考察



考え、察する。
それはすばらしい行為である。
それまで意識に上らなかった事を、考える事により察するのだ。
つまり、人間の知力の発展に繋がる。
人は、考え、過ちを犯し、そしてその過ちを修正し、発展していく。
理性が本能を凌駕している数少ない動物のうちの一つである。
もちろん人は上記のように、過ちを犯す。
その上過ちだと分かっていても自分の身に災厄がないと正そうとしない。
理性より本能のほうが過ちが少ないような気がしなくもないがそれはまあ、おいておく。



ご存知だろうか。
考える、という行動は結構エネルギーを消費するのだ。
もしあなたが学生なら午前中だけでも真面目に授業を受けてみて欲しい。
かなり空腹感を感じるようになるかもしれない。
反対にだらだらと不真面目に授業を受けると腹の減り具合が小さいことが多い。
不真面目に授業を受けるとあまり考えないからエネルギー消費が少ないのだ。
これは食費に負担がかからない状態を作り出せるのだ。
つまり貧乏学生は不真面目に授業を受けよう、ということだ。
同じ事は社会人にも言える予感。
貧乏社会人は不真面目に仕事をすべし、ということか。
不真面目にだらだらと長時間仕事をすれば残業手当を要求できるので真面目に仕事が出来るようになる。
これは、新たなる社会の方式が完成しようとしている記念すべき瞬間である。



ところで、急激な情報共有社会が出来あがっていく事で、物を考えなくてもある程度情報が出てくるようになってきた。
顕著な例として、科学的実験の結果等であろう。
電子メール、Web、ネットニュース等により世界中の情報の壁が減ってきた。
そのうち国家機密地帯の暴露話なども出てくるのかもしれない。
もちろん言語の壁は発生するが。
しかし、やはり共有できない情報という物も存在するだろう。
社外秘などと言う低レベルな共有不可ではない。
共有をしたところで意味をなさない情報だ。
例えば、今私の頭に「14561」という数字が浮かんだ。
しかしこの情報を共有したところで、一体何の役に立つのだ。
これが何かの暗証番号等なら誰かがいたずらに使うかもしれない。
しかしそもそも私は5桁の暗証番号は持っていない。
残念だね。
他にはこんなものだ。
今飲んでいるコーヒーは熱い。
そんな情報を与えられたとして、どう活用するだろう。
どうしようもなくて呆然とたたずんでしまう以外には何も行動を許されない。
わんこ蕎麦を14杯食べた。
それがどうしたと言うのだ。



ふと思いついたのだが、共有する価値のない情報データベースを誰か作らないだろうか。
共有する価値がない、と思われる情報をデータベースに登録していくのだ。
そして誰かの役に立ったらデータベースから抹消する。
意味のない作業だ。
まず第一にそのデータベースの存在が共有する価値がない。



今、共有して喜ばれる情報とは何なのだろうか。
価値ある情報。
万人に価値のある情報。
かなり難しい。
とりあえず、私が発信したい情報は、楽して儲ける仕事募集中、という事だ。



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