2000年09月の猫時間通信


●2000.09.27〜30 -- ヴァイオリンの前衛性

先のGabrieliを演奏したConcerto Palatino(コンチェルト・パラティーノ)のCDを聞いていて強く思ったこと。

このアルバムでは、現代主流の「豪華な金管楽器揃い踏み」はなくて、昔のツィンク(コルネット、角笛)にサックバット(トロンボーンの前身)、オルガンに加えてヴァイオリンが入る。そして、ヴァイオリンが鳴ると響きが変わるのだ。

これは、オルガンも含めて管楽器系(オルガンは操作部こそ鍵盤だが、発音機構が管楽器である)の音と異質というだけではない。
なんというか、弦楽器の音の持つ金属的な強さが、古い管楽器のまろやかな音色とは際立った対象をなすからだ。言ってみれば、当時前衛的だった音色と言える。

今でこそ、弦楽器はふくよかで安らぎの音色だ。しかし、17世紀、まさにヴァイオリンが擡頭し始めた頃には、多分に強く刺激的でいながらも、それゆえの官能性をまき散らして人々を魅了したことを想像する。

A.Corelliは、全ヨーロッパから尊敬を受けた弦楽器奏者であり、ヴァイオリンを西洋音楽のメインストリームに乗せることに貢献が大きかった。彼は管楽器奏者をどちらかといえば嫌っていたという。
ジプシーの楽器と間違えられるくらい官能的な響きを奏でるヴァイオリンは、Corelliのような格調高い音楽を書いた人間のお眼鏡にかなったからこそ、その後の300年の礎になったのか。
いや、楽器が人を選び、人も楽器を選んだのか。

18世紀にはヴァイオリンは、豊かな楽団の代名詞となっている。


30日の土曜日は、夜に用事があったので、その前に明日の洋書読みの会を考えて、予習をしておく。


●2000.09.26 -- 辻、「さだめ」、Gabrieli

あまりにやる気の出なかった最近の中で、あえて気になったことをまとめる。


猫って、時々辻にいないだろうか。T字路や、そう太くない路の交差しているところ。いつの間にかその一角に佇んでいる。壁などの角を背に、角そのものよりは少し逸れたところを陣取って、頭を起こして座る。

身じろぎもせず、両手を地面に揃え、鎮座する。まっすぐではなく、少し斜め前のほうを、一心不乱という程ではないが、しかし、独特の集中力を持って見つめる。人の声に気付くのか、気付かないのか。というより、あえて無視しているのか。

静かな熱中で見つめるその先には、何がいるのか。人の身には見えない何かか。

辻を見守る猫を見ていると、辻占という言葉をふいに思い出す。
悩みごとを抱えていたら、そして、それを解決するための願いを思い描いたら、それを心に留めたまま歩き、辻に赴く。

その時、辻で聞き取った最初の言葉。それが願いが叶うかへの答えになるという。

考えると、神託より生年月日の占いよりも、こわい答えかもしれない。


同居人が藤沢周の「さだめ」を買ってきたので、読んでみる。AV(もちろんアダルトビデオのほうだ)のスカウトマンが、自分のスカウトした妙に地味な子に・・・筋は書くのをやめよう。

私が藤沢周を読んでいて面白いと思うのは、光景や経験を見つめ続けていると、自他の主客関係が失われ、とても妙な、認識の生まれ出ずる直前の知覚のような瞬間に立ち会う点だ。
でも、このような、AVのような主題よりも、私は結婚直前の男女間とか、中年の作家とか、いかにも普通 の生活をしているように見える人に対して向けるほうが、生々しい刃だったりする、と思う。

と文句をいいつつも、一気に読んだんですけどね。


今日は疲れた。昨日までたまっていた疲れが、いくらでも出てくる仕事上の問題にからめとられて、思わず早く退出した。

閉店直前のHMVで、新しいCDを1枚。大好きなコンチェルト・パラティーノの新譜(とはいっても国内盤としてだが)。今回はアクサン・レーベルではなく、ドイツ・ハルモニア・ムンディである。
コンチェルト・パラティーノはバロック初期のブラス音楽を奏でるアンサンブル。 以前の猫時間通信でも一度取り上げた。

今回は、満を持してのガブリエリだ。ヴェネツィアのサン・マルコで、優秀なコルネット奏者と合唱陣を率いて、2つのバルコニーからの掛け合いを盛り込んだ音楽は、へたに演奏するとのっぺりした至極つまらないものになるが、さすがにこの時代の音楽や様式に慣れ親しんでいる彼等のこと、なめらかかつ繊細で、まったく言うことない。

五臓六腑に染み渡る、っつーやつだ。

ちなみに、世間ではガブリエリと言えば、P.J.B.E.(フィリップ・ジョーンズ・ブラス・アンサンブル)と相場が決まっている。確かに彼等の豪華絢爛な音も素敵だ。
だが、豊かな教会の残響と、テクスチャーや、細い音にこそ宿る繊細な立ち上がりのニュアンスも、全然別 の魅力がある。もしもこの音が耳なれないものとしても、嫌いに感じられないならば、慣れるまで聞いてみてほしい。様式がいかに相対的なものかを感得できると思うのだ。


●2000.09.18〜25 -- 特記事項なし

特記事項なし。なんつーか・・・疲労がとれにくい。9/20(水)に一度、40分のマッサージで上半身をほぐす。週末、9/23(土)は雨の中を、オフ会。翌日の日曜日、危機的なくらいやる気が出ない。 月曜日に会社始動。


●2000.09.17 -- 蜷川の「グリークス」

この日は、以前から予約してあった蜷川演劇の「グリークス」。関係者からチケットを押さえていただいたので、万難排していった。ちなみに、この日も朝から大雨。帰りに止んだのでよかったけど、シアターコクーンにつくまでが大変だった。


もうあちこちで語られている、9時間の超大作に、演劇通でもない私があれこれ言ったところで、そうたいした話にはならない。
で、単純に感想を。

人によって、かなり評価が割れるでしょうね。というのは、こういう古典悲劇に慣れていない人は、すごく濃い表現や、いきなり神様が現れたりすること自体に、拒絶反応を示す可能性もあるからだ。そこをどう感じるか。
私はギリシャ古典劇を脚本で読んだことがあり、その記憶と比較するとじゅうぶん現代的な脚本と演出と思うが。

なお、三時間一本の劇が、三つ続きます。途中、30分と1時間の食事休憩を挟んで、丸一日劇場漬け。
でも、恐るべきテンションの高さで、まったく眠くなることなどなく、最後まで見通 せます。個性的な強い俳優をたくさん並べつつ、ここまで大きな劇を破綻なく成し遂げることに立ち会える。そのこと自体にも感動します。(長い劇なので、出来不出来はあちこちあるにせよ。)

見に行く価値は、じゅうぶんにあった。すばらしい時間でした。


●2000.09.15〜16 -- Old Mac

9/15はせっかくの祝日だが、ビストロでおいしい昼食をいただいた後で、干してあった洗濯物を家に取り込んで雨から防ぎ、あとは雨を見ながらぼーっとしたり読書したりした。

こういう時こそいい本を読んだり、考えをまとめたりするチャンスなのに、休むためにがんばった仕事で体力を使ってしまって、いざ休みに眠くなったりする。本末転倒である。

新潮の今月号に掲載された平野啓一郎の「葬送(第一部)」。まだ数ページ手をつけただけである。今回は擬古文調ではないのね。


9/16は実家へ。実家のマックがおかしくなったので、ハードディスクを1つ抱えて見に行った。やはり外付けハードディスクで解決するしかない状況だったので、ほんとうに久しぶりに、SCSIのIDなど調整して、ハードディスクを接続。

Centris 650という、68040をCPUに積んだOld Macなのだが、さすがに今の目で見ると遅い。でも、昔はこんなだったんだよなぁ。

それで思うのは、以前のパソコン通信だと、もっとのんびり通信していたこと。最近のテンポの速さは、楽しい時もあるが、苦痛寸前までいくこともある。


●2000.09.10〜14 -- マッサージ

9/14の夜に、ひさびさにマッサージに赴いた。
一番ひどかったのは9/10の日曜日、その日は日曜日でも開いている指圧系マッサージの店で、緊急退避をした。それでも首の後ろが信じられないくらい凝っていて、吐き気直前であった。
で、もう我慢できなくて、9/14は早めに仕事を切り上げて、 本格的に60分のマッサージを受けた。

ところが、終わってみると「今年の6月〜7月頃の、一番ひどかった頃よりはまだマシですよ」と言われてしまった。
確かに、まぁ、マッサージが終わってみると、首のあたりはいつもより効きが深いのはわかる。でも、決していい具合ではないんだけどなぁ・・・

先生は「最近、以前よりちょくちょく来てるから、利き目がはっきりするのかもね」と言っていたけれど、一番ひどかった日曜日に、よそで一度揉んでもらったからかもしれない。


この平日は、とにかく連休をきちんと確保するために、必死だった。つまり、仕事を一生懸命やって、とにかくへろへろ。9月は忙しい・・・

9/11の火曜日に、東京は午前9時半過ぎから11時くらいにかけて大雨だったが、まさにそれでずぶぬ れになった。とんでもない日だった。


●2000.09.04〜09 -- うやむやな日々

少し精神的に荒廃してきたかも。仕事のせいである・・・
ぼやいても始まらんが、かなりストレスがたまっている。労働時間が長いとかそういうことではなく、自分が本来やらなければいけないこと以外のこと(つまりは本来は他の部門の叱るべき人間がやるべきこと)で、手を出さないと廻らないことが多くなっている・・・

したがって、なんだか日常生活における気分の破たんが生じている。
9/8の金曜日は夏休みをとったのだが、またこういう日に限って、知人のパソコンの面 倒を見てあげることになり、自由時間は午後だけになってしまった・・・


有間しのぶのコミックス新刊「モンキー・パトロール」Vol.1。そういえば、前回に購入したのは「街の愛憎くん 3」だったような。んで、それは1996年か1997年くらいだったような。(確認するのがめんどくさい)
基本的に、この人の作品、好きですが、今回はあえてパターン化?
でも、わかりやすいからウケはよいかも。
デフォルメされたおやじっぷりのいい女と、デフォルメされたフォロモン出しまくり女が面 白いが・・・売れっ子ライターさんの生態は全然デフォルメになってないような・・・あ、それもおもしろいんだ...

そういや、最近は西村しのぶもおっさんワールド突入である。まぁ、そういう年なわけですが。

私はそういうわけで、今おもしろいと思ってるコミックスでは、鴨居まさねの「雲の上のキスケさん」だったりする。(何がそういうわけなんだよ!>自分)

すまん、くだらんマンガばっかりで。でも、「The World is Mine」も終わっちゃうし、「殺し屋1」はちょっと追い込みが足らんような気がしてな。「ひかるの碁」でも読んでみるかな。


すばるの今月号が、瀬戸内寂聴と美輪明宏の対談。三島由紀夫がテーマ。三島由紀夫は好き嫌いでいうと嫌いなほうなのだが、対談には興味ある・・・三島夫妻の話などは、意外な側面 が語られていて興味深いが、結果的にお題に興味が持てないのだ、私は。

瀬戸内寂聴と川上弘美が、そう言えば8月号の群像で対談していた。私にはこっちのほうがずっと面 白かった。それはきっと、世代の近い川上弘美(この人の作品は、大好きだ)が、瀬戸内寂聴にあれこれお話を聞かせてもらう構図になっているからだけではないと思う。
特に私が気に入ったのは、瀬戸内寂聴が小林秀雄らと九州へ同行した折りの話。あの小林秀雄に、こうも素直にものを言えるのは、とてもお茶目(御興味がある方はぜひ。ほんとにお茶目で楽しいです)。そして、こういうお茶目な姿がきちんと出てくるからこそ、対談は面 白い。

でもほんとは、対談よりも、面白くて長い小説を、たっぷりと読みたい。
(って、前から言ってるよな。>自分)


●2000.09.01〜03 -- 電子辞書

京都旅行日記を書き終わらん・・・(^.^;

ちなみに、HTML 3レベルに戻してみた。色をちょっと変えたけど。


もう9月か・・・早いな。

09/01は、とにかく仕事。
09/02は、電子辞書を買ってから洋書の学習会に出席を、と思っていたら、お目当ての電子辞書が品切れ!しょぼしょぼの状態で学習会に出席。
09/03は、そのリヴェンジに秋葉原で電子辞書を探してゲット。少し使ってみる。

買った電子辞書は、ソニーのやつ。小学館のプログレッシヴ英和・和英辞書が入っているので、目をつけていた。小学館の辞書ってけっこう好き。ただ、プログレッシヴくらいになると語彙が11.5万語を超えるため、厚さと重さがこたえる。軽い辞書を欲していたら、中身をそのまま圧縮した電子辞書があったので、買ったのだった。私はこの2冊に加えて、岩波国語辞典と学研漢字字典も入っている豪華版を買った。液晶のバックライトがつく。
ちなみにこの機種は、スタパ斉藤氏が、Impressのニュースサイト「ケータイWatch」で誉めていたやつだ。

インクリメンタル・サーチが、こんなちっこいマシンで使えるとは。emacsのようにどんどんお目当ての語に近付いていく!これはすげぇや。

肝心の英語の学習の方は・・・まぁ、もとの英語力の問題は、すぐには解決しない。当たり前。でも、ちょっと学習するのが楽しくなったぞ。Yシャツ胸ポケットに入る大きさだけに、鞄に放り込んでおいて、いつでも取りだせるしね。



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