■小野寛佳くんの場合        album.gif (3626 バイト)

 98年の春に朝日新聞に載った楓子の記事をたまたま寛佳くんの元担任の先生が連絡してくれたおかげで、小野家と知り合うことができました。


→患者
→患者の家族
→発症前の様子
→発症の経緯
→その後の経過
→現在の状況
→写真館 

【患者】

小野寛佳(おの ひろよし) ? 男子
1988年発症?(13歳?) MLD幼児型

【患者の家族】

不明

【発症前の様子】

 出生時は特別問題なく、発育もまったく問題ありませんでした。今思うと、とにかく手のかからぬ「おりこうさん」で、そしてよく寝る子でした。半日くらい眠ることもあり、寝る子は育つというから元気な証拠と、みんなに言われたほどでした。とにかく、おとなしく、言葉も優しく、「オカマ」と言われることさえありました。

【発症の経緯】

  ただ、今考えると、歩いているときにころびやすく、三輪車をこげず、両足で蹴って乗っていました。最初におかしいと思ったのは、飴の包装紙を剥こうとする手がふるえていたことです。いくつかの病院に行ったあと、大学病院に検査入院しました。
  1ヶ月の検査入院の結果、診断が出たのですが、そのときはどうしても信じられない気持ちでした。入院したときには歩けたのに、退院したときにはもうふらふらと歩けない状態で帰ってきたのです。絶対病院にいったために悪くなったんだ、としか思えませんでした。発病して1年後には先生のお話の通り状態がまた悪くなり、歩けなくなりました。最初は手をついて足を引きずり、お馬さんのようなかっこうで移動していました。よだれが出て排尿も一人でできなくなり、言葉も徐々に出なくなりました。 

【その後の経過】

 そのころ、ちょうど風邪をひいて体調を崩してしまい、誤飲の心配から経管栄養にしました。大好きだったカボチャご飯を目の前にして、食べたいのをこらえている姿は何とも言えず、家族は寛佳の見えないところで食事をするようになりました。今から考えると経管栄養の開始は少し早すぎ、今の私だったらチューブを入れていなかったと思います。
 4歳半頃から6歳頃まで、体力も低下し、病院の入退院も多く、急激に病気が進んだように思います。学校に入れるのだろうかと不安で、就学前相談に吸引機を持参し、たくさんの毛布に寛佳を包んで学校に行ったことがつい昨日のようです。
 一年生のときは訪問学級で入学。そして担任の先生に熱意を込めて指導していただいたおかげで二年生からは通学生になりました。しかも、それまで経管栄養だったのにもかかわらず、牛乳一本を口から全量飲めるまでの指導をして頂き、給食も食べられるようになったのです。といっても、誤飲の心配から、主治医の先生からのOKはとうとう出ませんでした。最初は1さじ、2さじ、1/4、2/3、全量と、少しずつ増やしていき、今はおやつに大好物のバナナを毎日食べています。

【現在の状況】

 今年から中学部になり、本当にたくましく男らしい顔立ちになって来ました。今現在、下の歯が内側に入り、上の歯で下唇を強く噛むようになり歯科に通っていますが、これが体調を悪くしている原因になっているようです。両足の装具、そして左手の装具、ふだんは座位保持椅子、クッションチェアーを使用しています。背中が曲がって来たのが気になります。学校生活には慣れ、商学部でもそうでしたが、ほとんど休むことなく通っています。

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※このWebサイトはあくまで患者の家族が個人的に作成したものです。医学情報の扱いにはご注意ください。
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