洛西:嵐山

 

竹林を抜けて山麓と川に遊ぶ

竹林を抜けると嵐山だ。緑に染まった身体からふぅと息が流れ、さらさらと葉ずれの音が背後に散り、何かさっぱりとしてくる。ひぐらしの声が近くなってきたようだ。山に登って一望するか、一足飛びに渡月橋へ向かうか、夕暮れには少しく早い、ここは天龍寺で腰をおろしてから考えよう・・・

こんな気持ちにさせるのも、嵯峨野や嵐山の特徴でしょうか。有名な竹林を過ぎれば嵐山、ここは多くの人が足を止め、写真をとったり周囲を一望しています。嵯峨野から徒歩で下ってくる頃には、夕刻。夏はまだ明るいですが、冬はすでに暗くなっているので、天龍寺を拝観する場合は少し足早に。

時間があれば、大河内山荘に入ってみましょう。展望台からは保津川(桂川)と嵯峨野が一望できますし、山の起伏を利用した庭は、四季折々の花と緑も楽しめます(抹茶席もあり)。ここを出て道沿いに東へ進めば、源氏物語にも登場する野宮神社。なお、大河内山荘の他、この山荘と隣り合うように、亀山公園があります。こちらは入場無料、やはり丘から周囲を一望できます。

さて、山の麓には禅寺の天龍寺。気宇壮大、からりと乾いて、参禅者も、単なる観光客も、願掛けに来る者も、静かに庭に対峙する者も、不思議と受け入れてくれる広さ。百花苑は春の花と秋の紅葉が有名ですが、やはりここのハイライトは池と岩組を使った禅様式の庭である、曹源池庭園でしょう。方丈から庭園を眺めても、靴を履いて外に出ても、それぞれに見事な形。

天龍寺を出て、桂川にかかる渡月橋方面へ歩きましょう。京福電車の嵐山駅前は、お土産と飲食の店が建ち並びます。美空ひばり博物館もこのあたり。やがて広々と川面が広がり、遠くに美しい山並みに支えられて、渡月橋に立つことになります。鵜飼の鮎漁、川下り、観月と、古来多くの人々が賛嘆してきた絶景。橋の向こうに空を占める嵐山は、法輪寺の塔も含めて圧倒的な量感、それに負けぬ空間的な広がりを見せる川面。この景色は、単なる月並みな和様の美ではなく、東福寺の通天橋と並んで和様の美を規定するものです。

嵐山では川を楽しむのが王道だ、という方もいらっしゃるでしょう。ここの料理旅館を宿にする、トロッコ列車に乗る、あるいは料亭で川魚に舌鼓を打つ、こういった楽しみ方もあります。

一方で、川沿いに少し東へ進むと、臨川寺という地味な禅寺があります。天龍寺、西芳寺(苔寺)などを設計した夢想国師はここで永眠しました。墓所でもあり、木造も安置されています。天龍寺の余韻をここで味わってから、川へ向かうのもいいかもしれません。(注:臨川寺は現在、拝観できないそうです。)

嵐山の変遷

かつての貴族の遊び場は、その後の武家社会や戦乱などを経ても、それなりに保存されてきました。

最初の大きな変化は、高度経済成長直後、1970年代の低成長時代でしょう。「のんびり行こうよ」、「ディスカバー・ジャパン」といったコピー、あるいは隠れ里歩きなどの空気とともに、嵐山や嵯峨野にはそれまでなかったくらい人が行くようになったといいます。女性誌や観光雑誌が創刊された時期でもあり、それらが嵯峨野を特集してきたことも大きいでしょう、急激に観光化されていったといいます。

その嵐山に別の変化がやってきたのは多分、1985年に始まった「たけしの元気が出るテレビ」(日本テレビ系)にて、ビートたけしが北野カレーを嵐山に建てたことでしょう。このカレーを食べさせ、グッズを売る店は、修学旅行生を中心に一時期大ヒットし、嵐山周辺の飲食店は「芸能人ショップ」で一杯になります。北野カレーは割合早く店を閉めますが、その後の嵐山は派手な看板、呼び込み音と、ずいぶん騒がしい環境になりました。

芸能人ショップがかつてほどの勢いを保てなくなってきた頃、2002〜2003年の今に繋がる変化が来ます。美空ひばり博物館の誕生と、嵯峨野トロッコ列車の復活。特に博物館のほうは外に向けてうるさい宣伝を行わないようであり、芸能人ショップが下火になることが相俟って、嵐山はバブル経済の狂奔と同時期の喧騒はかなり引きました。

その一方で、山はいまだにゆったり構え、相変わらず観月や舟遊びは続いています。その変わらぬように見える景色も実は変化しているし、それ以上に人間が騒がしく右往左往する。そんなことを思いながら川と山並みに目をやると、ついに紅が去って群青色に主役を譲り渡す時刻がやってきます。嵯峨野から巡ってきた一日が終わります。