飛騨の旅 その1

昔、旅行後につけた記録。

1995年6月、川崎に住んでいたときの話。
赤字 は今になってつけた注釈。


6月17日(金)
 会社を6時にあがり、家に帰りそそくさと用意し、無事出発。しばし、この雑然とした町ともお別れ。明日は、とりあえず、高山、古川を歩こうと思うが明後日のことまでは、この段階では決めていなかった。
 社会人となってからというもの、旅の始まりはいつもこんな感じ。

 富山行きの夜行バスは池袋から出る。駅前では、ギターの弾き語りが結構いた。バスは2両でたが、だいだい満席の模様。隣に座ったのが、女の子ではなく、無愛想なおっさんだったのが残念。
 女の子が隣になったらどうだということもないのだと思う。夜行バスって寝るだけ。
 
 

6月18日(土)
 富山駅には朝6時少し前の到着した。バスの中ではよく眠れなかった。汽車とは勝手が違う。眠かった。この日は1日歩くつもりであったので、大丈夫かなと思った。うちから持ってきた残り物のパンが朝食。天気は曇。寒くはない。登山はどうであったろうかと思う。実際、そういう人たちも見受けられた。立山方面は雲が厚くかかっていて見えない。飛騨の山はこの奥深くである。
 「登山」とか書いているので思いだしたが、この年の年末に上高地に入った。この旅をしてるときには、冬の上高地に入るなんて想像すらしてなかった。世の中、先々何があるかわからない。

 奥深い山をどんどん入って高山の着いた。途中から天気がどんどん変わって良くなっていって快晴状態。ガイド「歩く地図 木曽、高山、上高地」を参考に歩き始める。
 歩く地図シリーズは、重宝した。

 まずはじめは、国分寺。三重の塔がきれい。まず1枚目の写真。飛騨総社が次。いわゆる神社という感じで、背景に杉木立。次は、道を間違ったあとに春慶会館。春慶塗りは、透明な漆を使うため、木目など木そのものの美しさが問われる。輪島塗りなどとは違い、また独特のもの。でも、輪島塗りの方がいいとその時は思った。
 確か、この前の年くらいに能登半島に行ったので、輪島塗りが出てきた。

 その後、宮川にかかる弥生橋を渡り、古い町筋が残る方面へ。ここまでは観光客はほとんどいなかったが、いたいた、ここに集中していました。ここでは、強烈に観光地といった感じが強くなる。あんなに人が多くなると、この人達のために、こういう町並みを作っているのだろうかという見方をしてしまう。
 気を取り直して、まず屋台会館。ここでは、高山祭で実際に使う屋台を展示していた。実物の屋台は初めてみる。4台展示していた。年に3回入れ替えて展示するのだそうだ。ガイドするのは八幡宮の巫女さんであった。機械的な反復のガイド。屋台の上の舞台では、からくり人形がついたり、子どもが何か舞ったりするらしい。ちなみに全部の高さはおよそ8m。なんとも豪勢なものだった。他の展示物の中で面白かったのが、屋台の向きの換え方。中央部分から補助輪がでてきて行う。ちなみに、京都の山鉾は下に竹をしいて転回するらしい。
 祇園祭の山鉾巡行は一回見たけど、すごい人だった。

 次に総社よりも背景の杉が立派な桜山八幡宮を見た後、獅子会館へ。ここでは、からくり人形(屋台に乗せる)の実演をしていた。ただ、このとき全部本当に人が操作しているのかは怪しくて、一部電気制御しているんじゃないかという勘ぐりはあった。でも、最後にあの有名な、茶を運ぶ福助のからくりをみて、やはりからくりといえばこれだよなと納得してしまった。

 次は、縄手橋を渡り、高山別館を通り(観光バスがたくさん止まっていた)、古い町並みに戻った。途中、1本60円のみたらし団子を食べた。こういう醤油味の甘くない団子は好きである。昼も近くなり、観光客はますます増えている。人混みに疲れてきたので、そそくさと高山陣屋まで歩く。ここでも、人の多さにいやになって入るのはやめた。ここで11時半くらい。

 その後、高いところに登ってみようということで城山公園に行った。
 高台に登るのはおきまりのパターン。

 本丸跡は20分程度で登れたが展望がない。その後、月見平にいったが、北アルプスは雲に隠れて見えなかった。しょうがないので、二の丸のそばやで月見そばを食べた。こういう土地柄だからそばは名物なのだろう。まあまあおいしかった。これで帰るのは徒労なので、市街が一望できるという如意が丘に向かった。市街地が見えてとりあえず満足。この途中北アルプスの山が顔を覗かせていた。城山公園には人はほとんどなかった。観光客は全てあそこにかたまっているようであった。

 駅にもどり、13時14分発の汽車で古川へ。今日は第2土曜で、学校は休みのはずだが、中学生たちが多く乗っていた。
 古川駅前はなにもない。非常に静かな町である。まず、白壁土蔵通りへ。鯉の泳ぐ小さな流れが蔵に沿って流れる。生活している地元の人がいるだけ。といいつつも、観光客のおじさん、おばさんは一応はいる。そのまままっすぐ流れにそって歩いていってまつり会館へ。
 ここでは、高山の屋台会館と同様に屋台が展示してある。写真もどんどん撮って下さいとのこと(高山では禁止だった)。ここもそうだが、この町の観光施設はみな金がかかっていて、観光で町おこしをしようという強い意識が感じられる。
 この屋台の隅の方で、菅沼さんという人が切り絵の仕事をしていた。有名な先生か?切り絵の作品は1万円以上はする。こういう風に作っている現場をみせてくれるということに対しても町の観光客にたいするサービス精神を感じられる。
 この祭り会館にはまた、3D映像という、これまた場違いなものがある。古川の祭を立体映像でみせるというしろもの。でも、VTRのプロジェクト映像だから、画像があまりきれいではない。ここまでやるなら、フィルムでお願い。
 起こし太鼓は不思議な祭だ。奇祭と呼ばれているらしい。ぜひ、実際をみてみたい。祭会館にはそこそこ観光客がいた。というか、ここしかいなかったというほうが正しい。以降、観光客はほとんど見ない。
 この時、地方の祭を観に足を運ぶのもいいかな、と思った気がする。

 祭会館に長居したあと、古い町並みを歩いた。高山に比べると、本当に静かである。また、生活臭さが感じられる。和ろうそくの実演をみたかったが、この日はやっていなかった。ガラス美術館にも行ったが、値打ちがよくわからず恐縮してしまった。豆ランプのたぐいがたくさんあった。ここは、自分の趣味で集めたものを展示しているとのこと。夢が叶って美術館を開いた人らしい。ちいさな、およそ8畳くらいのスペースに展示していた。

 そのまま、川沿いをずうっと歩いて増島城跡へ。今は神社になっていて、小学校のグランドにはさまれてる。小学生たちが部活をしていた。石垣が城跡であることを偲ばせてくれる。誰もいなく、しばらく神社の縁側に座り休息する。
 城跡に行くのも、おきまりのパターン。特に関西では。

 最後に、駅裏の山椒館と民芸会館へ。ここは製材所に囲まれてわかりにくい場所にある。山椒館は面白かった。そま人(そまは木へんに山)という言葉を初めて知るとともに、その厳しい生活が思いやられる。3面マルチスライドはなかなか良かった。しかも、客は僕1人。民芸会館は、よく地方にある郷土資料館と同じ。いろいろな昔の生活用品があるだけ。藁づくり体験コーナーというのもあった。あんかがなつかしかった。

 あとは、寺地行きのバスでユースへ。バスはマイクロバス。運ちゃんを地元のおばちゃんが話し込んでいて、料金表示ばかりか、停留所の案内もない。「森林公園」の看板をみてあわてて、「降ります」。
 地方では、バスに限らず、電車(というか汽車)もとても融通が利く。乗り遅れたり、乗り過ごしたりしそうな場合は、とにかく叫べば待ってくれる。

 飛騨古川ユースホステルはログハウス。ペアレントはサッカーの釜本に似ていた。4人のグループが2組と、4人の個人。だいたいが関西方面から。
 関西人は嫌いではない。むしろ好きである。ただし、関西弁はそんなに好みではない。。はずなのだが、関西方面を旅をすると、ほとんど100%の確率で関西弁化する。
 例、 私  「うわーここきれいやな」
    関西人「それ関西弁や」

 飯の後、近くの桃源郷温泉に車の人に連れていってもらった。田舎にしては立派な施設。というか、最近、地方でこういうのは多いのだが。10時半就寝。
 
 

6月19日(日)
 7時半起床。前日よく眠れなかったので熟睡できた。朝食は、パン食。ここの食事はよい。さすがに4つ星。
 星マークはユースホステルのガイドブック(今はどうなっているか良く分からない)についているもので、4つ星が満点。だれが何を基準につけてるのかは知らない。

 奈良からきた人の車に乗せてもらって、高山駅前へ。この段階では、乗鞍の畳平にいくか、あるいは、新穂高温泉郷から、ロープウェイに乗るかかなあと思っていた。この日は白骨温泉に泊まるのが希望だったのが、バスの接続が問題であった。奈良のにいちゃんはよくしゃべる人なつっこいやつで、こっちがなにも言わなかったら、バスの出発まで見送ってくれそうな感じだった。
 ほんと、人なつっこいにいちゃんだった。

 とりあえず、平湯温泉乗り継ぎの乗鞍行きの切符を買ったが、いろいろ聞いたところ、乗鞍から白骨行きのバスは出ていないだろうとのこと。汽車で南下しようとも思ったが、バス会社である松本電鉄に電話して聞いてみると、上高地から15時40分に白骨行きのバスがあるということがわかった。電話の途中でバスの発車時間になったので、ままよと、あわててバスに飛び乗った。結局、バスの中で上高地行きを決めた。
 こういう、向こう見ずなこと結構してた。というか、ある程度、情報を持った上での選択ではあるのだが。

 バスはどんどん、山奥へ入っていく。東北とかの山深さとはまた違った感じのダイナミックな風景が続く。この先もしばらく同じ事を思い続ける。こんな山奥深くまで道路を作ってしまうことの凄さと、疑問である。
 平湯温泉では、およそ20分の待ち時間。ここからもう穂高の山々がみえる。雪形がきれいである。上高地行きのバスに乗ると、上高地からのバスは整理券を発行するということがまず伝えられる。そう、今日は日曜なのだ。やはり、相当混むところらしい。ただ、今乗っているバスはそんなに混んではいなかった。白骨行きのバスは大丈夫だろうか、とちょっと心配になる。マイカー規制が行われている日というせいもある。

 「歩く地図」に従って、大正池で降りて歩くことにする。降りたのは僕1人であった。大正池は立ち枯れ木で有名らしい。池の背景に穂高連山が大きくみえる。噂通りのすばらしい風景だなあ、と感動する間もなく、人の多さに早くもうんざりする。写真撮るにも一苦労なのだった。
 この後にもしつこく書いてるが、休日の上高地には二度と来ないぞと思った。とはいえ、休日に行くことになるんだが(ただし正月)。

 途中、ポイントごとに適当に写真を撮りながら、上高地にたどり着く。およそ1時間半位かかったろうか。13時少し前だった。荷物が重くて肩が痛くなった。ここは、人だらけ。ロッジやバンガローもたくさんあり、みやげ物やから、食い物屋なんでもござれと行った具合。とてもじゃないけど、奥深い山の中とは思えない。全くの観光地。尾瀬よりも状況はひどいんじゃないか。何事にも程度問題というのがあるが、ここは行き過ぎだ。
 明神池まで行きたかったので、ゆっくり飯を食べている暇は、バス時間から考えてちょっとなさそうであった。しょうがないので、そそくさとバスの切符を買い、荷物を預けて、白骨のユースへ予約をし、カロリーメイトをほおばり、出発した。
 カロリーメイトは常に携行してた。

 ここは、カップルと中年のグループが多い。家族づれは案外少ないような気がした。まあ、とにかく、上高地から奥は、人は減ったとはいうものの、それも比較の問題で、それなりに多い。
 1時間かけて明神池についたが、苦労してきた割には、という感じ。明神橋のところで護岸工事をしているのにはあきれた。なんなんだろうここは。
 また、1時間かけて上高地へ戻る。道は、よく整備されている。別にスニーカーでも問題ない。ただ、やはり、トレッキングシューズぐらいはかないと疲れる。

 バスは、スーパー林道を通り、白骨温泉へ。ヘアピンカーブの連続した道。ところで、観光地というせいなのか、バスはツーマンである。今日、明日乗るバス全てそうであった。
 ワンマンバスに対してツーマンバス。運転手の他に、料金を徴収する人が同乗している。

すごい道を通り、白骨温泉へ到着したのは4時半くらいであった。
 ちなみに、「はっこつ温泉」ではなくて、「しらほね温泉」。入るにはなんかやばそうな名前だが、もともとは白船温泉。中里介山の「大菩薩峠」で登場した名前にちなんで変更されたという経緯だったと思う。

 ユースの大石館は、バス停より少し歩いた奥まった所にある。荷物をおいてすぐさま温泉へ。ここの風呂は意外と良かった。そんなに大きくはないが、ちょっとぼろい感じが気に入った。外来の客が何人かいたが、のんびりと湯に浸かれた。露天の方は少しぬるかった。お湯は、白い硫黄臭い湯。蔵王の湯に近いだろうか。今日も1日歩き回っていたので湯は非常に心地よかった。
 確かに湯船は結構ぼろだったと思う。けれど、ぴかぴかの檜風呂などより、こういうひなびた場所にあるぼろぼろの湯船の方が好きだ。

 今日のユースの泊まり客は、たったの2人であった。
 昔、ユースでたった一人だったことがある。しかも、ペアレントさんはこちらに構うことがなかったので、それはそれは寂しかった。

 同室の人は30過ぎ位の人で、なんでも、10キロのマラソンを走ってきたとのこと。「谷川真理と走ろう」とかいう企画のマラソン大会があって、それに来たついでにここに寄ったのだそうだ。谷川真理はテレビで見るより、実物の方がずっときれいらしい。サインをしてもらったウィンドブレーカーを見せてもらった。
 日本女子マラソン界で数少ない美形。まだ走ってる?

 夕食は貧相。これが1000円とは。ここの旅館の方は1泊13000円とのこと。ここの相場なのか。寝る前に、2人でまた風呂にはいった。就寝12時。
 旅館と同時経営のユースだった。あそこで13000円じゃ泊まらない。ユースの方は、3000円程度。差は食事と相部屋かどうかということぐらいだと思うが。

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