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写真の腕と写真を観る目

写真の腕とは、表現意図どおりに仕上げる能力

 写真の上手な人のことを、「腕がいい」とか「上手い」など言います。何となく使っている表現ですが、写真が上手とは、どのようなことを意味するのでしょうか。

 上手さを判断するときは、その人が撮影した写真を観ます。仕上がった写真が良い写真なら、腕が良いとなります。では、良い写真とは、どのような写真なのでしょうか。疑問がどんどんと膨らみます。

 写真の良し悪しに関しては、私も長いこと考え続けています。でも、良し悪しとなると、人によって意見が異なるようで、明確には定義できません。あえて定義するなら、観る人に強い何か(印象や刺激など)を与える写真でしょうか。刺激の大きさは観る人によって異なるため、より多くの人に刺激を与えられる写真とすればよいのでしょうか。こんな風に考えても、良い結論は出せませんでした。

 写真の良し悪しの決め方が定まらないので、写真の腕を別な形で決められないかと思うようになりました。そして得た結論は「写真の腕とは、狙った表現意図に、どれだけ近い写真を撮れるかの能力」というものです。表現意図は様々ですから、すべての種類の表現意図で撮れる人は皆無でしょう。すると「できるだけ多くの表現意図で撮れる人ほど上手い」とすればよさそうです。

 狙った表現意図とは、少し分かりにくいですね。具体的には、次のようなことを意味します。表現意図が「美しい」なら、できる限り美しい写真に仕上げられる能力のことです。美しいの他に、迫力ある、元気な、明るい、爽やか、静かなど、いろいろな意図が考えられます。また、負のイメージとなる、怖い、暗い、寂しい、悲しいなども、表現意図に設定できます。こうした意図のうち、撮影できる種類が多いほど、より上手いと言えるでしょう。

 以上のような考え方を採用すれば、写真の腕というものがある程度まで説明できます。ただし、作品の魅力を増すためには、これだけでは不足なのです。でも、作品作りのために必要な、基礎的な能力ではあります。そのため、写真の腕の基礎部分として位置付けるのが妥当でしょう。それより上の能力は、説明するのが難しいと思います。

写真を観る目とは、見てどれだけ気付くかの能力

 写真の腕を語る際には、写真を観る目が欠かせません。観る目は、かなり大事なことなのに、理解している人は少ないようです。ですから、ここで真面目に取り上げてみましょう。

 同じ写真を観たとき、観る目のある人とない人とでは、感じ方が大きく異なります。もちろん、同じ写真を観てますから、目から入ってくる画像情報はまったく同じです。しかし、画像を読み取る時点で差が生じます。写真の「観る目」を短い言葉で表現するなら、写真を観たときに「気付く点を数多く持っている」となるでしょう。

 では、観る目のある人は、どのような点に気付くのでしょうか。写真表現で必ず出てくる背景の整理も、気付く点の一種です。実際には、背景の整理だけで数多くの気付く点があります。主役と背景の重なり具合が適切か、背景の一部が主役を邪魔していないか、背景を入れる範囲が適切かなどなど。さらに細分化していくと、もっともっと多くのことを挙げられます。こうした点を、表現意図に照らし合わせながら観ているわけです。

 写真を観る際に、判断の基準となるのは表現意図(狙い)です。そのため、作品の狙いが何であるかを最初に求めます。というわけで、観る目のある人は、次の2段階で写真を観ます。

・第1段階:全体の狙い:全体で何を表したいのか
・第2段階:個々の効果:狙いを的確に表しているか

 数多くの作品を実際に観てみると、第1段階で止まってしまう写真が多いです。作品の狙いがまったく見えてこない作品だからです。そうなると、第2段階へは進めません。逆に、狙いがある程度でも分かる作品なら、第2段階に進めます。狙いを上手に伝えるような撮り方をしているかどうか、自分が気付く点と照らし合わせながら、作品を細かく観ていきます。

上達するにつれて、気付く点が増えていく

 当然のことですが、写真を始めた当初は、気付く点がほとんどありません。カメラ自体の知識や機材の使い方などではなく、写真表現を勉強し続けることで、気付く点が少しずつ増えていくのです。これが、写真を観る目の上達です。

 気付く点の具体的な内容は様々です。大まかにですが、特定の分野に特化した内容と、分野に関係なく共通の内容に分けられます。前述の背景の整理は、後者の共通の内容に属します。前者の例としては、ポートレートやヌードで、観る人との関係を考慮した目線の決め方、モデルさんの体を細く見せるポーズ(より正確には主に胴体の撮影方向)などがあります(具体的な気付く点は、当サイト内の作品の表現解説で数多く書いてますから、参考にしてください)。

 気付く点は数多くあり、簡単には見付からないため、すべてを身に付けるのは不可能でしょう。共通の内容を早目に身に付けつつ、よく撮影する分野の内容を優先しながら身に付けるしかありません。

 当然ながら、教科書に相当するものが存在しないので、誰もが同じ内容を身に付けられるわけではないのです。結果として、仮に同じようなレベルであっても、気付く点に個人差が出てしまいます。また、かなり上達した人であっても、まだ知らない点があったりします。永遠に勉強し続け、気付く点を少しずつ増やすしかないでしょう。

 観る目の上達に気付くのは、初心者の頃に良いと思っていた写真を後から観たときです。初心者のときには気付かなかった欠点が、何個も見えてしまう経験をするのです。「こんな欠点の多い写真を良いと思っていたなんて、未熟だったんだな」と感じます。また同時に「気付く点が、こんなに増えたんだ」と喜ぶ瞬間でもあります。このように、観る目の上達によって、良いと思う写真が変化していきます。上達するにつれて、欠点の少ない写真を良いと思うわけです。

気付く点が多い人ほど、作品の欠点が多く見えてしまう

 では、多くの点に気付く人が誰かの作品を観たとき、どのように感じるのでしょうか。気付く点が多いわけですから、作品の欠点に次々と気付いてしまいます。ここも直せる、あそこも直せると。そのため、本当に良いと感じる作品が、非常に少なくなってしまいます。

 ありがちなのは、次のような状況でしょう。写真が趣味の人であっても、多くの人は写真表現をあまり勉強しませんから、気付く点が少ないままです。こうした人は、パッと見の印象で「きれいですね」とか「迫力ありますね」などと感想を言います。ところが、気付く点が多い人は、何個もの欠点に気付いてしまいます。ただし、そのまま正直に伝えてしまうと嫌われるのを知ってて、他の人の発言に合わせて似たようなことを言うことが多いです。「きれいですね」などと。

 そんな同調は、自分の気持ちに嘘を付くことになり、苦痛を伴います。大好きな写真に関する嘘なので、その苦痛はかなりのものです。写真表現に対して真剣に向き合っている人ほど、苦痛は大きくなります。結果として、他人の作品を批評しなくなります。たとえ本当の指摘だったとしても、悪く言われて気を悪くする人はとても多いですから。

 以上のことが理解できると、1つの大事なことが分かってきます。「写真の腕を本当に上げたいのなら、上手じゃない多くの人の誉め言葉に惑わされないことが大事」だと。上手な人は非常に少ないですから、ほとんどの人の感想は気にしない方がよいことになります。

気付く点が多いほど、撮影時の考慮点も増える

 ここまで、2つの内容を解説しました。写真の腕と、写真を観たときに気付く点の2つです。では、この2つはどのように関係しているのでしょうか。

 言われてみれば当たり前なのですが、「写真を観たとき気付かない点は、撮影するときに考慮できない」ということです。考慮できないで撮影するわけですから、その欠点を持った写真に仕上がります。つまり、気付く点の多さは、撮影時に考慮できる点の多さと同じなのです。というわけで、「写真が上手な人ほど、写真を観る際に気付く点が多い」法則が成り立ちます、

 実際には、観るときと撮るときで少し差があります。写真を観るときに気付く点でも、撮影時には気付かないことがあるからです。撮影時には様々なことを考えなければならないためか、思考に余裕がなくなりがちです。結果として、観るときには気付けるのに、撮影時に気付けない点が出てしまう状況が生じます。撮影時に気付くのを忘れてしまうような感じでしょうか。

 そして、帰宅した後で写真を鑑賞するとき、忘れていた欠点に気付いてしまうわけです。こうした経験を繰り返すことで、撮影時に思い出せる点が増えていきます。写真撮影の不思議なところですね。

上手な人による添削が、上達に一番役立つ

 ここまでの話で、写真の腕を上げるには、写真を観るときに気付く点を増やすことが大事だと、分かったでしょう。では、気付く点を増やすには、どうしたらよいのでしょうか。

 自分で気付ければ苦労しないのですが、そう甘くはありません。誰かに教えてもらわないと、なかなか分からないのです。本や雑誌を参考にしたくても、機材の使い方を中心に書いてあるため、情報は非常に少ないのが実情です。というわけで、この手の情報は入手が難しくなってます。

 では、既存の上手な人は、どうやって増やしたのでしょうか。それは、上手な人による作品添削です。どんな点が悪くて、どのように直したら良くなるのか、率直に指摘してもらいます。指摘する内容に、気付く点が含まれているというわけです。写真クラブなどでは、今でも普通に行なわれている行為です。

 真剣に上達したいなら、本当に上手な人に、自分の作品を観てもらうのが一番です。見付かった欠点をすべて率直に伝えてもらう方法に、かなう方法はありません。この方法で大事なのは、観てもらう人の能力です。気付く点を数多く持っている人ほど、適した相手となります。

 なお、最初のうちは狙いすら伝えられない写真が多いはずですから、狙いを口頭で伝える必要性が生じます。実際には、狙いが不明確のまま撮影していることがほとんどなので、狙いを説明できないでしょう。その経験が頭に残り、撮影時に狙いを考える癖へとつながります。とても大事なことですね。狙いの定め方が分からない場合は、添削してくれる人に尋ねて教えてもらうしかないでしょう。

 もう1つ、忘れてはならない点があります。当サイトの他のページで解説したように、写真とは妥協点を探す表現です。どんなに上手でも、被写体による限界が存在します。そのため、欠点だと分かっていても一部を解消できない写真が生まれてしまいますし、それが普通ですから、一部に欠点が残ったまま公開することも多いです。添削する人は、この点を理解している必要があります。まあ実際には、下手な人の写真は余計なものが写りすぎていたり、狙いが不明だったりと、それ以前の点で欠点が目立つことの方が圧倒的に多いのですが。

 小さな余談:私の場合は少し変わっています。何事でも分析するのが好きなうえに、システム分析の仕事を長くやっているため、それを写真表現に適用してみました。すると、いくつもの気付く点を自分で見付けることができました。また、気付く点が少し増えてくると、その他の点も見付けやすくなって、今までにかなり増えています。その際には、有名写真家の作品の分析が役立ちました。とくに、奈良原一高氏の有名な写真集(たとえば「消滅した時間」)は、極めて参考になりました。皆さんも素晴らしい写真集を見付けて、なぜ感動を与えるのか、たっぷりと時間をかけながら深く考えてみてください。

美しい写真は、写真の腕の基礎を多く含む

 写真の腕の上達に関しても、大事な点に少し触れておきましょう。ごく一部の作品を除き、写真の魅力は、フレーミング(切り取り方)の良し悪しでほぼ決まります。露出やピントなどは大きく影響しません。フレーミングこそが、凄く大きな影響を与えます。その意味で、フレーミングの上達こそが極めて大事であり、写真表現の上達とほぼ等しいでしょう。

 フレーミングを上達するには、美しい写真を撮れるように練習することこそ一番適です。なぜなら、美しい写真の撮影には、写真表現の基礎がほとんど含まれているからです。美しく仕上げるためには、主役の強調、脇役の上手な利用、背景の整理、写る被写体の全体的なバランスなど、まさに写真表現の基礎が多く必要です。ですから、美しい写真を安定して撮れるようになった状態は、写真表現の基礎を身に付けた状態とも言えるのです。

 美しい写真には、もう1つ特徴があります。成功したかどうかの結果が、素人目でも分かりやすい点です。どんなものを美しいと感じるかに個人差はありますが、それほど大きな差はないようです。ですので、自分が美しいと感じる結果となるようにフレーミングを変えて撮影しましょう。

 以上のような理由があるので、最初のうちは、美しい写真がいつでも撮れるように練習すると良いでしょう。練習に使う被写体は、もともとが美しいもので構いません。最初のうちは、美しいものを写しても美しく撮れないので、初期段階の被写体としては適しています。花でも人物でも建物で、美しい被写体を選んで撮影してください。

特徴のない街でのスナップが、上達の練習に最適

 美しい写真が少し撮れるようになったら、もっと本格的な練習を取り入れます。美しくない被写体でも、少しは美しく撮る練習です。その際、被写体としてもっとも適しているのは、これといった特徴のない街です。名所や有名物などが何もない、いたって普通の街を選びます。そんな場所で、スナップを撮ってみてください。

 こうした街の中から、何とか美しい仕上げられる被写体を探します。それを無理矢理にでも切り取って、美しい写真に仕上げようと努力しましょう。美しいが中心となりますが、何か魅力がある作品になるなら、美しさ以外でも大丈夫です。迫力があるとか、力強いとか、狙いの幅を広げます。

 ただし、人間や動物のように姿や表情を持つ被写体は厳禁です。被写体の魅力によって、写真に魅力が出てしまうからです。とくに人間や動物の表情は、それだけで魅力的になってしまいますから、腕に関係なく撮れます。つまり、今回のような練習には適しません。

 レンズは、35mm版換算で80-200mmあたりのズームが良いでしょう。目的はフレーミングだけの練習ですから、足を止めたズーミングだけによる切り取りでも、まったく構いません。とにかく、狙いに最適な範囲や方向で被写体を切り取ってください。狙いが美しさなら、もっとも美しく感じる範囲や方向で。

 こうした練習の期間ですが、撮影頻度が毎週1回として、3ヶ月ほど続けます。ある程度以上の期間を集中してやらないと、なかなか身に付かないからです。逆に、一旦身に付いてしまったら、なかなか消えないものです。3ヶ月は大まかな目安であって、個人差もありますから、自分が納得するまで続けます。

 この練習でも、上手な人による添削が一番効果的です。どんな風に切り取ったらよいのか、具体的に指摘してもらわないと、なかなか分からない人も多いでしょう。添削してもらうことで、一人の場合よりも短期間で上達することができます。

以上の内容は、なかなか理解してもらえないかも

 ここまで説明した内容は、言葉で書いて伝わるかどうか、かなり悩みました。でも、極めて大切なことなので、頭の中を整理しながら頑張って書いてみました。まだ書き足りない部分もありますが、もっと書くと大変なので、今回の内容で公開することにしました。

 言いたいことがよく分からないとか、納得できないとか、否定的な感想を持った人もいるでしょう。そのような人には、自分で経験していく中で(当然、写真表現を上手になろうと努力する経験の中で)、分かってもらうしかないと思います。

 私自身の経験ですが、気付く点が増えたことで一番驚いたのは、昔の自分の観る目のなさです。昔は何も見えてなかったんだと痛感しました。でも、それは成長の証ですから、今は前向きに捉えています。そして、もっともっと観る目を増やしたいと思っています。

余談:写真以外の分野でも似ている

 ここでは写真表現に関して、気付く点が増えることを解説しました。でも、何かを作る限り、違う分野でも似たようなことが多くあるようです。実際、写真以外の芸術なら、やはり気付く点が多くあるでしょう。主役の目立たせかたとか、色遣いとか、構図とか。

 芸術とは異なる、システム設計の分野でも同様で、設計で考慮する点が数多くあります。それを数多く知っている設計者ほど、いろいろな面を考慮したシステムが設計できるのです。知らない点は考慮できないので、設計したシステムに欠点を埋め込んでしまう可能性があるわけです。おそらく、システム以外の設計分野でも同様ではないでしょうか。かなり似ていて、面白いですね。

(作成:2007年1月23日)
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