洛西:東福寺周辺

 

九条の南は急に静かに

東山観光ゾーンの南端、清水寺からさらに南へ。七条(三十三間堂や智積院)、京都駅から九条を経たあたり。JR奈良線および京阪宇治線の東福寺駅からスタートするゾーン。

市中からちょっと南に離れたこのあたり、大きなビルなどはなくとも、家々は密に接しています。京都駅周辺のざわめきは遠のきますが、暮らしの息吹がそこここに見える町並みです。そうは言っても、お寺の残るあたりまで足を運べば、緑の香りが漂い、東山からの地形の起伏が感じられます。

ちなみに、東福寺からちょっと西へ出た線路沿いは琵琶湖疎水が流れ、任天堂など有名企業のビルも建ち並んでいます。観光よりも、生活の場でもあるということでしょうか。

寺を中心に形成される街

東福寺の巨大さ、庭の起伏は、摂関家が関わった寺院らしい意匠です。おそらく平安京の真ん中では作れなかった規模です。洛外に続く東山の起伏と緑が、ここに導いたのでしょうか。渓谷に沿う楓の林、苔の起伏は、奈良の東大寺や興福寺を連想させる色と空間です。

東福寺駅を降りて、電車沿いの道をまっすぐ進んでも、東への斜面を上ってから進んでも、たどり着けます。東寄りの道を選ぶと、退耕院という塔頭に突き当たるので、すぐに寺町に入ったとわかります。そこからしばらくは拝観謝絶の塔頭が続きますが、霊雲院、芬陀院(雪舟寺)といった公開中の塔頭もあります。

霊雲院は静かな庭も趣がありますが、日露戦争の捕虜が過ごしたところとして、彼らが作ったバラライカなどが残されているお寺でもあります。芬陀院(雪舟寺)は、雪舟作の庭「鶴亀の庭」が有名。訪れる人も少なく、苔の向こうに力のある亀島と岩に対峙していると、時を忘れます。

東福寺は本文にも書いたように、通天橋からの紅葉が極めて日本的な風景、眺めていると距離感が消失し、俯瞰構図の大和絵の眼になっていきます。その脇にある方丈庭園は、昭和の名庭として名高いもの。岩と苔による市松模様がモダンアートを連想させるデザイン。この市松模様がまばらになると五月の植え込みが目に入り、その借景は通天橋が望む紅葉の渓谷です。奈良以来の日本の美の眼と、モダンの洗礼を受けた昭和の眼とが相互に増幅しあう、希有な意匠です。

なお、東福寺のさらに奥に、光明院という塔頭もあります。禅の建築・庭園の様式に関心がある方は、ここまで足を伸ばしてみるのも一興。

御寺も見ましょう

東福寺より地図上は近く見えるのが、泉涌寺。ただし、歩いてみると必ずしも近いとは言えないのです。相互の近道は意外に入り組んでおり、あまり自信がないならば、素直に東福寺駅から九条通を東へ道沿いに進み、泉涌寺道交差点から「泉山御陵参道」を上ってゆくほうが楽かもしれません。

では、この参道を上っていきましょう。そう太くはない道をゆっくり上っていくと、総門が見えてきます。このあたりに、即成院があります。泉涌寺塔頭の一つで、「那須与一さん」と親しまれています。文字通り、平家物語で有名な那須与一の墓所があります。さらに進むと戒光院。こちらは「丈六さん」と呼ばれ、身の丈六尺の釈迦如来立像を拝観できます。

そして、三差路に出会います。左に進めば今熊野観音寺。あと二つの道は、泉涌寺へ続きます。ここは真ん中を進んでみましょう。受付を済ませれば、すり鉢状の土地にも関わらず、地の気がたまらずよどまず、清浄に保たれた境内。月輪陵として、天皇陵がいくもある地域でもあります。皇室の位牌を保つ「御寺(みてら)」の風格とともに、おそらく霊廟以外の活用を思いつかない、不思議な光景に感服します。容姿美麗の楊貴妃観音を見て廻ると、先の三差路へと戻ります。

御陵を降りてくれば、自分がいかに普通の土地とは違う場にいたかが、実感できることでしょう。

周辺

東福寺と泉涌寺の中心地帯だけに的を絞って、さらさらと廻れば実は、半日くらいのコースになります。JRで一駅、京阪で二駅、南へ下れば、伏見稲荷石峰寺。さらに南には、桃山城城下町として栄えた伏見があります。

戦国時代や幕末の人物史がお好きな方は興味深い地域であり、実際にも人気コースですが、このあたりはいましばらく、ここでは取り上げない地域といたします(極私的ページですので、こういうこともあります)。