型モンスターに苦しめられたのでした。(笑)

とはいえ、「つぐない」よりは難易度が低い方なので、
シナリオがもっと良ければ、もっと楽しめたのかもしれませんね。

それにしても、ギルド仕事もほとんどがバトルだったし、
失敗が許されないことといい、Generationとつぐないはとてもよく似ていますね。
モンスター狩りをするのはGenerationもつぐないも同じで残酷な行為だと思うし・・


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5.Generationは未来か過去か

以前は、トレーニングマシンでも除霊できる理由がわからず、
エッダが仕事を受けおった後、一瞬で町を移動できる所等から、
この世界は現実ではなく、「精霊の黄昏」からうん百年後の後世の人たちが、
その時代を再現したヴァーチャルリアリティの世界なんじゃないかと思っていました。

しかし、邪霊モンスターの特性、つまり、
邪霊モンスターは実体のない闇の思念体が集合して形を持ったものである、
ということを考えるにつき、別におかしくはないという結論に達しました。
カードについても、Generationが未来だと考えたとしても不具合はないと思います。
というわけで、以下の結論につつがなく落ち着いたわけです。

結論:Generationの世界は「精霊の黄昏」の100年以上前の話。
多分、「精霊の黄昏の時代」が「精霊の黄昏」過去にも実は存在していた。
その五年後がGenerationの世界。
その頃、魔族は力を軽蔑して人間の従属物と化しており、科学者が絶大な権力を握っていた。

以下はそう考えた根拠について細かいことをつらつら述べようと思います。


 科学が世界を支配している。
世界中が端末でつながっていたり、精霊石も枯渇しておらず、
エネルギー源を求めて研究を繰り返したりしています。
「精霊の黄昏」では、魔族は人間の代表する科学に対し、
強い忌避感があったと記憶しています。
しかし、どうにもGenerationにはそういう意見が見られないのです。
人間達も天才・サラク博士の学会発表を振りかざすだけで、自分で物を考えない。
科学が一種の宗教として世界を支配しているとしか言いようがありません。
 カテナが無傷&世界連盟がない
如何に精霊の力だから環境汚染しないといっても、
例え出来損ないの人造風霊石を使ったとしても、
五大精霊石の力を使ったならば、カテナの建物が全部無事だというのは、
全く納得いきません。(ダッカムが恨んでいる議会場は特に)
それに、同じ建物をそのままの位置で建てなおしたというなら、
世界連盟が復活しているはずだし・・
オルコスも何の被害も受けていないようだし。おかしいですよね。

それに、地下へのエレベーターが復活することなんてあり得ませんしね。
だって、エレベーターが壊れたままで地上の建物が被害を受けたはずなのに、
地下の人たちが無事で、その上研究に関する書類が散逸しないというのも不思議です。
 精霊の力&重力石&謎の穴
「精霊の黄昏」で闇の精霊は精霊界に戻ったはずです。
水の精霊が精霊界に帰ったはずの「精霊の黄昏」の未来を考えたら、
カードとはいえアークがトータルヒーリングを使えるわけがありません。
その前の話だとしたら、可能ですが・・

重力石とは、ギルド仕事によると闇の力の結晶らしいです。
しかし、五大精霊の力を持ってすれば、いくら人間王ががんばっても、
人間界に闇の思念を具現化させることは不可能だと思います。

そういえば、「精霊の黄昏」の空中城には鏡の間に大きな穴が開いていました。
これが「冥界の門」や邪霊モンスターが現れる不気味な穴だとすれば納得がいきます。
ですが、それもGenerationが後と言われるとどうにも納得できません。
 クラーフ島の怪
「精霊の黄昏」では飛空挺も満足に用意できない国ばかりだったのに、
Generationではギルド名義だからという理由で世界を飛びまくってます。
精霊石は大丈夫なんでしょうか。
それとも、動力は生命エネルギーなのか。それはさすがに無理があると思うのですが。
筋肉ムキムキの男達が動力室で念を送っている所を思わず想像してしまいましたが。

ところで、クラーフ島にも高速船(!)で乗り入れ可能らしいです。
イカダは何のために作ったのか。高速船に潜入すれば済んだ事じゃないでしょうか。
それに、クラーフ島の位置を他国やギルドに公開するほどカーグ達も愚かではないはず。

謎はそれだけではありません。イーガとゴーゲンの石碑の位置が変わってたり、
ヘモジジの死の話もなければタペストリーの解説もなされない。(予言だから?)

大体、エッダ(11歳)の影も形も「精霊の黄昏」にないのは何故??
(前作に出ていた少年は薄着でいる主義でしかも温厚な性格なのでエッダとは別人)
 ガンツとルルムの接点がない
「精霊の黄昏」ではガンツはイスロの森を守ろうとしていました。
イスロの森が彼の守るべき場所だったはずです。

それに、彼は人付き合いが下手だったのに、
ルルム共和国の支配者としてデニクやレゴンと喋りまくってます。
(性格が違うというのは他のヒーローズにも言える事ですが)

彼はルルムに一度も行った事がなく、オルコ族を憎んでいました。
にもかかわらず、たかが五年でガンツがルルム共和国の支配者に治まり、
議会でオルコ族代表が他の代表と議論するようになるわけがありません。
あと、ヒーローズの一員のわりには世界を救った事に対して他人事ですよね。
 セルキスと水の神殿について
セルキスは「精霊の黄昏」で他魔族の土地を侵略しようという気はありませんでした。
水の精霊の教えを守り、争いを避けるため神殿の周辺だけで生きているように見えます。
(増え過ぎると住処が狭くなるし餌にも困るので、同族を餌にしていると考えられる)

コレオプト攻撃隊も、大精霊石を狙う魔族達から身を守るためにのみ存在していました。
「コレオプトは神殿の守護者」というセルキスの台詞からもそれがわかります。

むしろ自分の力を誇示して世界を支配しようとするGenerationのセルキスの方が、
魔族の“本能”のままに生きている昔風の魔族のように見えてならないのです。

ところで、「水の神殿」というのはアークザラッド世界で言えば2、3当時の名前のはずです。
5年前「コレオプト神殿」と呼ばれていたのに、
5年後にはコレオプト族自身が「水の神殿」と呼んでいるなんておかしいですよね。
 ダッカム以後?以前?
「精霊の黄昏」で巨大な指導者を求めて破滅したはずなのに、
また軍隊や強力な統率力を求める人々の姿は奇妙です。

Generationの世界のようにテロや犯罪が横行したため、
やがてダッカムのような指導者を崇めるようになったと考えるほうが自然です。

住民は町の外に一歩も出ないのですから、この世界はテロ組織が活動し易そうですね。
うまくハンターや旧軍残党と取引できればやりたい放題ですよね。
 魔族王や情けないドゥラゴの族長の話にダークの名前が出てこない。
マリュスの塔デモンズカップなんか「精霊の黄昏」のダークが考えるわけないと思う。
魔族の英雄から「精霊の黄昏」のダークの名をとったんだと考えるほうが納得がいきます。

カーグにしろ同じことです。好戦的で目立ちたがり屋な「精霊の黄昏」のカーグが、
村に閉じこもって地味な村の再建の手伝いなんかするわけない。

「精霊の黄昏」のダッカムの若かりし頃がカーグにそっくりだった事からしても、
Generationのカーグがダッカムとナフィアの共通の祖先だとしか思えません。
 マリュスの塔について
ディルズバルドのハンターの話によると、
マリュスの塔で何が起こったのか誰も知らないとの事。
(「精霊の黄昏」で空中城が浮上したはずなのに。)

でも塔をディルズバルドが建設したということは事実です。
(詳しくは「精霊の黄昏」イベント表を参照のこと)
 マルについて
「精霊の黄昏」ではマルはついに王子であることを(公式には)明かさなかった。
それなのにGenerationでは、ロサナー達のみならず、
国民にとってもマルが王子だったということは周知の事実となっています。
そもそも、彼の占いの能力はどこへいったのでしょう?

後、マルレや「精霊の黄昏」時代のマルそっくりの双子ミルとモルなど、
以前のマルを思い起こさせる存在があちこちにいるのはどうしたことでしょうか。

それにミルとモルがあんな格好している理由が全く明かされないし・・
 ルルムの不思議
1つめは、ヴァル族が追い出したはずの人間が平気でルルムに生息していること。
これは、「精霊の黄昏」がGenerationの後っていうなら話がわかります。
それならば、カテナ共和国議会のような腐った議会制を廃し、
力関係の均衡に依る新しい中立都市ルルムが生まれたと解釈できるからです。
ラケルタ族はクイナ火山に住処を移したのでしょうし・・

2つめは、ダークの支配下に入ったはずのオーガ族とコレオプト族、
どちらからもダークの話が聞けないことです。(セルキス自身からも聞けない)

3つめは、ルルム共和国にオーガ族がいないことです。
Generationではオーガ族はモンスターに近い存在として描かれています。
進化したはずなのになぜ退化しているのか、謎は深まるばかりです。
それに、もし戦闘能力を伸ばす形で進化したとしても、
普通、大精霊石もないのに魔族が五年で進化できるものでしょうか?

4つめは、Generationでルルムの街が広がっている事。
交易地でなくなり闘技場も閉鎖、店も一つしかないのに、
街を広げる必要があるんでしょうか?・・柱も移動している気がするし。


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6.ハンターとALDの未来

オープニングの長老らの話や、
ヒーローの仕事中にカテナ研究所で見れるサラク博士の手帳から、
(エッダが悟りを開くような事態が訪れない限り)
Generationの数十年後には、エッダは邪霊に身体を乗っ取られて死に、
ギルドも崩壊しているだろうという結論に達しました。

そう考えた理由は、以下の事項によるものです。
1.除霊師は邪霊のエネルギーを吸い取って除霊する
2.ALDのエネルギー源は、生物の生命活動に関わるエネルギーを増幅したもの

1について:そもそも聖杯の暴走が何故に起こったか考えれば予想がつくはずです。

邪霊とは、この世に残した者達が凶暴化したもの。そのエネルギー自身が危険なのです。
だからあちこちで憎しみを捨てて除霊せよという除霊師の心得が出てくるわけなのです。
しかし、エッダみたいにしょっちゅう相棒と喧嘩するような好戦的な性格では、
邪霊の妄執に取り憑かれて暴走するのが目に見えています。
(エッダが悟りを開くような事態が訪れたら話は変わるかもしれませんが)
2について:カード使用のたびに生命活動に関わるエネルギーを使用するわけです。

犯罪が間断なく発生するGenerationの世界では、
いくら食事しても休んでも、回復しきれなくなっていくに違いありません。
というわけでハンター達の連続怪奇突然死が多発し、
ギルドが崩壊するのではないかという結論に達したわけです。

それに、ルベルスのような経験豊富でクラスも高いハンター達が、
たかが邪霊ログナスゴルモン一匹にやられてしまうわけも説明がつきます。
注:邪霊モンスターは復活するが、すぐというわけではない。
  トドメをさせば一時的に消滅させる事ができるので、ルベルス達の死は理解できない。


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7.Generationと差別問題

魔族差別について
初プレイでは何の疑問も感じませんでしたが、いろいろなゲームをプレイし、
友人に問題点を指摘されて初めてGenerationの魔族差別に辟易するようになりました。

それは、オープニングに出てくる、囲いの中のふくろリスと村民との“友情”って段階で、
気づくべきだったんですが、ね・・私もまだまだ未熟者なので・・

魔族誘拐事件のカマラ誘拐に関しても同じ事が言えます。
ウルスラはカマラを丁重に取り扱ったかもしれませんが、
彼女の事を実験材料としか見なしていないことに変わりありませんから。
女性差別について
突然ですが、「つぐない」とGenerationでは、女性差別度が高いという点でも類似しています。
「メローの探し物」というイベントでは、薄着美女(という設定の)メローが出てきますが、
町人と会話するたびにメローを馬鹿にするような台詞を聞かされてしまいます。
(彼女の心配をするのがものしりじいさんだけだというのは本当にがっかりした)
無論、他の女性キャラクターも例外ではありません。
絵かきのレジーナの絵は認められず、軟派男の練習台にされるだけです・・

では、Generationはどうでしょうか。これも似たようなものです。
確かにポーレットは女性ハンター推進運動をしています。
しかし、その結果生まれたハンター達の格好は、
「何を勘違いしているのか」と思わず口走るようなマニアックな代物。

・・男性ゲーマーを喜ばせるために女性キャラの露出度を無意味に過激にするなんて・・
コレは全年齢向けのゲームですよね、ギャルゲーでも、18禁でもありませんよね?
キャラデザとポリゴンを製作した人の神経が理解できません。
(他にも、ちょこの無意味に大きな胸とか、ポーレットはハンターになれないとか・・)

「精霊の黄昏」では、女性の傭兵「〜レディ」の格好は至極地味でした。
強さだけが傭兵や防衛隊員、魔族王(予定)の仲間になるための条件だったはず。
男性ハンターの目を楽しませるためだけの女性ハンター制度なんて・・

それに、クリア後のサルファスの子供のように、ウルスラがテロリストだからって、
女性はみんなテロリストと思う奴が出てきても、大人が誰も止めないとか・・

もういちど言います。このゲームは「全年齢向け」ですよね?
こんな女性差別万歳のシナリオを子供に見せていいのでしょうか?
それがゲームなのでしょうか?RPGなのでしょうか?

もともと女性キャラに個性があるというのもアークザラッドの魅力のうちのはず。
無論、1ではそうではない。ククルの存在意義は、アークの恋愛相手という以外あまりない。
しかし2では、ククルはただのヒロインではなく最強の聖母となりました。
モンスター学者でもあるリーザや、作戦立案にすぐれるサニア・・(略)
ともかく、女性キャラが知性派であることはもはや当り前だったはずです。

3では最強のお嬢様アンリエッタとか、一人で生き抜く少女シェリルとか、
まだその名残ぐらいはありました。機神復活ですら、主人公は女性でした。

それでも根深い女性差別はありました。魔法使いのマーシアにバニーガールをさせるとか、
リーザの能力値が低すぎて使えないとか、シャンテの衣装露出過多だとか、
スカートはいている女性にキックさせるとか・・

とはいえ、精霊の黄昏ではそれも解消したはずです。女性キャラは皆強かったし頭もよかった。

Generationはどうしてこうなってしまったのか?
それを考えて、同じ失敗を繰り返さないことが必要なのではないでしょうか?

でなければ、アークザラッドなんかいらない、どうせ女性差別のあるゲームなら、
新しいシリーズで可愛くてより奉仕的な女性キャラが出るゲームの方がいい、
という意見がまかり通りかねませんから・・


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