暇と言うのは苦痛だ。
もしあなたが暇になってしまったらどうするだろうか?
自分に毛が何本生えているか数えてみたりするのだろか?
私が仕事場で暇なときは何をしているかと言うと、これを書いている。
最近いきなり更新スピードが上がったのはこのせいも関係あるやもしれん。
暇あれば文章を書いている。
何をするともなく書いている。
そしてたまにタイムスリップする。

タイムスリップの前兆現象として眠くなるというのがある。
そしてこれを書いている今強烈に眠かったりする。

というところまで書いた後気づいたらどうも1時間ほどタイムスリップした感がある。
ただ、このタイムスリップは、ほんの近い将来へしかスリップできないが。
そういえばチャットで誰か(女性である)がタイプストリップと連呼していたが一体何なのだろう。
ストリップの和訳がよく分からないので便宜上「脱ぎ脱ぎ」とする。
タイムストリップを和訳すると「時間脱ぎ脱ぎ」である。
時間とともに脱ぎ脱ぎだろうか。
いや、それでは一般的に考えられている脱ぎ脱ぎと何ら変わらないではないか。
時間という単語を接頭する意味が存在しないと言えよう。
ではこの場合の時間は何を意味するのだろうか。
時間を脱ぐということか。
時間というブランドの服でも着ているのだろうか。
いや、冗談で書いたが「時間」はどうかと思うが「タイム」はありそうだ。
棚からぼた餅というか身から出た錆というか。

まあ、ともあれ暇である。
局所的にいきなりどどーんと忙しくなったりはするのだが、全般的に暇である。
これはどうしたことだろうか。
以前はもっと恐ろしいくらいに忙しかったのだが。
家に帰れない時もままあった。
しかしである。
現在、帰るのが遅いにしろ毎日帰っている。
遅いとは言っても夜22:30には帰っていることも少なくない。
そんな遅いというほどでもない、と書こうとしてよく考えると
普通の業界はこんなに遅くにならないのではないか
との思いが過ったが、まあそこはそれ、月にある程度の残業手当を頂いているので文句は言わない事にした。

この場合、一般的な人物なら暇な時間よりどどーんと忙しくなる時間をネタにするのかもしれんが。
そこはそれ、私「翠恋」ことぼぶである。
母親譲りのどうでもよいところばかり気になる性分がそうさせてくれない。

母親譲りということで母親から譲られたものについての説明をしなければなるまい。
この子にしてこの親ありと言う言葉以上にこの親ありな母であり、自慢である。
私と母との電話は実の親との会話とは思えない程の一聴の価値があるっぷりだ。
おおよそ親との電話ではないのだ。
どこの友達と電話しているかと疑問に思われるほどの立派ぶり。
まあ、そこらへんは父も負けていないのであるが。
しかし父との方が真面目な電話をする機会が多いのでフレンドリーな電話は少ない。
いや、母との電話は真面目な話題でも途中でお互い壊れた会話を始めると言うのが原因かもしれないが。
そしてこの母から譲り受けたもの、それはどうでもよいところにばかり目を向けるということである。
この偉業を譲り受けてしまったがためにこんな出来事があった。

高校生の頃、若気の至りで悪友数人と「エロビデオ」なるものの鑑賞会を行った。
その時私以外の人間は
「胸の形がよい。こう、ふんわりとしてあたかもマシュマロのようではないか。」
「いやいや、尻がよい。美しい丸まりは桃を想像させる。」
とまあ、通常の反応をしめしていた。
いや、これが女優ではなく男優の事を言っているとすると随分尋常ならざる反応だが。
そこをもってすれば私はこのような反応をしていた。
この部屋、作成費が安そう、もうちょっと良い小物を置けなかったのか。
右の方にある鉄の棒状のものは何だろう?カメラの三脚か?
とまあ、このような事ばかりを気にしていた。
もちろんそれは高校生という若き日々の事、そのビデオの本来の目的もある程度は気にしていたが、
むしろそれ以上にそういう全くどうでもよい事ばかりを気にして拍手喝采を買った記憶がある。

そのような場面においてすらもこのような事ばかりを気にする人間になってしまったのも、母親の影響ではないかと考えているがいかがか。
まあ、いかがかと言われてもここを読む人は知らぬ存ぜぬと困る一方かまたは私のせいで息子は…と思う人くらいしかいないのであろうが。

そこはそれとして置いておくとして暇についてである。
世の中には雑文サイトと言うところがある。
まあ、私のホームページは雑文サイトと呼べなくもないかもしれないが、
音楽サイトとしてこれから推し進めようかなと思っている節もあり、落ち着きがないことこの上なしだが。
しかも画像まで置いている、となれば芸術サイトと呼ぶべきか?
私のサイケデリックな画像の数々は私の絵心を端的に表現していると言うことは
ここを何度となく訪れた人であれば周知の事実となっているであろう事は疑いの余地がないのだが。
これからも妖精さんは増えていく予定(あくまで予定)なのでよろしく、とまあ挨拶は程ほどにしておいてである。
つまりこの文章は暇であるからこそ書けているのである。
暇がなければこのような文章書けるはずがない訳であり、つまり雑文書きはおおよそ暇人の集団なのだろうか。
確かに私が最もよく見に行く雑文サイトの管理者は、何をしているか正体不明ではあるが、暇はありそうな生活をしているような気がする。
この辺は本人に何をしているか聞くしか無いのだが、一般的に見て暇であるような生活をしているような気はする。
一般的に見てと言う断りを入れたのは、本人は暇ではないと言い張るであろうからだが。
つまり、雑文書き(私が雑文書きとして認識されているなら)は暇であると言う事が結論付けられる。
さあ、暇な人よ、あなたも雑文書きになれる要素は多大に持っている。
筆、いやキーボードを持って立ち上がろうではないか。
ただ、一つ助言を言うとすれば、常識人では難しい所業ではあると言う事だ。

君のがんばりに期待しつつ、また次のネタを書きとめる生活を始める事にしよう。
それでは。



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