名前:認識記号



名前である。
ついているのが当たり前な感覚の名前。
だが、冷静に考えてみよう。
基本的にあなたは人を認識する時に何で認識するだろうか?
顔ではないだろうか?
名前を言われても分からないが顔は分かる。
恐らく誰もが最初は顔で覚え、それから名前のつじつまを合わせるのだろう。

が、俺が書きたいのはこんなことではない。
名付け親である。
すごいものだ。
なぜ、なぜ「猫」を「猫」と名づけたか。
なぜ、「犬」を「犬」と名づけたか。
なぜ、「蟹」を「蟹」と名づけたか。
まあ、「西表山猫」を「西表山猫」と名づけた理由は分かる。
西表山の猫だからだ。



19990516補足
どうやら西表の山猫が正しいようである。
ということはこの下数行の理論が破綻するが、気にしない。
補足終了

19990516また補足
破綻してない気もする。
補足終了



が、「西表山」がなぜ「西表山」なのか…。
ああ、これも多分西の表にある山なのだろう。
これが上の頂上の自転車にあったら「上頂上自転車」になるのだろうか。
果ては「西表山猫」は「上頂上自転車猫」だ。
一歩間違えば“じょうちょうじょうじてんしゃびょう”だ。
“じ”が三つもある。
略せば“じじじ”だろうか?
しかも前半は「上頂上」だ。
「山本山」にそっくりだ。
いや、そうでもないな。
そういえば「山本山」を英語で表すと「マウンテンブックマウンテン」。
こうなると何を表すか皆目見当がつかぬ。

まあ、かといって英語で表現すると分かりづらくなる一方でもない。
むしろわかりやすくなるものもある。
例えば「コンピュータ」。
これは日本語では「計算機」になるらしい。
ちょっと違うだろう。
計算機と言われたら俺は「電卓」を思い出す。
つまり俺の頭の中では「計算機」=「電卓」である。
と、言うことは「コンピュータ」=「計算機」=「電卓」になるのか?
どこからともなく電算機という意見もあったが気にしない。
少なくとも俺の頭では。
ぬう、電卓になんて複雑な処理を。

どうも英語で表現したのにわかりやすくなってない予感。
と言うより俺が論点をずらしたようだ。
なので別の例。
「テレビジョン」略して「テレビ」
これを日本語で表現するとどうなるだろう。
俺なりに考えてみよう。
テレビの特徴は
まず、箱である。
電波を受信する。
その電波を音と画像の信号に解析する(多分)。
画像を表示するガラスみたいなものがある。
電気で動く。
音が出る。

これから考えてみよう。
まとめると、
「テレビ」=「電波を受信して音と画像の信号に解析しガラスみたいなものに表示し音を出し電気で動く箱」
これでいかがだろう。
俺は満足である。

さらに「ビデオ付きテレビ」になるとえらいことだ。
「電波を受信して音と画像の信号を磁気のびろびろした薄い布みたいなやつに書き込んで記録する電気で動く箱付き電波を受信して音と画像の信号に解析しガラスみたいなものに表示し音を出し電気で動く箱」
になる。
突っ込みは却下。

とまあ、このように名前同士を合成させれば新しい名前が出来る。
こうやって名前を作るのは簡単だ。
大変なのは、元となる名前。
例えば、さっきも出たが「猫」「犬」「蟹」。
他にも「星」「夢」「耳」「桃」「味噌」
これらの名付け親には十分に感謝しなければならない。
なぜならこれらの単語があるからこそこの単語が指している物を認識できるから。
つまり「光」と言う言葉を使うなら光という単語を「光」に定義した人に感謝しよう。
感謝なら感謝を定義した人に。
定義なら定義を定義した人に。
人なら人を定義した人に。
南国少年パプワ君なら南国少年パプワ君…違うな。
南と国と少年とパプワと君を定義した人…か?
パプワは固有名詞だ…ということはパプワ君の親だな。
さて、気づいた人もいるかもしれないが「名前」は名詞である。
「名詞」までも名詞である。
つまりありとあらゆる名詞までもが名前である。
名前だらけである。
名前と言う単語の特許を取っていれば凄まじいほどの金持ちになれただろうに。
先見の明は大事なようだ。
まあ、もちろん他の人が代替の単語を作り上げてしまったら儲けは無しだが。
まじめな話しのつもりだ。
よって落ちはこれで良い。
下手をするとこれから加筆する可能性も残されているが。
俺の性格を考えればないな。



追記:19990428

性格を考えたら加筆しないと言った約一週間後にいきなり加筆。

結局名前というのは、そのものが認識できればそれでよいものである。
イメージがこんなのだからこうね、と言うように、
音がイメージに追従する必要はない。
イメージが音に追従するから。
例えば、「けっこん」
これを言われるとおそらく「結婚」と考えるだろう。
だが、「血痕」の可能性もある。
つまりけっこんという音=結婚という図式が頭の中で出来上がってる。
イメージが音に追従するよい例だ。
「けっこんっていいよなー。」
と言っても、誰もが「結婚したいのかこいつは」と思うだろう。

「なにぃ!!ルミノール反応のことを言ってるのか!!
と言うことはこいつは医学系志望の人間か。
それとも薬学か。
どちらにせよ儲けそうだしイメージも良い。
友達になっておいて損はないだろう。
だがこいつが作った薬が馬鹿売れしてほくほくの時に
『こいつの作った薬はただのプラシーボだ!!』
って訴えられたら俺までとばっちり食らうかも。
いや、プラシーボは訴えられないか?
現に使っている医者は大量にいる…。
うむむ…悩み所だ。
三日三晩ほど悩みぬきそうだ」

とは誰も思わないだろう。
おそらくプラシーボは訴えられることはないであろうが。

結局音と物を結び付けてその後イメージができてるのだ。 と思う
つまり…腹の虫の音に美人と言う意味をあてがったら…。
腹が減って音が鳴った時だけ美人と表現できる。
例え相手を美人と思っても、腹が減ってないとそうやって誉めることが出来ない。
お世辞も言えない。
口説きたい相手と会う時は
うまく腹を減らしてから会う必要が出てくる
なんと厳しい世の中だ。
しかし腹が減ったら必ず腹が鳴るという人もいるだろう。
えらいことだ。
腹が減ったら美人なのだ。
誰にでも美人と言いまわる人間という不名誉な扱いをされてしまうだろう。
当人にとっては腹が減っているだけなのに。
なんと切ない世の中だ。
同情を禁じ得ない。
まだその音が美人を示すならよいが。
「消えろ。」
とかを示す言葉だと目も当てられない。
例え仲の良い相手と会っていても腹が鳴るとその相手とはそこで終わりだ。
仲の悪い相手だとなおさら。
ある特殊なことで生活の糧を得ている人が相手だと生命が危険だ。
腹が減ったら喧嘩なのだ。
その後で喰らう飯がさぞかし旨いだろう。
しかし一食の飯の旨さのために友達をなくす。
それはいただけない。
せめて五食はうまくなければ。

対策として、常に物を食うと言う手がある。
これは腹が鳴らないようにする対策だ。
ただ、太る。
女性はできれば避けたいことだろう。
女性でないのに俺も避けたい。
では、どうするべきか。
腹にサイレンサーを入れよう。
これで万事OK。
いつでもどこでも腹を空かせることが出来る。
特殊な人が相手でも生命の危険もない。
すべて解決である。

それはいいのだが、ここは一体何の話を書くところだっただろう…。



トップへ A Thinker インデックスへ 一つ前へ戻る