フランス・ブリュッヘンのページ


Frans Bruggen は、1934年にオランダのアムステルダムで生まれ、 アムステルダム音楽院で Franz Fester にフルートを、 Kees Otten にリコーダーを習い、10代前半で既に頭角を現します。 古い音楽に特に興味を持ち、10歳で卒業後にはアムステルダム大学 (総合大学)で音楽学を特に学び、20歳にしてアムステルダム 音楽院とデン・ハーグ王立音楽院に古楽の教授として迎えられます。 その超絶技巧は既にヨーロッパで有名でした。

同じ頃、ウィーンに留学していた鍵盤楽器奏者のレオンハルトが帰国し、 彼の深い洞察を持つ音楽の元で、「バッハ以前の音楽は決して未発達 だったわけではなく、その当時の技術の中で、最高の文化を開いており、 むしろ今の楽器では表現できなくなった音の綾を、古い楽器を用いて 再現すれば、まったく別の新しい魅力を放つ」という"オリジナル楽器 演奏"に携わり、技巧だけでなく、非常に官能的ながらも品格の高い 響きをつむぎだします。

賛否両論の中、次々に出すレコードが売れて、その名声は世界中に広がる とともに、「教育用楽器」としか見倣されなかったリコーダーを、 音楽観賞に耐える楽器であることを立証した功績も大きいです。 また、ただの笛吹きであるだけでなく、楽譜の出版や、当時の音楽 環境を調査して演奏に反映させるなど、総合的音楽家としての 役割も大きく、楽器の種類を問わずに様々な演奏家や作曲家との 交流が生じています。


1980年の世界ツアーを最後に、最前線としての笛吹きから引退し、 18世紀オーケストラを組織。交流を通じて知り合い、影響のあった 奏者に直接交渉をして、40人強の古典派音楽専用のオーケストラ の指揮と運営に乗り出します。

最初は資金の問題などで苦しみますが、徐々に演奏のレベルの高さが 理解されて、CDが発売されると「古楽器を使った最高レベルの古典派の 演奏」という評価を獲得。また、ウィーン・フィルやシカゴ響などの 現代オケの古典派プログラムを指揮するなど、指揮者としての 名声を得ています。既にモーツァルトの後期交響曲やベートーヴェンの 全集を完成。4回(97年夏現在)の来日公演でも絶大な評価を得ました。


彼の特徴は「総合的な音楽家である」ことでしょう。自分の楽器を 演奏するだけではなく、自分の強固な音楽像があり、楽器がそれを 表現するための手段に過ぎないと、はっきり言い切れる点です。 普通そうなのですが、ことにクラシックの高度な技巧を要求される 音楽は、弾くこと自体が目的になりかねない部分があります。 そういう部分をはるかに越えたところにある点で、チェリストの パブロ・カザルスに匹敵するものがあるでしょう。


いずれディスコグラフィなどを入れられるといいのですが…
あまりに膨大なので、不可能かもしれない。


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