発掘!飛騨の旅 その2
6月20日(月)
起床7時。同室の人に見送られ、9時15分前くらいに宿を出発。9時5分のバスに乗るためにバス停で待っていたら、タクシーの運ちゃんに、「バスと同じ料金で松本までいくよ」と誘われた。しかし、松本電鉄に乗りたいからと断わる。バスの運ちゃんは最近、客をとられて商売あがったりだと嘆いていた。タクシーも1人だけ乗せていくというのではなく、相乗りでいくのだそうだ。うまいやり方ではある。
バスはまたもやスーパー林道を超え、安房峠に至る。ここは、日本3大峠(他、美幌、大菩薩峠)の1つとのこと。さすがに、すごい景色が続く。とともに、東京電力(信州なのに)のものすごいダムも続く。写真をとりたい場面も多々あったが、バスからは難しい。ここは、特に揺れる。
日本3大なんとかって多いけど、誰が決めるのかしらん。今では、このすごい峠の下にトンネルが通っている。1時間弱ほどで、新島島につく。ここまで来ると、里まで降りてきたなあという感じ。松本電鉄の電車はあまり、見たことのない型であった(東急車両の銘版があった)。レールを走るリズムも違い、がたんごとんではなく、がたん、がたんってな感じ(これじゃ良くわからん)。
朝は、曇っていたが、この電車に乗るころには、かなり青空が広がっていた。田園風景を走る列車は心地良い。車内はそれなりに人が乗っている。平日にこういう電車に乗ると、地元の生活感を味わえるので非常によろしい。30分もすると、山の裾野に広がる松本が見えてきた。まさに、盆地の中の都市という感じである。山裾に町が張り付いている。
切符は久々の硬券だったので、改札(JRと共通)で、「記念に下さい」というと、律儀にも無効の判を押してからくれた。
硬券(厚紙を使った切符)って今はほとんどないんで、珍しいのだが、もらったからと言ってどこかに丁寧にしまってあるわけではない。鉄ちゃん(鉄道マニアの俗名)じゃあるまいし。着いたのは10時半位であった。とりあえず、松本城に行くことにする。松本城には、歩いておよそ15分くらい。着いたころは、日がカンカンに照りつけて暑いくらいであった。偏光フィルターが多いに役立つ天気である。
偏向フィルターをカメラのレンズにとりつけると、コントラストのはっきりした写真を撮ることができる。天気の良いときに有効。黒塗の松本城が青空によく映える。天守閣は国宝である。これは知らなかった。もう、築城から400年近く経つらしい。堀沿いに歩いて、天守閣に登る。残念ながら、信州の山々は雲に隠れて見えない。
さて、今日の泊まるところを確保しようと、木曽福島の旅情庵ユースへ電話するが出ない。どうしたものかと思案しててもしょうがないので、とりあえず駅に戻る。例によって、また道を間違えて、随分遠回りをして駅にたどり着いた。いいかげんに、方向音痴をなんとかしたいのだが。
旅が好きなくせに方向音痴。まあ、世の中そんなもんだ。ちなみに方向音痴にかけては、うちの相棒にはかなわない。駅に行く途中いろいろ考えた挙句に、旅情庵はなんとなくやめた。電話で出なかったのも、なんかあやしいし(泊まり客がいるように感じられない)、第一、駅から遠いのがネック。結局、安曇野のユースに泊まることにした。
泊まる宿を前日とか当日とか決める旅。いいかげんといえばいいかげん。自由気ままといえば自由気まま。ちなみに木曽旅情庵ユースにはこの翌年に泊まるが、場所が遠い以外は普通のユースだった。ここも駅から遠いが徒歩でも一応行けるという程度の理由。安曇野方面のガイドがなかったので、駅の本屋で、歩く地図を買った。
旅先で本屋に入ることって多い。電車が出るまで40分程あったので、駅の右隣りのそばやでざるそばを食べた。まあ、ふつうの味。ただ、わさびを自分でするあたりはやはり本場ならでは。
穂高駅まではほんの20分程度。駅に降り立つと雨がぽつり、ぽつりと降っていた。ちょっとした通り雨かと思ったが、山沿いの地方の天気はわからない。レンタサイクルで回ろうと思っていたが、とりあえず歩くことにする。けれど、15分ほど歩いて天気はもつと思い、やはりレンタサイクルでまわる。
穂高駅から散策路があり、そのとおりに回った。途中、所々にある道祖神を眺めながら。まず初めは、大王わさび園。ここは、観光バスがたくさん乗り付けるようなところであった。人がいなければのんびり散策できそうな感じだったが。
わさび田の規模はとても大きく、驚いた。また、わさびはきれいな水でないとできないものらしい。興味をそそられることが多かった。上に黒い日除けのようなものがずうっと続く様は独特の風景だ。
寒冷紗?わさびソフト(200円)は、まあまあおいしかった(わさびの味はそんなにしない。当たり前か)。その他、わさびせんべい、わさびカステラ、なんでもござれ、といった感じ。
その後、川沿いをずうっと走り、駅の方まで戻る。美術館は月曜休館であったので、わさび園に行く途中にスキップした、等々力家と神社を見に行った。等々力家は、築400年近い建物で、殿様の休憩所だったところだという。ここは非常に静かで、庭を見ながら縁側でずうっと座っているだけでよい。いかに普段、静かな環境に飢えていたかがよくわかる。縁側でしばらくぼうっとしていた。観光客は誰もいない。
川崎時代にすんでいたところは幹線道路沿いでそれはそれはうるさかった。神社は、本殿のまえに、神楽の舞台があった。周囲の広がりに空虚さを感じるが、ふと、向こうを見渡すと、学校帰りの中学生とかが歩いていたりして、山中にある神社の奥深しさのようなものは、さすがにない。鶏がないていたりして、ユーモラス。
5時も近くなったので、ユースに向かうことにする。ユースは駅の反対側の方向。道に迷いながらも、着いたのはだいたい5時半くらい。田園地帯にある住宅に混じって、安曇野パストラルユースはあった。とりあえず風呂に入る。
この日の宿泊者は5人。常連さんが男女2人に、男2人、女1人。なかなか凝った夕飯の後、8時からは、バーが開店し、世界のビールを飲む。ベルギーのシメイというビールはなかなか良かった。話題はいろいろあって盛り上がったが、やはり常連さんが話の中心であった。鉄道の話から寅さんの話まで、いろいろ。平日に泊まるくらいであるから、皆、それなりの仕事(平日が休みになるような)の持ち主であった。
かくいうJは、なんで、この時、平日2日続けて休めたんだろう?結構酔いがまわり(度数の高いビールが多かった)、11時頃就寝。
6月21日(火)
起床は、7時半。朝食は8時。朝食もまたまた凝ったものであった。ペアレントさんが好きなのであろう。ペアレントの通称、社長さんは、もの静かな人物。クラシックをずうっと流している。相当のコレクションがあるらしい。儲かるんだろうなどと考えたりする。
さて、この日はどうするか思案していたが、常連さん2人に誘われて、小諸の寅さん記念館に行くことになった(した、と能動的ではない、全く人任せ)。大船からきた常連さんの車にのせてもらった。
小諸までは、1時間半位の道のり。寅さん記念館は、駅のすぐ裏の、城跡のすぐそば。ビデオなどの結構時間をつぶせるようなものがあり、1時間半位いた。寅さんの映画はそんなにみてはいないと思うが、断片的に知っているシーンがあったりする。ここを出て1時。常連の2人はきょうまた安曇野に泊まるので、昼食にそばを食べた後別れた。ざるそばは800円也。まあ、昨日のそばよりはうまい。
小諸の町であるが、結構雰囲気のある良い町である。よく見て回ったわけではないが、気分がよく落ちつく。また、機会があればじっくりきてみたい。
その後、行っていない。さて、あとは帰るだけである。帰り方は何通りかあるが、列車時間とかとのからみで次のようにした。
高崎まで、あさま8号。高崎から八高線で拝島。青梅線で立川。南武線で武蔵新庄。
時間にして、およそ5時間くらいの行程。
特に、八高線は乗ろうと思っていたので、都合がよかった。八高線は関東唯一の未電化路線。これから、順次電化していくらしい。とはいっても、実際、工事がすんでいるのは、八王子からちょっと程度で、全線電化はまだ先だろう。
鉄ちゃんでもないのに。この路線は、中間の寄居付近でのんびりとした風景が続く。また、客も少なく、窓をあけ、風にあたりながら外の景色をながめて、ぼうっとしていた。
八王子近づくにつれ、通勤電車の様相が強くなっていく。車内はどんどん混んでいった。しかし、拝島からは混むことはなかった。通勤とは逆方向だからであろう。
今回の旅、終わり。飛騨、信州の地理が良く分かった。次に行くときは山に登るときであると思う。
あたり。今回は観光客の多さが気になった。まあ、有名地ばかり行ったというせいもあるが、古川とか小諸とか今まで知りもしなかった良い雰囲気の町があるのもわかり、儲けた気分もある。遠くまで足をのばさなくても、近くにもこういう町が埋もれているのではないか?
そうだと思うが、この辺はどうか?< --その1へ