カリスマ



カリスマがはやっているらしい。
一般大衆メディアにはカリスマと言う4文字があふれている。
カリスマ美容師
カリスマヘアーアーティスト
カリスマ女子高生
カリスマ建築士
カリスマ中小企業診断士
カリスマプログラマ
カリスマダンサー
カリスマDJ
カリスマ酔っ払い
カリスマ癇癪持ち
カリスマ神経痛
カリスマ家
カリスマガンジス川
カリスマヨーロレイヒ
カリスマ耳
カリスマメトロポリタンミュージアム
カリスマ四星玉(1/7だけカリスマな神龍になったりする)
カリスマラッキー池田
カリスマ今日
カリスマ洋服の青山
カリスマ痒い
カリスマ大食い自慢
カリスマ目がちかちかする
カリスマカリスマ

どうだろう、あなたが当てはまるものはあっただろうか?
カリスマ今日などはお勧めだ。

ところで、私の名前は「ぼぶ」(カリスマ注:カリスマ本名ではない)だ。
カリスマぼぶがもしいたとしよう。
そうなると私は悲劇だ。
名前を変えないとカリスマを得ることはできない。
もちろん同じに二人カリスマな奴が存在すると言う概念を作り得ることも可能だ。
そうなると私がいつのまにか二人目のカリスマ的存在になっていたと言うこともありうる。
が、カリスマな物(ここではカリスマちぢれ毛としよう)複数存在できるとなると、カリスマちぢれに対する価値は激減する。
世の中に一つしか無い物と二つあるものではどっちか貴重かと言えば言わなくとも分かるだろう。
カリスマちぢれ毛は世の中に二つと存在してはならないのだ。
つまりカリスマぼぶは一人しか・・いや、ぼぶと言う名前は人間専用な訳ではないから一個しか存在してはならない。
のか?

そうすると、他にカリスマぼぶがいたとすると、私はカリスマがつくことは現カリスマぼぶがぼぶを引退しなければなれない。
まあ、その時まで普通のぼぶで我慢しよう。
が、しかし、もしカリスマぼぶが犬だったとしよう。
私はカリスマで犬に負けたのだ。
どう言うことだ。
しかしそれならまだしも、もし私の肘がぼぶと言う名前で、そこがカリスマぼぶだったらどうしてくれよう。
私は私の肘に惨敗だ。
由々しき事件である。
肘に負けた肘の本体。
しかしその肘を本体の一部であると見なすと、その肘は自分に負けた事になる。
器用なことに、その肘は勝者も敗者も自分ということになる。
一石二鳥ではないか。
よく野球漫画等に負けて強くなったと言う台詞がある。
それから考察するに、この肘は試合に勝ってさらに負けたことによる強さを手に入れるのだ。
少しずつ最強となっていく。
そして私は私の肘がなくなるまでカリスマになる可能性はなし。
いつまで経っても肘に頭が上がらない。
飛び込みのできない小学生が怖がって顔だけ下に向けたはいいが、決心がつかなくてそのままの態勢でおどおどしているかのように
頭を下に下げ、肘を上に上げていなければならない。
弊害として肩が疲れるな。
負けたものの運命か。

ところでカリスマって何?

カリスマまったり。



3/22/2002
今更カリスマなんて流行ってないかと思うが。



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