2月13日(水) 待つこと30分ほどして、日の出を見ることは出来ないかなと思い始めた頃、中央祠堂より、かなり右に離れた所に太陽が出現する。昨日の夕日と同様、周辺の空を真っ赤に染めるというような感じではなかったが、とりあえず、日の出はしっかりと見ることが出来たので皆満足というところだろう。
今日はアンコール・ワットの日の出鑑賞ということで、朝が早い。日の出は、7時より少し前。ホテルの出発は、5時半。寝坊するどころか、やはり、早く目が覚めてしまう。
外はまだ暗い。やはり、日の出鑑賞に向かう人が多いようで、ホテルのロビーに集まっている人達がいる。外に出た最初の感じでは、Tシャツ1枚で暑くもなく、寒くもなくといった具合。迎えに来たバスに乗ると、昨日の若者が別の若者のカップルに入れ替わっている。
昨日と同様に、ダート沿いのホテルによって、中高年6人を拾い、アンコール・ワットに向かう。昨日、行き来したメインの道より、もう1本西側の道を北上していく。観光客を乗せた、バイクタクシーもたくさん走っている。こちらの道も途中にチェックポイントがあり、バスが一旦停車する。
アンコール・ワット入り口に到着すると、朝日を鑑賞しようという人で結構なにぎわいである。まだ暗く、足元がおぼつかないので、伊良部くんにライトで照らしてもらって、お堀に架かる橋を渡る。
西塔門をくぐり、アンコール・ワットが見渡せる場所で日の出を待つ。地平線付近はやや雲が厚いようだ。じっとしていたら、やや肌寒く感じてきたので、1枚シャツを着る。
7時半くらいにホテルに戻り、朝食を済ませる。
再び、9時に出発。今日はシェムリアップから、ちょっと足を伸ばして、バンテアイ・スレイの観光である。シェムリアップから車で1時間くらいの距離にある昨日と同じチェックポイントを通り、アンコール・ワットにつきあたるのは、昨日と一緒だが、今日はそこを右折し、アンコール・ワットの東側に抜ける。
途中、道路沿いに、いくつかの遺跡を目にすることができる。スラ・スランと呼ばれる大きな池で、子供が水遊びをしている。ジャヤバルマン7世が沐浴をするために作った池とのことである。また、ちょっと行くと、左側に結構大きなプレ・ループ寺院が道路沿いに建っている。
郊外に出たあたりで、渋滞する。旧正月で地元の人もあちことに出かけるようだ。途中、完全にバスがストップしてしまうほど車が詰まってしまう。伊良部くんに言わせると、
「素晴らしい橋」
があるかららしい。何のことはない、今にも壊れて落っこちそうな木の橋で、車が1台、1台慎重に渡っているのであった。バスが無事に渡れたところで、一同、拍手。
バンテアイ・スレイ寺院は、アンコール・ワットよりも古く、10世紀建立のヒンズー教寺院である。この遺跡を有名にしているのは、東洋のモナリザと呼ばれているデバター(女神)像である。かつて、フランスの作家アンドレ・マルローが、これを盗掘して逮捕された(マルロー事件)という曰く付きの彫像。シェムリアップから距離があるのにかかわらず、人気の高い観光ポイントである。朝から観光客がごったがえしている。
とりあえず、到着してトイレに行くが、ここのトイレはチップが必要なようである。しかし、あいにく細かいお金(百リエル程度)をみな持ち合わせていないため、みんなで1ドルということで、おばさん達に話をまとめてもらう。用を足した後、少年達に流してもらうのでチップがいるのだ。
バンテアイ・スレイは赤い。ラテライト(紅土)と呼ばれる赤い土壌で出来ていて、彫像部分は赤砂岩が使われている。彫像の彫りは深く、浮き彫りとなっていて精密である。また、ラテライトのゴツゴツ感も印象的でもある。途中、何カ所か門があるが、門の上部(破風)の浮き彫りが印象的である。やはりなんらかの物語がモチーフになっていて、伊良部くんがいろいろと説明してくれる。しかし、写真を撮ったり、マイペースで見物してたりするのでちゃんと説明を聞ききれていない。この人数くらいが一番ラクだなと密かに思う(ガイドと1対1だと疲れるし、多すぎても去年のようになるしで)。
中央一番奥の裏面に有名な「東洋のモナリザ」 といわれるデバター像がある。東洋のモナリザは想像していたより小さい。写真で見ていたイメージが勝手に膨らんでしまったらしい。とはいえ、皆さん同じ感想のようである。また、遺跡保護のために柵があって、そばまで寄れず、5mくらいしか寄れない。なんとか表情はわかるが、近くでじっくりと見ることができないのが残念である。
帰り際に、何かちょうだいと、貧しいそうな身なりの子供が寄ってくるので、朝食で残して置いたバナナをあげる。とたんに、その子供が他の子供を呼んでくる。もうないよ、と手を広げてバスに乗り込む。
さすがに往復で2時間近くかかることもあり、バンテアイ・スレイ往復で午前中の観光は終わり。昨日同様、昼食後、休憩に入る。昼食は、泊まっているホテルのレストランである。今度はチップを1$渡したが、例のおじさんは、今日はいない。
ホテルからそう遠くないところに、インターネット屋の看板を見つけていたので、午後の休憩時間を利用して行ってみる。散歩とはいっても、昨日同様、非常に暑い。着いてみると、同じような店が3,4軒まとまってある。そのうちの一軒に入ってみる。店の中は、そんなに広くないスペースに、パソコンが数台おいてあるだけである。当然お茶も何もでないので、インターネットカフェではなく、インターネット屋としかいいようがない。どこぞの西洋人が熱心に電子メールを打っている。いかにも中国系という感じの30歳くらいの店員に案内されて、奥の席に座る。もちろんウィンドウズマシン。
「使い方、わかるか」
と店員が言うので、
「知ってるけど、日本語入力も大丈夫?」
と聞いてみる(もちろん英語でね)。すると、全然問題ないということを教えてもらう。
さてと、電子メールを出すにはどうするんだっけ?と一瞬思い悩んだが、何のことはない、日本のプロバイダに接続して、そこからメールを出せばいいのだ。なんてことはない。さて、誰にメールを出そうか?うーん、考えてみると、普段、個人で電子メールなどほとんど出さないし、第一、友人、知人のアドレスなんて覚えてないし。そらで言えるアドレスというと。。というわけで、会社の自分の課に
「ちゃんと生きてます」
と出すことにした(笑)。料金は1時間で2$。
午後の休憩の後、他の主な遺跡群の観光。若いカップル及び、中年夫婦1組がいなくなって、我々と、例の強者4人組だけになった。伊良部くん、アンコール・ワットは、カンボジアの象徴だという話をしている。
「日本でいえば富士山」
とのこと。ただ、日本にはまだ行ったことがないそうで、おじさんおばさん4人組が親切に、日本はこういう所だ、という説明をしている。伊良部くん、まじめに聞いて、感心している。日本の今頃は、気温が5℃とかいうのを聞いて、寒そうな顔をしている。
「カンボジア人は、23℃とか25℃で寒いです〜」
タ・プロム寺院へ。ここは、ジャヤヴァルマン7世の作った仏教寺院であるが、「自然の状態に放置する」という方針の元に、修復の手がほとんど入っていない遺跡である。そういう意味では、こここそが本来の遺跡であるとも言える。
東門から入城するが、まず、参道からして雰囲気が良い。ここなら、1日いてもいいかなと思わせるような感じがある。100mほど歩いて、周壁をくぐり抜けると、自然にのみこまれそうな遺跡が姿を現す。遺跡の石を破壊し、伸びていく巨大な根。熱帯地方の植物の成長の早さ、力強さ。この遺跡、いずれは破壊され尽くして、がれきの山になってしまうのだろうか。「諸行無常」という言葉が想起される。ちなみに、ここの遺跡は日本人に人気の高い遺跡でもあるらしい。
幸いなことに、今の時間は、観光客の数はそれほど多くない。とはいっても、アンコール・ワットなどの多さに比較しての話である。三脚を建てて写真を撮っている人もいて気を使う。気を使うといっても、
「すいませんけど、そこどいてもらえます〜?」
という感じ言われて、無理矢理どかせられるのにはちょっと腹が立つ気もする(実際は、英語なんで、「Mr.」とか声をかけられ、「sorry」とか言われてるのだけど、日本語にするとそういう風に軽くいわれているような気がする)。まあ、難しいところ。良い写真を撮りたい気持ちも分かるし。そう言っている自分は、すばらしい遺跡の写真を撮ろうとはすこししか(笑)思っていない。むしろ、こんなに観光客がいるんだよ、というような写真を撮るのも面白いと思う。それが現実。写真撮影が目的で来ているわけではないのだ。
プリアカン。ジャヤバルマン7世の父の菩提寺と言われている。中心部に向かって、入り口がどんどん狭くなっていくのが面白い。タ・プロムでもそうであったのだが、ヒンズー教徒によって、仏像が破壊されたり、彫像が削り取られたりしている。中央祠堂付近にある、2階建ての建物が一風変わっていて、ギリシア様式の柱を思い出せる。
次は東メボン。かつては、西バライ、東バライと2つの巨大な貯水池(東西8km、南北2kmくらい)があった。現在も水をたたえているのは西バライのみで、東の方は枯れてしまっている。東メボンは、その中心地である。高さ5m程ある、テラス状の部分はかつての船着き場であるという。つまり5m近くの水深はあったわけだ。登っていくと、穴だらけの巨大な彫像があるが、この穴は、漆喰をくっつきやすくするための穴だったという。今は、漆喰がはがれてしまって、穴だらけの状態になっている。
プレループは、東メボンと同時代に作られたヒンズー教の寺院で、東メボンよりはるかに高さがあり、登ったところからの景色はなかなか良い。実際、西洋人、東洋人とあちこちからの観光客が眺めの良い場所に座ってくつろいでいるので、我々もそれに倣う。遠くを眺めると、アンコール・ワットの頭がかろうじて見える。
本日の観光も終わり、レストランに向かうバスの中で、伊良部くん、
「夕食後に、アプサラダンスのショーはいかがですか?」
と言う。要はオプショナルツアー。ちょっと言うのが遅いんじゃないかい?伊良部くん。例の4人組のおばさん、
「夕食を食べながら考えます」
とあしらう。伊良部くん、不安そうな表情。夕食は、昨日と同じ、JHCのレストラン。日本風カンボジア鍋だという。うーむ。確かに日本風でおいしい、しかしだ、トマトを煮るのはやめてくれ。
鍋も終わりくらいになって、ダンス、どうしますかね?というのが、みなの話題。こういうのは、ガイドのポケットマネーになって云々と、おじさん達が世界各地での経験を話し出す。さすがに強者ぞろい、裏を良く知っている。なんやかんやで、(だいたいどんなもんか想像がつくけど)せっかくだから行きましょうか、ということに。伊良部くん、
「行きましょう、行きましょう」
と、とてもうれしそうな表情。わかりやすいぞ!伊良部くん。良かったね。一人15ドル也。
さて、そのダンスショーだが、バスでシェムリアップ中心部のレストランにて。ところが、席が悪い。舞台から離れている上に、ちょうど目の前が通路になっていて、人が行き来するのである。おまけに、ここの夕飯がバイキングということもあって、人通りがやたらと多い。 もっと早めに話をして、席をキープしておくべきだったんじゃないの?なんてことを行っても始まらない。おまけに、うちらは、飯も食ってきたし、ビールも飲んできたし。飲み物は?と聞かれても、別にもう飲みたくない。しょうがないんで、皆2人でコーラ1本とか言ったら、給仕に変な顔をされた。そんなこんなで、なんとなく、ショーが始まる。
その1 アプラサダンス(第1回)
手首足首柔らかそう、だけど席が遠くて、あんまりよく分からない。
その2 ココナツダンス
男女10人くらい出てきて、お互いのココナツをリズムに合わせてぽこぽこ当てて踊る。やっている人は楽しそう。見ていて楽しい(?)
その3 竿だけダンス
かちかち合わせられる竿に挟まれないように、足を入れたり抜いたりする踊り。インドネシア?がオリジナルなんじゃ?。
その4 アプサラダンス(第2回)
なにかの物語にのっとっているよう。ショーの始めに、英語、日本語で説明してくれていたが、良く聞き取れなかった。リズムがゆるやかなので、ずっとやっていたら、睡眠に誘われてしまいそう。
という感じで1時間近く経とうとしている。強者のおじさんおばさん4人組にとっては、うけは今ひとつのよう。これで終わりかなと言うと、強者のおじさん、
「まだ、終わんないよ。出演者全員が舞台に上がって、その後、お客さんとの写真タイムもあるから」
とのたまう。 そういうものかと思って見ていたら、言うとおりになった(笑)。 さすがは、強者。恐れ入りました。
2人で30ドルはちょっと高かったかな、と感じるのもいつものことである。