自転車に乗って


たまには自転車に乗って遠くに行くのも良いかもしれない。
昔は自転車にしょっちゅう乗っていたもので、どこへ行くにも何をするにも自転車が無ければならず、自転車がなければ学校にも行かないような日々をすごしていた。
おかげで自転車をわざと壊したりしたものだが。



自転車も万能ではなく、故障をする事もままあった。
最も多かったのはタイヤがパンクする事だったのだが、これは自分の手で修理できたのでそんなに大した面倒にはならなかった。
最も衝撃的だったのは、ブレーキを強くかけすぎてブレーキのケーブル(とでも言うのか?)がプチンと切れてしまった事だ。
これによってブレーキ不可能、加速したら転がり摩擦によってスピードが落ちるか、か何かにぶち当たるまで走り続けるそんな暴走特急気味な自転車の一丁上がりだった。
そしてそんな時、緊急で停止しなければならない場合どうするかと言うと、身近にあるものを蹴って逆方向へのベクトルを与えてやり、それによってとまっていたのだ。
トラックにぶつかりそうになってそのトラックを蹴って止めたこともあるが冷静に考えるとただぶつかる衝撃が自転車ではなく足にかかるだけで、しかも足は蹴っているのだから逆向きのベクトルと合計して衝撃はかなりでかかったはずであり、むしろ悪い結果さえ生みかねない行動だったのだがまあ、若気の至りだ。
今思うとなんて足を粗末にする止まり方だ。

そんな足を粗末にしてしまう自転車乗りの私ではあるが、現在は自転車自体を持っていない。
もう春だし、自転車で風を切りながら走り抜けるのが楽しい季節ではあると思うのだが、如何せん置き場がない。
購入資金もある程度捻出してこなければならないので、やはり歩行がメインの生活になっているのだが、いつかは自転車、しかもママチャリではなくてそれなりのスポーティーな自転車でそこら中を駆け巡ってみたいものだ。



そういえば小さいころは斬新な自転車についての考えを張り巡らせていたものだ。
山を登るためには自転車をどう改造すればよいか、等考えて少しでも世の中のためになれば、と言う若いなりに立派な心がけだったと言えよう。。

その時思いついたのはエンジンをつけて自分がペダルを踏まなくても良くすれば良いのではないか、と思ったのだが今冷静に考えるとそれは最早自転車ではなく原動機付自転車の分類になり、はたして原動機付自転車は自転車の一種として考えてよいものかどうか、いらぬ悩みに日々苛まれると言う何というか、ミイラを取りに行ったらマミーになった、というよく分からない状況になったりした気がするのだが、それはまた別の話。
ちなみにマミーはミイラみたいなものである。
他にもいろいろ考えた。
例えばブレーキをペダルに装着して、速度を出そうとすればする程ブレーキがきつくかかるものや、タイヤは回転せず、自力で飛び跳ねて動かす、という物まで。
前者はちょっとややこしい改造をしなければならないが、後者はブレーキを強く締めっぱなしにすることによって擬似的に体験できるのでぜひやってみてもらいたい。
バランス感覚を手に入れるのに最適なのだが、自転車としての意味はないかもしれない。
どの考えについても、確かに斬新ではあるけれども斬新過ぎて自転車ではなくなると言う本末転倒な状態を引き起こしてしまった昔の私である。

ところで上の文章にある、ミイラ取りがミイラになる、と言う表現はいつから使われているのだろうか?
間違いなく古い言葉ではないと思うのだが、しかし平安時代にミイラと言う言葉が無かったとは言い切れず、悩むのみである。
平安時代は即身仏とか呼ぶだろうがしかし、例えば鮭の卵をイクラと呼ぶように魚の成長過程によって呼び名が変わると言う事が往々にしてあるのと同様、もしかしたらまだ包帯を巻いている状態をミイラ、包帯を解いた状態を即身仏と呼ぶ、などの呼び分けがあるいは存在していると言う可能性は否定し切れないところで困ったものだ。
ここで私が「ミイラ取りがミイラになる」の新しい可能性を提案してみよう。

昔あるところにミイラと言う名前のそれはそれは大層愉快な娘さんがおったそうな。
このミイラと言う娘さんの住む村には、決して誰も登ってはいけない、と呼ばれる山があったということじゃった。
村長はその山についてこう言うとった。
「あの山には恐ろしい化け物がおるんじゃ、だから行ってはならぬ。」
それを聞いた村人は「おお、恐ろしや恐ろしや、くわばらくわばら」と誰も行こうとせんかった。
しかしミイラさんだけはとある事実に気づいたのだ。
「村長山のこと知ってるんじゃん、行っちゃ駄目って行ってるのに村長は行ったことあるのかな。」
そう思うとこの愉快な娘さん、いてもたってもいられなくなり、山を登ることにしたそうな。
そしてその山には一体どんな化け物がいるのだろうか、と思いきや、いるのはこれまで見た事の無い鳥ばかり。
そして山頂にはその鳥を模した鳥居がひとつ。
ミイラさん、面白いものは何一つ無かったと思いがっかりじゃったそうな。
その鳥居をくぐり、その鳥を一番つれて村へ帰った。
次の日、山に登ったときのことを皆に触れ回っていたミイラさん、突如村長の家へ呼ばれたそうな。

村長(以下長):「ミイラよ、そなたはわしの言う事を聞かずあの山に登ったそうだな。」
ミイラ(以下ミ):「ええ、ですが何も危険な事は無かったですよ。」
長:「知らんわ、わしが何故あの山に登ってはならぬと言ったか分かるか?」
ミ:「分かりません。」
長:「それはな、あの山の鳥はみんなわしの物にするためだ、貴様らなど心配するか、ぐわーっはっはっはっはっは。」
ミ:「な、何て事をっ!」
長:「誰か、であえであえ、謀反じゃっ!」
ミ:「ああぁぁぁぁぁ!」

悲しいことにミイラさん殺されてしまったのじゃ。
殺された時の悲鳴であって決してターザンの真似ではない事に注意。
その頃、ミイラさんに山には鳥しかいなかった、と言う報告を聞いて興味を持った村人たちが大挙して山に押し寄せていた。
村人:「おお、鳥がいっぱいじゃ、この鳥は見つけたミイラの名を貰ってミイラ鳥と呼ぼう。」
ミイラ鳥:「ゲロンパ、ゲロンパ」

村人たちはミイラ鳥をたくさん連れて村へと帰ってみると、ミイラさんが見当たらないではないか。
村人:「あんなに愉快な漫談をしてくれる人がいなくなるなんて、これから俺たちはどうすればいいんだろうか。」
ミイラさんは漫談の人としてしか認識されていなかったのが悲しいのだが、しかしそれはそれで村人は一念発起。
ミイラさんの遺体が村のはずれの竹やぶに棄てられていたのを発見した。
ミ:「いやぁー、死んじゃったよー、そりゃあもういきなりあっちからバッサリこっちからバッサリと村長の側近が切りつける、流石に私もうろたえてしまって『これがバッサバッサやね』、とボケにならない言葉を言ってしまって、猛反省してますよ、ええ次回はがんばりますっ!ぐふっ。」
と遺体が捲し立てて喋り回るので村人は恐ろしくなり、死んでも動く人をミイラと呼ぶようになった。
そして件の山を畏敬を込めてミイラ山、と呼ぶようになったそうな。

そう、この話を持って「鳥と山がミイラになる」と言う諺が出来たようだ。



そう、これからの季節、自転車で走るときの風が気持ちよい。
皆様もぜひ自転車を乗りこなし、電車いらずの生活をしてみてほしい。