カルカッタ、みたかった


99/9/24 インド7日目



 激しい1日がはじまる。

 やたらと早く寝たおかげで、5時前には目がぱっちり。しかし、まだ、お腹の調子が悪い。下の相棒は寝てるようなので、貴重品をザックごと背負ってトイレへ。カメラも持ってたもんだから、 こんな写真 を撮ってしまった。もちろん、紙はない。インド式。轟音が聞こえてくる大きな穴からは、すさまじい速度で流れていく線路が見える。昔の国鉄も垂れ流しだったなあ、なんて言ってると歳がばれる。

 もう眠れんぞ、と退屈してたら、下の相棒も起きたので、ベッドを椅子に直して座り、昨日の晩飯の残りを食べる。
「何か飲みたいね」
などと言っていたら、ちょうど良い具合に、停車駅にて、
「チャイ、チャーイ。チャイ。チャーイ」
と、チャイ売りがやってきたので、買う。一杯3ルピーだった。チャイ売りが持っているやかんの中には、ミルクと砂糖を溶かしたらしい熱湯が入っていて、それをティーパックを入れた紙コップに注ぐ。チャイ売りの身なりは結構貧しい。このチャイ売りの口まねをしたいところだけど、伝えられなくて残念。

 そばの席のインド人の女の子が、持ってきたゲームボーイのようなものにも飽きて?ものすごく退屈そうにしてたので、手を振ったら寄ってきた。なかなか通じない英語で相棒がいろいろ聞いてみる。
「年は?」
「名前は?」
「どこに行くの?」
「どこに住んでるの?」
などなど。7歳の女の子、なんとかちゃん。インド人の名前は覚えにくい。ヴァラナシからカルカッタまで。好きなスポーツは、バスケットボール。
 お前も少しは質問してみろと相棒が言うので、
「映画は好き?」
と聞いたら、大きく首を縦に振った。そこで、相棒が、
「ムトゥって知ってる?」
と聞いたら、また、首を縦に振る。映画の「ムトゥ、踊るマハラジャ」のことと理解されたのかしらん?とりあえず、写真を撮ってあげる。子供に限らず、インド人は写真に撮られるのをいやがるということはあまりないようだ。どちらかというと好きなのだと思う。昨日のクリーニングのおじさんにしてもそうだし。駅のホームなどで撮った写真を見返してみても、仏頂面してるわりには、皆しっかりポーズをとってたりして面白い。

 途中の停車駅で、かなり汚れた身なりの小さな男の子が入ってきて、勝手に床を掃除し始めた。ひととおり掃除し終わると、今度は乗客にチップを請求して回ってくる。足下のゴミを掃除してもらったことだし、ということで、1ルピーコインを渡した。さっきの女の子と年はそう変わらない感じなのだが、えらい違いだ。エアコン効いた車両に乗るインド人は、かなり裕福な部類に入ると思う。

 こんな感じで、さらに、5時間ほど経過する。

 本来のカルカッタへの到着時刻は、8時前後のはずである。しかし、お昼を過ぎても、まだ電車に乗っている。ディープ氏によれば、遅れは4時間以上とのこと。もはや、カルカッタ観光は風前のともしびである。
 さらに、1時頃、どこかの駅に停車して電車が全く動かなくなった。なぜ、動かなくなったかは不明。ディープ氏は、雨のせいで、カルカッタの方の線路が冠水してるからと言っていたような気がするが、真偽のほどは定かではない。もはや、カルカッタの観光どころか、帰りの飛行機の時間もあやうい。
 相棒含め具合が悪かったメンバーは、インドの薬が効いているおかげか、みな元気炸裂。ひょうひょうさんが持ってきたカルカッタの地図を広げながら、
「せめてマザーテレサの施設にだけは行きたいよね」
「せっかく汚いのにも慣れたのにさ」
「カルカッタに行きたくて来たようなものなのに」
「私のカルカッタを返して!!」
などと言っていた。
 

列車
 後から来る列車に乗り、もう少し先の駅に行こうとガイド達は判断したようだ。ここから、ディープ氏と我々8人の他に、やはりインド人に連れられた日本人のグループ2組およそ10人と空港まで行動をともにすることとなる。うちらの乗った車両は、ホームよりは先に停車しているため、線路に降りてホームまで歩く。重いトランクを抱えての移動は結構大変そうである。幸いにも、うちらは荷物が少ないので、写真を撮ったりする余裕はあった。誰かが
「スタンド・バイ・ミー」
みたいなどと言っている。
 途中、別のグループの、けばい?お姉ちゃんが、綺麗なハンドタオルを水たまりに落としてしまい、顔をしかめて拾わないでいたら、インドの子供達が喜んで拾っていった。
 線路を歩いていると、電車に乗っているインド人が、ガイド氏に向かって何か叫んでいる。ヒンディー語の会話の後、また同じ列車へと乗り込む。なにがなんやらわからない。話の節々から想像すると、「後続の列車が来る前に、この列車が出る可能性があるから」かな?
 でも、後続の電車がやってくるのが早くて、結局、そちらに乗ることになった。あっちに行ったり、こっちに行ったり。状況判断が大変。責任感の強そうなディープ氏、表情は必死で険しい。

「あっ、カップルがいない!」
ディープ氏、大慌てで、元の電車の方へ。と、カップルが遅れて降りてくる。必死に急いで、後続の電車に人と荷物を詰め込み、なんとかこの駅を離れることができた。折しも、雨が降りだしている。
 乗り込んだ車両は2等車。窓ガラスがなく、鉄の枠だけがある。親切にもインド人のおばさんは窓際の席を空けてくれたもんだから、ほっとくとどんどん濡れてしまう。しょうがないので窓に向かって傘をさす。まさか電車の中では傘を差す羽目になるとは。
「はげしすぎる。。」
この日、何度、この言葉をつぶやいたことか。
 インド人のおばさんがヒンディ語で何か話しかけてくるが、もちろん、分からない。

 2駅先で下車する。ここはわりと大きな町のようで、ガイド氏がタクシーを探しにいく。その間、皆でホームで待つ。

 電車が止まっている関係で、タクシーの運ちゃんにかなり足下を見られたということで、カルカッタ空港まで1台3000ルピーという。相場の倍以上だそうだ。

町並み
インド人
 まあ、なにはともあれ、空港まで100キロ。なにか、のんびりとしたところのある運ちゃんではある。余裕こいてタバコなんか吸ってるし。
 車2台に分乗したのだが、我々の方は、Kさん組にディープ氏が同乗。彼女らは、ディープ氏に、
「牛肉うまいよ」
「食べたことがないなんてかわいそう」
「今度日本に来たとき食うといいよ」
などとからかっている。彼女らにはタブーはないらしい (^^;;
 ディープ氏によると、高位カーストは、豚肉も滅多に口にしないとのことだ。確かに、インド航空の機内食は、ベジタリアンとノンベジタリアンというわけ方がされている。
 ちなみに、ディープ氏、バラモンらしい。言うまでもなく、最上位のカーストである。バラモン、クシャトリア、ヴァイシャ、シュードラの4カーストがあり、さらにその下に、ハリジャンと呼ばれる不可触民がいる。ハリジャンとは神の子という意味で、ガンジーが言いはじめた言葉のようだ。さらにこれらは職業毎に細分化されていて、全部で1000以上のカーストがあるらしい。このカーストはヒンドゥー社会に厳然として存在するのだが、今回の観光旅行で、それが強く意識された場面にはあまり遭遇しなかった。帰りの飛行機で、相棒のとなりに座ったインド人が、
「私は別のカーストの妻と結婚した。カーストは今では昔ほど厳格ではない」
というようなことを言っていたらしいが、それは、1000以上ある細かいカースト間の話のようで、ハリジャンのことを聞いてみたら、良い顔をしなかったらしい。
 それにしても、インド人に向かって、
「あなたのカーストは何?」
と聞けるKさん達、あんたらはえらい。

 途中、農村の風景を眺めることが出来て興味深かった。天気が良ければ良いドライブという感じもしなくはない。

雨の農村

 それから、4時間ほど走ると、もうあたりは薄暗い。ようやく、カルカッタの近くまで来たときに、泥で汚れたボロボロの簡易テントらしきものが果てしなく広がっている場所があった。非常に貧しい人達のすんでいる場所だと思うが、強く印象づけられた。
 結局、カルカッタは中心部は通らず、郊外をかすめただけであった。郊外の方でもかなり人通りの多い通りがあるのだが、ところどころ水であふれている。ザブザブと音をたてて車が走るのは、妙な感じだけど、とても気持ちよく楽しくもあった。カルカッタの喧噪をちょっとばかし感じることが出来たような気がする。観光できなくて、つくづく残念だ。

 結局、空港についたのは、離陸の30分前である。
 タクシーを降りてひたすら走る。こちらは急いで慌ててるのに、係員のなんとものんびりしたことか。まったりオヤジばかり。相棒は
「何年間結婚しているのか?」
「なぜ子どもがいない?欲しくないのか?」
などとも聞かれたらしい。大きなお世話じゃ。

 「こんな別れあるもんか」
という感じで、ディープ氏とはちゃんとしたお別れが出来なかった。遠くで手を振るディープ氏にこちらも走りながら手を振り返す。なんとか我々を無事に送り出すことが出来て、ホッとしていることだろう。

 空港のチェックは、のんびりしてるわりにはかなり厳重で、機内持ち込み手荷物にタグがついてないということで追い返されるやら、なんやらで、大変だった。
 おまけに搭乗手続きがぎりぎりだったものだから、皆の席はバラバラ。僕の方は、インド人に挟まれてしまった。席についてほどなく離陸。
 右隣に座ったインド人がこれまたマイペースオヤジで、こちらのことは意に介さず、僕を間に挟んで左隣のインド人とお喋りをしたり、かと思うと、こちらにいろいろと質問責めにしたり。英語力がないので、何を言ったのか全部わからなかったのだが、
「インドには何しに来た?」
「どこへ行ってきた?」
「仕事はなんだ?」
「結婚してるのか?」
「子供はいるのか?」
は、まあいいとしても、
「バンコクには行かないのか?」(飛行機はバンコク経由)
「なぜ、バンコクに行かない?」
「バンコクは、(以下自粛)」
と話が下ネタ系になってきたりして、まあ、よく話す。
 一方で、相棒の方も、やはり、隣のインド人にいろいろ話しかけられたらしい。インド人は概して興味本位旺盛ということらしい。

 この愛すべきインド人達とも、バンコクでお別れである。
その代わりに、日本人がたくさん入れ替わりに乗って来た。もはや日本に帰ったも同然。

 太平洋上で日が昇り、それから、数時間で成田に到着した。

 荷物受け取り場でひょうひょう組、空港のみやげ物屋でKさん組に会う。
お別れの挨拶はもちろん、

「またインドで会いましょう!」

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