■増澤元哉くんの場合 

 


→患者
→患者の家族
→発症前の様子
→発症の経緯
→医療機関との協力
→現在の状況
→担任の先生から近況報告 

 

【患者】

増澤元哉(ますざわ もとや) 1983.9.24 男子
1987年発症(4歳7ヶ月) MLD小児型

【患者の家族】

父、母、本人

 

【発症前の様子】

 3歳で入園しましたが、何の変化もなく、発育も普通でした。知能面も問題はなく、特に0歳より水泳をしていて3歳のときには25mを泳ぐようになっていました。2学期に入った頃より、だんだんと言葉が少なくなり、急におとなしくなってきていました。

【発症の経緯】

 3学期の始まり頃から、右腰が傾くようになり、国立小児病院整形外科(当時の医長、村上医師)を受診し、その後整形に問題ないが一応神経科へと言われて二瓶医師の診察を受け、入院検査の結果、MLDと診断される。

 10年たちます。忘れたことがたくさんあります。子供の病気、それを受け止めるために、母も父も2〜3年間はショックの中にありました。その間に元哉は歩行できなくなり、話すことができなくなってしまいました。今思えば、苦しい時期でした。そのあと2人目の子供を流産しました。発症の経緯で一つだけ印象的だったのは腰が曲がっていたことです。言葉で昔のことを話すのは辛いことが多くありすぎますが、少しずつ思い出してMLDの子供に役に立つことは伝えたいと思っています。なんだかとりとめない文でごめんなさい。

【医療機関との協力】

 MLDと診断されたあと、九州大学医学部の病院へ入院して、身体の不自由な子供のリハビリのため母子で勉強をしました。その後は国立小児病院の神経科に毎月、整形外科に6ヶ月に1度通院、また、東大和療育センターの小児科、リハビリ科に毎月通っています。

【現在の状況】

 大泉養護学校中学部2年に在学し、スクールバスで毎日通学しています。9月24日で14歳になりました。身体の変形はありますが、元哉は笑顔が出て意識はしっかりしているようです。食事も口から摂ることができてますが、固形物は食べられません。水分補給は1日1リットルくらいは摂ってます。ソリタを入れた水を500ccくらい摂ります。風邪には十分注意をしてますが、毎日通学することでリズムよく生活できているようです。冬の寒い時期も通学しています。あまり家の中で過ごすと弱くなっていくようで、外出するようになると元気になりました。

 母親のことをよく見ていて、母が元気でいると喜んでいるようで、人を観察する力はあるようです。出張することが多い父親が不在のときは、わがままを言わないでいるようです(なぜか元気で夜もよく寝ているようです)。

 視力低下はあるようですが、耳はよく聞こえているようです。この夏には少し体調を崩し、気管を悪くして入院(4日間)しましたが、二学期は元気に通学しています。養護学校では先生と毎日楽しく過ごしているようで、カモメのモザイクで朝の挨拶をしてスタートしているようです。給食も全量を食べています。中学生なのでクラブ活動があり、音楽クラブに属しています。先生と共に楽器に触れることが好きです。また、男の先生から「マスザワ」と呼び捨てにされたり、男の子らしいことが好きです。クラスの同級生の女の子が発作を起こすと、とても心配するそうです。感情は正常にもっているようです。

(1998/10)

【担任の先生より近況報告】

 MLDホームページの皆様、はじめまして。
 増澤元哉くんの担任の奥山@都立大泉養護です。

 今年の4月からモックンの担任になりました。モックンとの楽しい学校生活の一部をリポートさせていただきたい と思います。

 朝、スクールバスから降りて教室に来ると、まずビッグマック(大き なスイッチ型の音声出力装置で、今日本で最もポピュラーなコミュニ ケーション支援機器です)で朝の挨拶をします。ビッグマックにつない だスイッチを、モックンが身体部位のどこかを動かして操作すると、あらかじめ録音してある音声(「おはようございまーす」)が出てくるのですが、まずはモックンに尋ねます。

「モックン、顎で押す?腕で押す?膝で押す?」
 このように聞いてもらえることが、モックンはとっても嬉しいようで、 とてもすてきな笑顔で笑いながら「モグモグ」と口を動かしてくれます。

「はい、顎で押してくれるんですね」(モックン、笑顔)
 ビッグマックにつないである直径10センチほどのスイッチを、モック ンの顎の下に当てると、「モグモグ」という動きや「あくび」、「呼吸にともなう動き」でスイッチを押して音声が出てきて朝の挨拶終了。

 ときに、教室に来ても難しい表情をしていることがあります。スクールバスに揺られてくる間に痰がたまってきたのです。このようなときは、挨拶をしてから車椅子から降ろすこともありますし、朝の挨拶は取りやめて 降ろすこともあります。モックンの緊急度を見ながらです。痰がたまっているときには、車椅子から降りて側臥位から腹臥位になってもらって、とりあえずすぐ出る分をタッピングをしながら出してもらいます。 口腔より奥にある痰は、体位を変えたりタッピングをしたりバイブレーショ ンをかけたりして口腔内まで移動させて出してもらいます。痰がうまく出てすっきりしたときには二人で大喜び。心の中では手を取って 踊って喜んでいます。このときに私の「武器」は聴診器とパルスオキシメーターです。すぐそばの キャビネットの中に携帯用の吸引器が入っているのですが、今の時点では吸引 は保健室でのみ対応しています。

 東京の養護学校では、救急体制整備事業というものに取り組んでいます。 子どもたちに必要な医療ケアの中で、教員が研修をすることによって対応で きると医師に認められた医療的ケア(吸引や注入、導尿や酸素管理など) を研修を受けた教員が学校生活の中で行っていくというものです。

 1992年度(平成4年度)に都立村山養護学校がモデル校になり(当時 は事業の名称が異なりますが)、1996年度には都立の肢体不自由養護学校で救急体制整備事業としてスタートしました。しかし、学校によって取り 組みの進度にまだまだ差異があり、大泉養護もやっと歯車がまわりはじめた ところです。普段はモックンは体位変換やタッピングで排痰ができるのですが、痰の量が多いときなどは吸引が必要となり、近々、教室の中ですぐに対応できるよ うになる予定です。(医療的ケアの問題については「医療と教育研究会」という研究組織があり、「医療的ケアが必要な子どもと学校教育」ホームページで詳細を見るこ とができます。

 排痰が終わると、朝の健康チェックです。聴診器で痰の有無を確認したり、体温を測ったり。このとき、モックンは「体調がいい」と言われるのがとっても嬉しくて、(聴診器を当てながら)「もうゼコゼコいいませんねぇ。とってもいい音がしますねぇ」(モックン、大喜び)(体温計をモックンの脇に挟みながら)「ピピッて音がしたら教えてね」(ピピッと鳴り、モックン、ニヤリ)「あ、今、ピピッて鳴った?」(モックン、大ニヤリ)「あ、熱はありません!」(モックン、大喜び)
  聴診器を当ててゼコゼコ聞こえるときでも、「ここでしょ?」と場所を当てるととっても喜んでくれます。こうまで喜んでくれたら、それに応えないわけにはいきません。また、体を動かしたりタッピングをしたりして痰を出 します。

 今日は、朝の様子をレポートしました。

 モックンの学校生活の中では、コミュニケーションの確保ということを重視しています。「やりとり」が質や量の面で向上することが生活の質の向上 につながると考えているからです。モックンに選択の機会をたくさん用意すること。モックンの意志を確かめ、 尊重できるようにすること。モックンからの発信(声や体の動き、笑みなどの表情)を確かめること。言語化すること。モックンが感じた可能性があること(見えたもの、聞こえたこと、におい等)を言語化して確かめる(共有すること)等です。  モックンがやりとりの「切り出し」をしやすいように、スイッチや音声出力装置、スイッチで動くおもちゃ、コンピュータ等できるだけ多く用意でき るようにしています。

 その一端をお伝えすることができたでしょうか。

 次の機会に、他の学習のことや、ハンサムなモックンをめぐる様々なこと等、お伝えできればと考えています。

奥山 敬(都立大泉養護学校高等部)  

(1999/11/08)

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