トムとワット


2月12日(火)

ホテル前  前日寝るのが早かったことと時差の影響で、朝早くに何度か目が覚めた。毎度恒例という感じがする。昨日の夕方ここに着いたときは、暑くてエアコンをつけたのだが、寝る前に消していた。しかし、別段寝苦しいこともなく、逆に布団を掛けてるくらいが気持ちよい感じ。朝晩は過ごしやすい。ただ、このホテルの前が幹線道路(6号線)ということもあり、少々うるさいのが気になるところだ。
 カンボジア人の朝は早いようで、車やらバイクやらで交通量が多くなる。6時を過ぎると、大分明るい。天気は良いようだ。なんとはなしに、窓から外を眺めているが楽しい。ホテル前の大きなナツメヤシの木に登っている人がいる。実を採るのだろうか?小さな庭園の池の周りで小さな子供たちが遊んでいる。早起きして散策している宿泊客がいる。用はないかと、入り口付近で待っているバイクタクシーの運ちゃんがいる。

 朝食は、同じレストランで、パンと紅茶(またはコーヒー)、ジュースに卵(目玉焼き、スクランブル、オムレツのどれか)、といたってシンプルなものであるが、焼きたてのフランスパンがとてもおいしい。フランス人の残した一番大きなものは、このフランスパンなのかな?もちろん、もともとパン食の文化はなかったのだろうが、カンボジア人は、朝は普通にフランスパンを食べるようだ。
 昨日、他の宿泊客はほとんどみなかったが、レストランにはそれなりの人がいる。中国人、欧米人、日本人もいる。クメール・ルージュ(だったかもしれない)給仕のおじさんもいるが、やはり渋い顔をしている。もともと、そういう顔なのだ。

 朝食の後、出発までまだ時間がある。ホテル前の小さな庭園のブランコでくつろいだり、車やバイクを眺めていたりしてみる。相棒は、日本語の勉強をしているというカンボジア人の運転手と話をしたらしいが、
「タイとベトナムは嫌いだ」
とか言っていたらしい。隣国感情は複雑である。その原因は、インドシナの複雑な歴史に求められる。
 ブランコに乗っていると、小さな姉弟が寄ってくるが、何かをくれという感じもない。豊かではないだろうが、食べるのに困るほど貧しいというわけでもなさそうだ。相棒がたまたま持っていたカロリーメートをあげている。 怪訝そうな顔をして食べている。まずいんじゃないの?カロリーメートは。
 とにかく何がラクかっていうと、ここに3連泊すること。 朝はこうしてのんびりしてられるし、荷物は部屋に置きっぱなしで良いし。

 そうこうしているうちに、笑顔の伊良部くんが迎えに来る。写真?そうそう、遺跡観光のパスを作るために顔写真がいるのである。バスには、若者のカップルが既に乗っている。さらに、途中、別のホテルで、昨日の中高年の方々6人を拾って、バスの中は10名の日本人。ちなみに、この中高年の方々のホテル前の道はダートである(しかも、かなりでこぼこの)。シェムリアップの町中で、あちこち未舗装路があるくらいだから、町を離れたら、ダートは当たり前という感じである。もっとも、アンコール遺跡群の道は整備されていて、その限りではない。道沿いの民家を見ていると、町というより、南国の集落という感じが近い。ナツメヤシ、ココナツ、高床式の家。車が通ると舞う土埃。

 伊良部くんの朝のあいさつの後、バスはバイヨン寺院に向かう。「バイヨン」というのは、なんとなくひきつけられる名前である。バイヨン寺院はアンコール・トムの中心にある。アンコール・トムは、かつての大帝国、クメール帝国最盛期の王、ジャヤバルマン7世が12世紀末に建造した、一辺が3kmほどの巨大な都城である。仏教を信仰した王は、バイヨンを始めとした多数の仏教寺院を造営した。一方、アンコール・ワットはこれよりちょっと時代が古い。ヒンズー教を信仰した、スールヤヴァルマン2世のが12世紀前半に建立した寺院であり、王自身の墓でもあると言われている。こちらも周囲は1.5Km四方と大きなものだ。このほかにも、アンコール地方には、大小さまざまな遺跡がある。時代的には、古いもので7世紀くらいからのものがあり、建立場所も複雑に入り組んでいる。クメールの様々な時代の王によって作られた寺院、宮殿、墳墓。宗教も仏教とヒンズー教。そういったいろいろなものがごった煮になったものがアンコール遺跡群と考えれば良いようである。

 さて、バスは、シェムリアップの北方に向かう。アンコール・ワットまでは20分ほどである。シェムリアップの人々の生活道路でもあるので、交通量は多い。バイクも多いが、車も結構多い。なぜかトヨタのカムリがやたらと多い。年式もいろいろだが、どれもカムリばかり。バイク(原付)の方は、二人乗り、三人乗りは当たり前である。後で見てみたが、排気量は日本のように50ccとか貧弱なものではなく、100cc以上のものが普通である。乾期のほこりっぽさとは裏腹に、たいていの車やバイクは新しいし、きれいにしてある。それから、若い人が目立つ。
 また、豪華ホテルがあちこちに建っており、建設中のホテルも目に付く。大きな観光基地としてのシェムリアップが今ここにあるが、今後ますます巨大化していくのだろうか?
 途中の道路脇にチェックゲートがあり、そこで観光客はパスのチェックを受けなければならない。知らぬ顔して通過すると、待機している警察に追いかけられるという、伊良部くんの話であるが、待機している警官たちは、のんびり談笑している。 我々は、大きなバスに乗っているが、バイクタクシーを利用している観光客も多い。あちらの方が、とても気持ち良さそうである。
  パスポートの作成に10分程度かかった後、伊良部くんが戻ってきて
「OKで〜す」
と言って出発。再び道路を北に進んでいくと、ほどなくして、アンコールワットのお堀に突き当たる。幅100メートル程であり、周囲は1.5キロメートル四方。自動車の走る舗装道路に囲まれている。
「ここがあの有名な、、」
とついに来た、という感じで気分がそれなりに盛り上がっていく。お堀に囲まれているというあたりが、日本のお城の雰囲気を感じさせなくもない。突き当たり左折、お堀の南西の角を右折し、再び北上していくと、アンコールワットの正門が右手の方に現れる。アンコール・ワットは、西向きなので、午後の観光が一般的なのだそうだ。
アンコール・トム南大門  さらに、進んで行くと、アンコール・トムの南大門に突き当たる。ここで一時下車し、徒歩で門を通過する。観光客をのせて、入城する象もいる。バスを降りると、何かを売りつけようとする人たちがやってくるのは、この手の観光地では当たり前。カンボジアでは、売り子は若い女の子が主である。しつこくないので、非常にあしらいやすい。もっとも、インドを経験した身では、たいていのことは、しつこくないのだが。
  南大門の手前の橋の欄干には、片側には阿修羅、片側には神々が並んでいる。アンコール遺跡の入り口ではよく見られるモチーフである。 アンコール・トムは周囲を城壁と堀で囲まれており、全部で5つの門がある。そのうちの1つの門を徒歩でくぐる。門の幅は、バスがかろうじて通れるほど。そのぎりぎりさは、まるで計ったかのような寸法である。
「作った人は今のバスの大きさを知っていたんでしょうか?」
と伊良部くん。門の上部には、有名な四面仏。
 再びバスに乗り、トムの中心バイヨン寺院に向かう。アンコールトムは一辺4キロメートルと大きいので徒歩で行くにはさすがに遠すぎる。それに日が高くなってきていて、さすがに暑い。アンコール遺跡群では、大抵の所は車で近くまで行けてしまうため、便利なのであるのだが、逆に、「密林の中の遺跡」というイメージを抱いて来た人にとっては、その観光地化された現実に対して少々がっかりするかもしれない。
  バイヨン寺院も例外にもれなく、すっかり観光地である。周りの道路を車、バイクが走っているし、正門前には、土産物を売る屋台やら、売りつけようとする子供やらでにぎやかである。それになによりも、寺院自体に観光客が非常に多い。
 とはいうものの、遺跡自体はやはり素晴らしい。四面仏があちこちからこちらを見つめている。そして、壁面の浮き彫り(レリーフ)である。周囲の壁面が浮き彫りでびっしり埋め尽くされている。この浮き彫り、一言で言うと、細かい上に、絵柄が多彩ということだろうか。何かの物語がモチーフになって、彫られているのだが、一カ所だけ取ってみても、いろいろと描かれており楽しい。ユーモアや遊び心があり、観ていて楽しいのである。 
 バイヨン寺院を出ようとしたところで、地雷で手や足を失った人が、喜捨を求めている。この先、行く先々で、このような人々を目にすることになる。
 バイヨン寺院見学の後は、徒歩で、アンコール・トム王宮跡付近の遺跡を巡る。王宮は木造であったため、現在は何も残っていないという。少し歩くと、パプーオン寺院がある。参道が、2m程の高さの渡り廊下のようになっている。ここは、現在補修中のため、中を見学することは出来ない。

 引き続き、ピミアナカスというこじんまりしたヒンズー教寺院へ行き、イスの置いてあるところで休憩をする。古い時代は単純にピラミッド形状をした寺院形状だったようだ。この付近は露店なども多く、ここぞとばかりに、売り子が寄ってくる。まだ、お土産を買うには早いので相手にしない。相棒は絵はがきを買っている。

 その後、勝利の門に通じるテラスへと出る。勝利の門は、アンコール・トム東側の門(死者の門)のちょっと北側にある門で、王宮にまっすぐ続く門である(王宮はバイヨン寺院の北側)。この門から入城した凱旋者たちを、このテラスで王が出迎えたのだ。一方、隣の死者の門は、戦死者を受け入れた門なのだという。もちろん、死者の門はバイヨン寺院へとまっすぐ通ずる門でもある。
 このテラス、5mほどの高さがあり、象のテラスと呼ばれている。テラスを支えるように、象やガルーダの彫刻が彫られている。ガルーダは、ヒンズー教、ヴィシュヌ紳の乗り物で、怪鳥というような感じであろうか。ヒンズー寺院などのあちこちでお目にかかる。テラス沿いを、少し歩いて、再びバスへ戻った。

 昼食は、シェムリアップ市内に戻り、レストラン、バイヨンにて。やはり中華っぽい感じの料理。相棒の友達にそっくりなウェイトレスさんがいて驚いた。

 昼食の後、休憩が入る。暑いのでカンボジア人は昼休みを長めにとるという。それに合わせた感じで、我々の観光も昼休み。昼休みが2時間ほどもあって、退屈なので、1人で外を歩いてみる(相棒は部屋でしっかり休憩)。昼休みするくらいだから、太陽が照りつけてじりじりと暑い。ホテルが町外れにあるということもあって、特に面白そうものはない。15分ほど歩くと、コンビニがあったので入ってみる(スターマートというガソリンスタンドと一緒に併設された店)。そんなに品揃えもなく、食べ物やおかしはいっぱいあるが、他に面白いものがない。水とカンボジア産のタバコ(お土産用。不評だった(笑))を買う。

アンコール・ワット   午後の部は、いよいよアンコールワットへ。バスは朝と同じ道をたどり、アンコールワット正門前へ。アンコール遺跡群の正門は、一般的に東向きだが、アンコールワットは例外的に西向きである。東は人の来る方角、つまり生まれてくる方角で、西はその反対である。こういうこともあって、アンコールワットは王の墓でもあるのではないかと言われているようである。 西向きであるから、写真を撮るには、逆光にならないように、午後に観光するのが一般的。
  さて、幅200メートル程の堀を渡って、参道を進み、西塔門に向かう。堀では、藻を掃除する人々が働いている。
 塔門をくぐると広い境内の中が一望できる。中央塔までの距離はざっと500メートルくらいはある。それにしも、人が多い。観光客も多いが、地元の人も多いようである。中国の旧正月ということも影響して、人が多いようだ。
 写真を取ったりしながら、中央祠堂に近づいていく。残念なことに、中央祠堂が一部補修中のようで、木枠の足場が組まれているところがあって、写真を撮るのには、ちょっとジャマな感じがする。 途中で左側の方に池の前で記念撮影。これが、来年用の年賀状の写真かな。
 第一回廊にたどり着き、回廊の壁にほどこされた浮き彫りを鑑賞する。マハーバーラタやラーマーヤナ、乳海攪拌などをモチーフにした浮き彫り。とてもダイナミックな感じのするものである。じっくり見たいところであるが、時間がいくらあっても足りそうにない。当時は、天井にも木彫りの装飾が施されていたようで、一部フランスによって再現された天井をもつ回廊がある。復元と保存の問題は難しく、どこまで、復元して良いのか、そのまま朽ちるに任せておいた方がいいのか、非常に悩ましい所である。これに関しては、タ・プロムで再び考えさせられることになる。
 浮き彫りを見た後、第2回廊、第3回廊へと登っていく。階段が急峻で、幅がせまいため、体を横に向けるような形で登っていく。登るに注意が必要であるし、さらに降りるときには、もっと注意が必要。行きはよいよい、である。手すりのついた階段が少ないため、下りは渋滞した。ところどころに、美しいデバター(女神)のレリーフがあり、やはり、時間をかけてゆっくりと見たいとつくづく思う。とはいえ、それなりに時間は経っているもので、日がかなり傾いてきた感じである。

プノン・バケン  引き続き、プノン・バケンに夕日の鑑賞に向かう。プノンはクメール語で「丘」の意味。首都プノンペンのプノンもこのプノンである(ペン夫人の丘とかいう意味らしい)。丘であるから、また、登るわけである。およそ50mほどの高さの丘というか山である。ここを登る観光客も多い。やはり、旧正月の影響もあるらしい。
  バスで登り口まで送ってもらって、そこからみなそれぞれのペースで登る。同行のおじさんおばさん達は結構健脚なようである。登り切ると、いろいろな露店や、物売りがたくさん。象も別の登山道から観光客を乗せてで登ってくる。夕日鑑賞に良い場所は、すでに観光客でいっぱいである。
 頭の中のイメージでは、日が沈むに伴い、アンコールワットの周辺の空が赤く染まっていくというのものであったが、今日見た限りでは、水平線上に雲が多いため、夕日が水平線よりかなり高いところでかすんでしまった。ただ、夕日自体は、刻々と色が変わっていく様子に満足した人も多かったようだ。

 下山すると、急速に暗くなる。夕食は、JHCのレストランにて。JHCは、こちらの旅行代理店である。途中、中年夫婦が別のレストランで降りる(別のツアーだったらしい)。おじさんおばさん6人いるが、2人と4人の別のグループであることをこのとき意識する。
 
 レストランで、同行のツアーの人といろいろと話をする。4人組のおじさん、おばさん(夫婦二組)はかなりの強者だということを知る。おじさん、おばさんではなく、おじいさん、おばあさんの歳なのだ(全員60超)。エネルギッシュで、まったくそのような歳には見えない。世界中あちこちにいっていて、
「もう行くところがない」
などと言っている。一方、若いカップルは、卒業旅行だそうで、初めての海外だとのこと。初々しい。お約束のように、新婚ですかと聞かれるが、そんなわきゃないよと言っておく。

 明日は、アンコール・ワットの日の出鑑賞のため、起床は5時予定。

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