ふと「宮崎の海岸を車で走りたい」と思った。思い立ったが吉日とばかりに宿と帰りの船の予約をした。
そんな訳で宮崎一人旅。立山旅行から帰ってきて、1日会社に行って、その晩には宮崎へ出発した。
しかし宮崎は遠い。走っても走っても届かない、そんな気がした。宮崎に着いたとき、「ほっ」とした気持ちになった。また九州の人々の言葉を聞くとふるさとに戻った気分になる。僕は生まれも育ちも大阪なのだが、両親が九州出身ということに関係あるかもしれない。
ところで、「宮崎の海岸を走ること」だが初日に達成した。シーガイアのそばを走る「一つ葉有料道路」を走ってきた。でも予想よりも海岸沿いじゃないぞ。でも窓全開で走ると潮風が気持ちいい。途中のParking Areaに寄るとやっぱり、
海岸に出られるじゃないか!!うれしー!!そうそう、この潮風、この潮の香り、この潮騒、これこれ、これだ!!海をぼーっとなにも考えずに眺める、そのままうとうと居眠り、これぞ至高の幸福だ。空が灰色なのがちょっと残念だが、それでも100%満足だ。この旅行に来た甲斐があった。
その後、宿のチェックインにはまだ時間があったので、一番安上がりな平和台公園へと向かう。
駐車場から少し行ったところに「平和の塔」が立っている。案内をみると、この塔は1940年(昭和15年)皇紀2600年を記念して立てられたそうである。この年に帝国海軍に正式採用された戦闘機が零式艦上戦闘機つまり「ゼロ戦」である。ちなみに皇紀2600年とは初代神武天皇が橿原宮で即位した年を皇紀元年としているそうだ。えーと2600-1940=660なので紀元前660年に即位したそうである。「ふーん、あっそう」という気持ち。
話しは戻って、この塔の中程に「八紘一宇」という文字が刻まれているが、周りの色と比べるとやけに新しい。これは「八紘一宇」が戦前の日本軍国主義を象徴する言葉で、戦後に削られたのが「文化遺産云々」ということで復活したからである。さすが自分に都合の悪いことは忘れるのが早い日本人だけはある。
ただこの塔、塔の前のあるポイントに立って手を叩くとそれがこだまするようになっている。この音響効果には感心感心。
と、うろうろするうちにチェックインの時間が来た。疲れたのでさっさと宿にいって明日に備えてすぐ睡眠。
翌日は高千穂へと向かう。何と雨。まあ高千穂は神話のふるさとだし、霊験あらたかになっていいかと決めつける。しかし高千穂も遠い。今日乗る船は19:10宮崎港発。1時間半前には港に着いていたほうがいいし、高千穂まで3時間かかるとして、あれ?高千穂で2時間しか余裕がない。いかんまた強行計画を立ててしまった。
さて高千穂に着いたはいいが、どこに何があるかわからないので高千穂駅を探すがこれが簡単に見つからない。ここで30分経過。しかたないので高千穂峡はパス。くしふる神社にいく。ここはニニギノ命が天孫降臨したところなのだそうだ。その近くに「高天原」とある標識を見つけたのでそっち(丘)にいくと、「高天原遙拝の地」についた。降臨した神様がここで「高天原」を「遙拝」したそうである。なーんだ。そのそばに「四皇子之碑」がある。ここはニニギノ命の孫のウガヤノフキアエズの宮殿?のあったところなのだそうで、ここで4人の皇子が生まれたのだそうだ。長男をイツセノ命といい、4男はカムヤマトイワレビコノ命、俗にいう神武天皇である。
もうこの時点で1時間経過したので急いで天岩戸神社に向かう。この神社、お社が2つあるがやはりメインは天岩戸を「遙拝」できる方だろう。でも有料だし、時間がかかるとまずいのでパス、無料でいくことが出来る「天の安の河原」にいく。「河原」といっても洞窟状になっており、また石を積み重ねた塔が数多くあり、何か神秘的な雰囲気をかもしだしていた。
とこれだけで1時間、計2時間。急いで戻らないと船に遅れてしまう。神話の雰囲気に少し触れただけで宮崎港へと向かう。
宮崎港に付いたのは出航の約1時間半前。計画通り。しかしフェリー代は1人じゃ高い。ま、楽だから仕方ないか。フェリーは予定通りに宮崎港を出航。夜中にどっかで喧嘩があったみたいだけど、気にせず睡眠。朝になったらもう大阪は南港のすぐ手前だった。やはり大阪の海は汚なかった。
(終わり)
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