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写真表現が上手とは?

写真表現が上手とは何なのか?

 本サイトでは、写真器材や画像編集技術ではなく、写真表現に重点を置いています。自分も含めた、写真表現が上手になりたい人のために。

 では、写真表現が上手とは、何なのでしょうか。たとえば、ある人が凄く美しい写真を撮りました。でも、同じ場所にいたら自分でも撮れそうな気がします。これって、写真表現が上手な作品なのでしょうか。逆に、在り来たりの風景なのに、まあまあ魅力的に撮影した作品もあります。こっちの方が、写真表現が上手な気もします。

 いったい、どのように考えたらよいのでしょうか。実は、真面目に考え出すと、結構難しいテーマなのです。ここでは、写真表現が上手とは何なのか、少し掘り下げて考えてみましょう。私なりの考え方で。

良い被写体で上手に撮れるのは当たり前

 写真の出来を判断するとき、被写体の撮りやすさを意識することは少ないでしょう。実際には、非常に撮りやすい被写体から、極めて撮りにくい被写体まであるのです。

 次のような例を思い浮かべてください。高原の朝で、湖の畔に立っています。湖の水面には美しい霧が立ちこめ、背景には枯れた木が何本か見えます。こんな状況なら、写真を少しかじっただけの人でも、非常に美しい写真が撮れるでしょう。

 そんな写真を、同じ被写体を上手な人が撮ったものと比べてみれば、面白いことが分かります。上手な人なら、フレーミングを完璧なまでに設定して撮影するでしょう。だとしても、明らかに違うといったレベルの、大きな差は生じにくいのです。

 逆に、難しい被写体の場合はどうなるでしょうか。どう切り取っても魅力ある写真になりそうもない被写体(たとえば、何の特徴もない被写体)を、予想もしない切り口で撮影し、写真を面白く仕上げたら、本当に凄い腕です。それが繰り返しできる人を、私なら「写真表現の魔術師」と呼ぶでしょう。

 でも実際には、難しい被写体だと、そう簡単には料理できません。ほぼ全員が手も足も出ず、魅力のない写真ばかりになってしまいます。簡単な被写体の例とは逆に、難しすぎることで、表現能力の差が出にくい状況です。

表現能力の差が出やすいのは、ありふれた被写体

 表現能力の差が出やすいのは、簡単と難しいの中間です。あえて言葉で表現するなら、ありふれた被写体でしょうか。自宅や会社などの身の回り、いつも通る町の中、ちょっと出かけた無名の場所など、いつも見かける風景です。

 こうした中で自由に写真を撮らせると、表現能力の差が大きく出てきます。上手な人だと、様々な視点から被写体を見付けてきて、面白い写真を何枚も撮ります。逆に、下手な人だと、なぜ写したのか分からない写真ばかり撮ります。驚くぐらいハッキリした違いが生じます。

 もちろん、上手な人の写した写真が、全部良いのではありません。良い写真よりも、失敗の写真の方が多くなります。全体としてみたとき、良い写真が結構あるという状態です。下手な人の場合は、良い写真が全くないか、ほんの少ししかない状態となります。両者を比べると、差がハッキリと出てしまいます。

 同じ場所で撮影しても、人によって撮影枚数が異なります。上手か下手かを比べる際には、良い写真の枚数ではなく、撮影枚数と良い写真の比率を用います。また、良い度合いも重要です。大まかな傾向として、写真表現が上手な人ほど、良い写真の比率が高いし、写真の良さ(魅力)が強く出ます。

写真の良さはいろいろあると理解すべき

 では、良い写真というのは、どのような写真を指すのでしょうか。これは、人によって意見が異なるため、簡単には結論が出せません。私は、次のように考えています。写真に限らず、芸術に属する分野の作品は、基本的に好き嫌いで判断するしかないと。他人のために撮影するのであれば、良いと思う人が多いほど良い写真です。自分のために撮影するのであれば、自分が良いと思う写真が良い写真になります。

 実際に、個々の写真の好き嫌いを尋ねると、細かな違いはあるものの、大きな傾向は合っています。誰かが良い写真だと思う写真は、別な人も良い写真だと思う可能性が高いからです。

 ただし、良いという表現には、注意が必要でしょう。写真の場合、良し悪しを判断する基準が、狭い範囲に偏りがちです。一般的な傾向として、美しいとか、迫力あるとか、幻想的だとか、良い印象の方向だけを考える人が多くいます。もう少し広げたら、楽しさや面白さも含まれるでしょう。どれも、広い意味でプラスのイメージです。

 しかし、写真には、もっと違った表現も可能です。不気味さ、恐ろしさ、悲しさ、寂しさ、あきらめ、脱力感、拒絶感など、マイナスのイメージに属する内容も表せます。これらを狙って撮れるようになれば、表現能力が高いといえるでしょう。

 写真表現の良し悪しを判断する際には、以上の点を忘れてはなりません。写真が伝えるイメージの良し悪しではなく、“狙った表現意図が成功しているか”が重要なのです。それを無視して、写真表現の良し悪しは語れません。

写真表現の腕前には2つの要素がある

 今度は、写真表現の腕前(良い写真を撮るための能力)を、もう少し掘り下げてみましょう。ありふれた被写体の撮影を考えながら。

 写真を撮る際には、被写体を誰かに選んでもらうわけではありません。どの被写体を撮るかや、被写体のどの部分に注目するかは、撮影者の判断です。写真表現が上手な人は、良い被写体を鋭く見付ける能力があります。そして、その被写体を上手に料理します。つまり、写真表現の腕前には、次の2つが必要です。

・面白い被写体を発見する能力
・その被写体を、表現意図に合わせて写す能力

 面白い被写体を発見する能力には、雑多な景色の中から面白い被写体を見付けるだけでなく、被写体の中の面白い部分を見付ける能力も含みます。また、広い意味では、何が面白いのか明らかにする能力も含みます。それを明確にできないと、表現意図が決まらないからです。こうした能力まで含んでいるため、表現能力と同じぐらいに重要といえます。

 表現意図に合わせて写す能力は、表現意図を伝えるために、どのような条件で撮影するのか決める能力です。レンズの画角、ピント位置、露出(絞りとシャッター速度)、フレーミング(主役の切り取り方、脇役、背景、構図、撮影アングルなど)を総合的に考えて、表現意図に最適な条件を選びます。美しいとか迫力あるといったプラスのイメージだけでなく、不気味だとか寂しいといったマイナスのイメージまで、幅広い表現意図に対応できることが理想です。

 写真表現の腕前を磨くには、この2つの要素を、どちらも向上させなければなりません。両方合わせた総合力が、出来上った写真に現れるからです。

ありふれた被写体で、写真表現の腕前を磨く

 よほどの変人ではない限り、自分の写真表現の腕前を磨きたいでしょう。そのために、ここまでの話が役立ちます。

 写真表現を練習するのには、ありふれた被写体が一番です。自分の部屋の中、近所のいろいろな場所、よく行く商店街などを選びます。すぐに行けるので、空いた時間で撮影できるし、何度でも行けます。一度失敗した被写体に、再び挑戦するのも容易でしょう。

 ありふれた被写体を撮り続けても、必ず上達するとは限りません。大事なのは、表現を強く意識しながら撮影することです。具体的には、被写体ごとの表現意図を明確にして、それに合った写真が撮れるように、フレーミングや露出を考えます。これを繰り返すと、考えられる範囲が広がり、表現も少しずつ上達します。

 表現意図の幅を広げるためには、不気味さや寂しさといった、マイナスのイメージを持つ意図も積極的に試しましょう。より多くの意図を練習するほど、実際に伝えられる意図が増えます。マイナスイメージに含まれる意図の表現も、やってみると楽しいものです。

 1人での撮影も練習になりますが、私がもっともお勧めするのは、仲間と一緒の撮影会です。全員が同じ場所で撮影し、その日のうちに作品の品評会を開きます。デジカメでないと無理な方法ですが、腕前を磨く効果は抜群です。撮影場所としては、当然ながら、ありふれた被写体が多いところがベストです。しかし、それだけだと飽きるので、少し面白い場所もときどき利用します。

 大事なのは、品評会の方法です。自分が撮影した全ショットを、1枚ずつ説明しながら見せます。何を狙って撮影し、結果はどうだったのか、手短に語ります。この方法を繰り返すと、全員が表現意図を意識するように変わります。

 品評会では、他人の説明を聞くことも重要です。同じ被写体を、自分とは異なる表現意図や切り取り方で写したものが見れます。また、自分が気付かなかった被写体を、誰かが発見したことに驚いたりします。これらを説明付きで知れるため、自分の写真表現に役立てられるのです。自分が持っていない意図や切り取り方を知る機会となり、写真表現の腕前が効率的に磨けます。ぜひ、お試しください。

(作成:2003年6月6日)
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