京都旅行2001年春

鞍馬から貴船へ

 

●最終日の行く先

最終日は月曜日。美術館・博物館系列をあてにできない(月曜休館が普通だから)。

前日の夜に話し合って、前回に行けなかった鞍馬山に登ってみたいという話になった。朝食をとってチェックアウトし、京阪電車で鞍馬へ。せっかく登るんだから、貴船に降りてそこで食事をしよう、まだ季節には早すぎるけど、たぶんなんかあるでしょ、というコース。

出町柳の駅で地上へ出て、叡山電車に乗り換え。小さな編成の列車で、平日の午前はえらく空いている。夏場は避暑のために人で一杯になるが、まだシーズン前なのだろう。列車が一駅を過ぎるごとに、建物が低くなって山の端が近づく。やがて大学(京都精華大学)などを通り過ぎてから、山奥に入っていく。山が近づき、というよりもはや近づいたことがわからなくなった頃には、山道を並行して列車は走る。鞍馬小学校が見える貴船駅のあたりはもう、すっかり山奥だ。

●鞍馬山を登る

鞍馬駅到着。さすがにこのシーズンの観光客は少ない。ドイツ人と思われる女性二人組がいる。

私は何度も来ているが、同居人は初めてである。降りると山の空気、田舎風の駅舎、ちょっと新鮮なようだ。鞍馬山のお寺の山門に至る途中には、お土産や食事の店がいくつかある。しかし、貴船へ出ると帰りに何か買うわけにもいかないし、今買って荷物になると歩きにくいので、やっぱり結局何も買わない。花背の温泉に行く時があれば、その時こそ買えそうに思う。

山門が見えて、石段を登ろうとすると桜がちらほらと花びらを散らす。わぁ、といる人々が喜びを込めて見上げる。仁和寺の咲きっぷりと違い、1本の桜からさらさらと流れる花びらは、本来の桜の味わい。これはこれで落ち着く。

入山料を払い、少し進むとケーブルカーがある。最初はどうしようかと言っていたのだが、タイミングが悪くて結構待つし、「山頂まで1km」という看板に惹かれて歩くことにする。というか、私は最初から歩くことを主張していたのだが。
急に勾配が上がり、由岐神社が見えてくる。清水寺より古い重要文化財。ちょっと古くさい造りがかえって新鮮。少し休みがてら手を水で冷やす。徐々に体温が上がってくるのだ。境内に入ってみると、ご神木が三本、すごい勢いで伸びている。立ち止まると空気のゆるやかな流れが気持ちよい。
ここからは、あまり休憩はなくて、九十九折りをひたすら登る。しかし、以前は軽々と歩いていた私も、最近は運動不足のせいかちょっとバテ気味。夏のように人がたくさんいないためか、のんびり登るのもまたよい(真夏は避暑向き有名観光地として人混みがすごいのだ)。斜めに上がっては折り返し、その都度下を見る。登ってきた道が層になり、木々の青葉の若い色を通過して、地上の羊歯が優しく染まる。

金堂手前に休憩所があるから、と言いつつ(半ば連れをなだめすかせつつ)登ってきたら、月曜は休憩所が定休日だった。仕方なく、自販機の紙ジュースのパックを買う。座っていると、やはり休憩所目当ての年輩のご夫婦がやってきて、仕方なく弁当を出して食べ始めた。
甘いジュースで一息ついて、金堂へ。やはり頂上付近も人が少なく、晴れて穏やかな空気がぼんやりと霞をかけたように京都の市街地を隠す。春は白いなぁ、と思う。

金堂の中は、さすがに観光シーズンでないだけに信仰の場としての空気がある。仏像の手前で正座をしてお経を上げる方。ひたすら静かに祈っている方。一見こういう光景は東京にはないようにも見えるが、私の祖母などはごく普通に(商売をやっている家として)仏壇と神棚があった。決して特別熱心というわけではないが、生活に溶け込んだ風景としての記憶がある。その記憶が、目前で祈っているお婆さんの姿から呼び覚まされる。とは言っても、私の祖母よりだいぶ(こう申しては何だが)腰が曲がってたいへんなようで、似ているところなど皆無なのだが。
ここに来ると、いつも不思議な、脈絡なく思い出す記憶が一つくらいある。あれは鞍馬山の持つ気なのか、それとも単なる非日常なのか。単なる非日常なら、他のお寺で起きてもよさそうなものだが。そういえば、六波羅蜜寺に初めて訪れた時、盂蘭盆会の準備中でお婆さんがお参りしているくらいだった。「ここは地元の方々のお寺なんだなぁ」と思いつつも、自分の祖母には思い至らなかった。
ふいに視線を動かすと、薄暗い中に灯明が揺らめく。

金堂を出るとまぶしい。あちこちの座れる場所で、年輩のご夫婦がお弁当を広げている。要するに、平日の正午過ぎにこういう場所にいるということは、定年退職したご夫婦が中心、ということなのだ。弁当のない我々は、貴船へと歩みを進める。貴船にしかメシ屋はないし・・・

●山道

山道へ入るとすぐに博物館などがあるが、当然月曜日で休み。そのまま山道へ入る。二人で黙々と歩く・・・というより、実際問題として腹が減り始めていて、早くメシにありつきたい、というのがほんとのところかもしれない。

それでも、日が遮られる木陰の道はひんやりと涼しく、杉の木の根が地上にはい出しているところもなかなか風情が・・・という間もなく、どんどん歩いていく連れ。足を滑らせそうになったりして驚くが、たいしたことはないらしい。
途中、すれ違うと「こんにちはぁ」とお互いに挨拶する。「山道と同じなんだね」という連れに、そりゃ、山道だから。すれ違う人が持っている杖は、貴船口のほうから登ってくる時にある、という話をしていると、人の声がしてくる。義経堂の前だ。

義経堂では般若心経を一心不乱に上げているおばさんが一人。他は誰もいない。ちょっとほの明るくなるこの場を通過して、さらに先へ進む。極相林と称される林はしかし、ずいぶんと明るくそのイメージとは遠い。
下ってゆくと、魔王殿に到着する。おそらくアメリカから来たと思われる女性二人が写真をとっている。ここがちょっと他と感じが違うのは連れも感じたようだ。何度か来たのだが、ここって何かをおさえている印象がある。「サクラナクラマート伝説」も「義経ゆかり」もそれほどクるものがあるわけではないが、どうもここだけはなんかあやしい。

とりあえず、そーゆーことにして、降りる。ここからは貴船まで割合すぐ。夏に歩くと、歩みを進めるたびに気温が上がるのがわかるんだよー、などと話すたびに車の音が近づいてくる。最後に母娘にすれ違い、やはり「こんにちは」を交わすが、見ると娘のほうはまったくふつーのパンプスを履いている。あれでよく登る気になったもんだ。

で、さらに思い出したこと。私が東京の渋谷を歩いていて時々いらつくことは、別にガングロでも地べたに座る女の子でも傍若無人な男の子たちでもない。つーか、そういうのはちょっと迷惑ではあるが、目に余れば声をかけるくらいで済む(下手に声をかけると殴られるけどな)。むしろ、母娘で腕を組んで買い物をしている姿、これが苦手である。
悪いとは思わない。反抗期も過ぎて、娘と一緒に若い気持ちで歩く母親はうれしいのかもしれん。でも、街を歩くと一杯いる、というのはちょっとどーかと思う。いい加減独立せんか、娘っ子。
というのを、すれ違った瞬間に思い出した。京都ではあんまり見かけないけど・・・貴族の避暑地にはいたんだなぁ(詠嘆・・・なんだそりゃ)。

●貴船

お腹が減ったので、とりあえずメシ。

それはいいが、シーズン前で人が少ないせいか、客引きがすごい、すごい!もうだいぶ離れたところからこちらに視線を送り、どんどん声をかけてくる。私はこのへんで食事をしたことがない(一人で来る時は早めに山に到着して、お昼には下山して街で食事をしていた)ので、どんな店があるか、歩いてみることにしたのだが、うんざりするほどあちこちで声をかけられる。値段は似たり寄ったり。もう全面笑顔の看板女将がなんとか引き寄せようと必死、というのもなぁ。この季節、川床もないし、あってもあまり入りたくないし。
歩いてみて、決め手がまったくない・・・というより、私はどうもこの「川魚を中心にした料理」がすご〜くおいしいものに見えてこないのだ・・・いや、懐石料理自体は好きです。全体においしそうなメニュー構成に感じられない。

で、貴船神社から奥の院の方まで歩いていって、途中で立ち止まり、ガイドブックを見ることにしたのだ。面倒だ。手元にあるエルブックス社「京都シティマニュアル 2001」を取り出す。そして、載っていた鳥居茶屋まで戻ることにした。
その間、先ほどの「こちらへどうぞ」攻撃をかわして歩く。

少々うんざりした頃に地図の場所へ出ると、なんとない!と思ったら、工事中でちょっと下へいってくれ、という話。さらにとぼとぼ歩き、連れも「もうそこがショボそうでも入る」と言うので、とにかく入る決心で歩く。
前に辿り着くと、仮店舗でもそう悪くない。とりあえず、入ってみる。2名で、すぐに座敷へ案内される。先客ものんびりご飯を食べている。迷ったあげく、最終日だしちょっと奮発。品数の多い鮎茶漬けのお弁当にした。この感想はこちらに書きます

ここで、連れが実は足をくじいたらしい、と言う。やはり滑った時にやったようだ。バス停までかなりあるけどどうするか、と思っていたが、とりあえず大丈夫だという。店の人が「バス停はすぐそこ、待つけど、歩いていって来たら手を振れば乗せてもらえます」という。車を呼ぶほどでもないと思い、とりあえず会計を済ませて出る。

歩いて坂道を降りる。平日、季節はずれで車が少なくて楽。夏にこのへんを通ると車でたいへんなのだ。気温もほどよく、気持ちよく歩くが、バスが来ない。結局、叡山電車の貴船口に到着してしまった。無人駅で、電車を待っていると鞍馬小学校の生徒たちの下校とぶつかる。そんな時間になったのか。

●帰路

下山の列車はパノラマタイプのきれいな車両だった。座って山を背後に感じつつ、街が迫ってくるのを感じつつ、時々うたた寝などしていると、いつの間にか街に入っていた。出町柳で降りて、四条まで戻る。いずれにせよ今日は帰京日なのだが、ちょっと甘いものを食べてから帰りたい。

結局、高台寺方面へ歩く途中にある鍵善良房に行くことにする(月曜は祇園の主なお店は休みであるため、祇園の本店は行けない)。途中、薬屋に寄って連れの湿布を買う。路傍で貼ってから、八坂神社を抜けて歩く。
しかし、高台寺の鍵善良房もショッキングなくらい混雑していた。そりゃそうか。仕方なく、待って入ることにした。くずきりとお茶で一服。少しお土産を調達。

京都駅へ阪急・地下鉄で戻り、駅弁を買って、新幹線に乗って帰京。やっぱりもうちょっと居られるいいと思いつつ、まぁまた機会もあるだろうと・・・


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