水無瀬恋十五首歌合 ―冬の恋―


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〔冬恋〕冬という季節における恋。先例としては、『金葉集』に藤原成通作、『夫木和歌抄』に能因法師作、『散木奇歌集』(源俊頼)に一首見える。また『平忠盛集』には崇徳院の歌会において「初冬恋」の題で詠まれた歌が見える。雪や霜にはかなく消える想いを託し、草枯れに「離(か)れ」を掛けて恋人の無情を嘆き、あるいは寒夜に独り寝のつらさを訴えるなど、凄涼とした恋の有様が描かれる。
最後の番で俊成卿女と定家が秀歌を競い、四季の恋に有終の美を飾る。


十六番 冬恋
   左            左大臣
芦鴨のはらふ翅に置く霜のきえかへりてもいくよへぬらん
   右           雅経
霜ははや布留の中道中々にかれなで人を何したふらん

左歌、心ことばよろしく、とがなく侍りけるを、右、「ふるの中道中々に」などいひ、「かれなで人を」といへる、すがたをかしくやとて、勝にまかりなりにしを、けさしづかにみ給へ侍れば、冬草ともあさぢともなくて、只「中道かれなで」といへる、いかがと申すべくやと見え侍れども、勝に定まり侍りにけり。

●左(良経)
芦鴨のはらふ翅(つばさ)に置く霜のきえかへりてもいくよへぬらん


【通釈】葦辺の鴨が、身をふるわせて、翼についた霜を払う――その霜が消え果ててしまうように、私も消え入りそうな思いで、幾晩過ごしたことだろう。

【語釈】◇芦鴨―葦辺にいる鴨。◇霜の―この格助詞「の」は「…のように」の意。ここまでが「きえかへり」を導く序と言える。◇きえかへり―消えてなくなり。「かへり」は「もとの状態に戻る」意。また「繰り返す」意にもなり、幾晩も繰り返し消え入るような思いをしたことをも言う。◇いくよ―底本は「いく世」。親長本に従い、平仮名に改めた。「いく世」なら「何年も」の意になるが、大げさすぎよう。

【本歌】紀友則「古今集」
わがやどの菊のかきねにおく霜のきえかへりてぞ恋しかりける
【参考歌】志貴皇子「万葉集」
葦辺ゆく鴨の羽交ひに霜降りて寒き夕は大和し思ほゆ

【補記】上句はいわゆる有心(うしん)の序。寒そうに独り浮き寝している鴨のありさまに、憂き寝する己の姿と心情を重ねている。古調の歌で、良経の万葉好みをよく窺わせる。

【他出】「秋篠月清集」1439。

右(雅経)
霜ははや布留(ふる)の中道中々にかれなで人を何したふらん


【通釈】すでに霜の降りた、布留の荒れた古道――道の中ほどにまで繁っている草は、まだ枯れきってはいない。それにつけても、いっそ離(か)れてしまえばよいものを、未練たらしく離れきれずに、私はあの人をなんでこうも慕い続けるのだろう。

【語釈】◇布留―今の奈良県天理市布留町あたり。石上神宮がある。「(霜が)降る」、「古い(道)」の意を掛ける。◇中道―道の中ほど。古今集の本歌(下記参照)では、京から布留までの行程の半ば、ということだが、ここでは荒れた古道の真ん中にまで草が繁っている、というイメージを喚起する。なお、ここまでが「中々に」を導く序。◇中々に―中途半端に。「いっそ初めから無ければよいのに」といった不満・後悔の気持を含む。◇かれなで―離れずに。「かれ」は「霜」の縁語になる。

【本歌】紀貫之「古今集」
いそのかみふるのなか道なかなかに見ずはこひしと思はましやは
【参考歌】小野小町「古今集」
見るめなきわが身をうらとしらねばやかれなであまのあしたゆくくる

【補記】これも初二句が有心の序。何年も続いた恋人との仲は、すでに布留の古道のように荒れ果て、霜が降りたように寒々とした状態となっている。それでも私はあの人を慕う気持を押し止めることができない。いっそ思い切ってしまえばよいのに…といった心。

【他出】「明日香井和歌集」1100。

■判詞
左歌、心ことばよろしく、とがなく侍りけるを、右、「ふるの中道中々に」などいひ、「かれなで人を」といへる、すがたをかしくやとて、勝にまかりなりにしを、けさしづかにみ給へ侍れば、冬草ともあさぢともなくて、只「中道かれなで」といへる、いかがと申すべくやと見え侍れども、勝に定まり侍りにけり。


【通釈】左の歌は、情趣も詞遣いも結構で、非難はありませんでしたが、右の「ふるの中道中々に」と言い、「かれなで人を」と言ったのは、姿に趣があるのでは、ということで、勝になったのございます。しかし、今朝、落ち着いて読み直しますと、「冬草」とも「浅茅」ともなくて、ただ「中道かれなで」と詠んだのは、どうでしょうかと申し上げるべきかと思われましたけれども、すでにこちらが勝に決定してしまったのです。

【語釈】◇けさしづかにみ給へ侍れば―「けさ」は、歌合が終わったのち、判詞を書いている当日の朝、ということ。「給へ」は謙譲。◇冬草ともあさぢともなくて―何が枯れているのか、具体的に詠まれていないことを指摘している。「道が枯れ」と言っただけでは言葉が足りず、不自然ではないか、というのである。

▼感想
共に序詞を用い、古風な表現の歌で、よく似ている。まさに好一番だが、声調の良さで右がわずかに優ったか。



十七番
   左           宮内卿
落ちつもる涙の露はさよ衣さえても袖にみえけるものを
   右            有家朝臣
しばしこそよそにみぎはの薄氷とけではやまじ結ぼるるとも

左、「さえても袖に」などいへる、すがたふるまひ、まことに勝に侍りけり。

左(宮内卿)
落ちつもる涙の露はさよ衣さえても袖にみえけるものを


【通釈】落ちて溜まる涙の露は、(冬の月を映し、)私の夜着の袖に、冴え冴えと光って見えていたわねえ。

【語釈】◇さよ衣―夜着。◇さえても袖に―底本、「さらても袖に」とあるが、親長本も若宮撰歌合(有吉保氏蔵桃山期写本)も「さえても袖に」とあり、誤写とみて改変した。「さらても(さらでも)」では題「冬恋」に適わない。◇みえけるものを―「ものを」は接続助詞として逆接または順接の条件句をつくるが、この歌では詠嘆の終助詞として用いられたものと見た。

【補記】冬の月を詠まなかったことが、かえって余情を釀し出し、夜床の寒涼とした雰囲気を優美に演出している。サ行音を重ね、吐息と共にさらりと詠み流したような調べも好い。

【他出】「若宮撰歌合」五番左持、「水無瀬桜宮十五首歌合」五番左持。但しいずれも第二句は「涙のかずは」。

●右(有家)
しばしこそよそにみぎはの薄氷とけではやまじ結ぼるるとも


【通釈】ほんのしばらく、遠くから見た、汀(みぎわ)の薄氷――いくら固く氷結していようとも、いずれ解けずにはいないのだ。そのように、今は疎遠なあの人との仲も、うちとけずには終わらせまい。

【語釈】◇よそにみぎはの―「よそに見」を掛ける。「よそ」は、かけ離れたところ。また、人との仲が疎遠であること。「みぎは」は水際。◇薄氷―恋人との縁が薄いことや、相手の心が薄情であることなどを暗示する。◇とけでは―とけずには。「とけ」は「氷が解ける・人と打ち解ける」の両意。◇結ぼるる―「結ぼる」は、「凝り固まって解けにくい状態になる」が原義。水が氷る、心が鬱屈する、などの意味になる。

■判詞
左、「さえても袖に」などいへる、すがたふるまひ、まことに勝に侍りけり。


【通釈】左は「さえても袖に」などといった句の、姿と技巧が、全く勝に値するものです。

【語釈】◇ふるまひ―歌合の判詞でたびたび使われる語で、「人目をひく技巧」といった良い意味でも「気取った態度」といった悪い意味でも用いられる。ここは前者。

▼補説
親長本は右を勝とし、群書類従本とは反対の結果となっている。親長本の判詞は「右、とけでもやまじなどいへる、すがたふるまひ、ことにかつと侍けり」。当日の衆議判では有家の勝となったが、後日、判が改められ、判詞も書き直されたものと思われる。宮内卿はここで負けたら四連敗となるので、主催者の後鳥羽院から改判の指示があったのであろうか。あるいは、俊成が自身の判断で改判したか。いずれにせよ、宮内卿が勝って然るべき番である。



十八番
   左           親定
うつり行くまがきの菊も折々はなれこしころの秋をこふらし
   右            権中納言
冬の夜は幾度ばかり寝覚すといふもまどろむひまやなからん

左歌、「まがきの菊も折々は」など、よせおほく侍り、すがたまことに有りがたくのみ覚え侍るを、右歌、増基法師が歌の心もをかしく侍るを、上の句残りなくなりて見え侍る上に、恋の心もすくなくや侍らんとて、右の負になり侍りにし。

左(後鳥羽院)
うつり行くまがきの菊も折々はなれこしころの秋をこふらし


【通釈】色褪せてゆく庭の垣根の菊の花も、折にふれ、馴れ親しんだ秋を懐かしむようだ。あの人が(この垣根を越えて)まめに通って来てくれた頃の、秋の日々を。

【語釈】◇まがき―柴や竹を粗く組み、間をあけて作った垣。庭の植込みの周囲などに設けた。◇折々は―「折り」は「菊」の縁語。◇なれこし―馴れ親しんで来た。菊が秋という季節に馴れ親しんだ意に、恋人が親密に通って来た意を掛ける。

【本歌】源氏物語「藤裏葉」
色まさる籬の菊も折々に袖うちかけし秋を恋ふらし

【校訂】底本は第二句を「まがきの菊と」とするが、親長本や後鳥羽院御集により改めた。

【補記】本歌の源氏物語の歌は、紅葉の盛り、天皇・上皇が六条院に幸された折、光源氏が青海波を舞った昔を懐かしみ、菊の花を折って太政大臣に詠みかけたもの。後鳥羽院の作は、栄華を凋落に、満ち足りた懐旧を失恋の悲哀に置き換えて、女が独り暮らし侘びている初冬の庭を、六条院での花やかな紅葉御覧との際だった対照のもとに描き出している。

【他出】「後鳥羽院御集」1598。

●右(公継)
冬の夜は幾度ばかり寝覚すといふもまどろむひまやなからん


【通釈】冬の夜は何度も目が覚めてしまうというが、私はあの人のことを思ってばかりで、まどろむ暇さえないではないか。

【本歌】増基法師「後拾遺集」
冬の夜にいくたびばかり寝覚して物思ふやどのひましらむらん

【補記】上記本歌の「ひま」(隙間)を、まどろむ僅かな時間の意に置き換え、独り寝の床でまんじりともせず、冬の夜を明かす侘しい恋心を詠んだ。

■判詞
左歌、「まがきの菊も折々は」など、よせおほく侍り、すがたまことに有りがたくのみ覚え侍るを、右歌、増基法師が歌の心もをかしく侍るを、上の句残りなくなりて見え侍る上に、恋の心もすくなくや侍らんとて、右の負になり侍りにし。


【通釈】左の歌は「まがきの菊も折々は」ほか、言葉の関連付けが多くありまして、歌の姿はまことに珍しいほど立派に感じられます。いっぽう右の歌は、増基法師の歌の心を取って、興趣がありますけれども、上の句は本歌を取って新しい心をこめる余地がないように見えます上に、恋の情趣も少ないのではないかということで、右の負になってしまいました。

【語釈】◇よせ―言葉を関連付けること。縁語化すること。◇残りなくなりて―本歌に心を付け加える余地がなくなって。本歌の上句がそのまま取り込まれてしまっていて、創意の余地がない、ということ。後鳥羽院の本歌取りの方法と対照的である。

▼感想
俊成の判詞が簡要に言い尽くしていて、付け加える余地がない。



十九番
   左           大僧正
いたづらに千鳥鳴くなる河風におもひかねても行くかたぞなき
   右            家隆朝臣
恋をのみ菅のねしのぎふる雪の消えだにやらず山もしののに

左、「おもひかねてもゆくかたぞなき」、いみじくをかしくみえ侍るを、右、「すがのねしのぎ降る雪の」といへるは、よろしく侍るを、末の句「山もしののに」や、ふるき詞に侍れど、しひて庶幾すべからずや侍らんとて、左かち侍りしなり。

左(慈円)
いたづらに千鳥鳴くなる河風におもひかねても行くかたぞなき


【通釈】むなしく千鳥の鳴く声が聞えてくる、川風――その響きに、恋しい気持がおさえきれないが、私には指して行く場所もないし、この思いを晴らす手立てもない。

【語釈】◇いたづらに―成果もなく。無駄に。千鳥はつがいの相手を恋うて鳴くものとされた。◇おもひかね―この「かね」は、動詞の連用形について「…していることに耐えられない」意をあらわす。◇行くかたぞなき―「行く」は「(恋人のもとへ)行く」、「(思いが)行く」の両意。

【本歌】紀貫之「拾遺集」
思ひかねいもがりゆけば冬の夜の河風さむみちどりなくなり

【補記】寒涼とした冬の景を叙しながら、貫之の本歌は「いもがり」(恋人のもと)へ行くと詠んでいるのに対し、己は行くべき恋人の家もない、と歎く。それゆえ判詞で下句を「いみじくをかし」と讃めているのである。

【他出】「拾玉集」4949。

●右(家隆)
恋をのみ菅のねしのぎふる雪の消えだにやらず山もしののに


【通釈】恋しい思いばかりして――まるで、菅の根もとをしなわせて積もっている雪が、いつまでも消えずに山をしっぽりと覆っているように、一向に消えない恋心に私は屈服させられている。

【語釈】◇菅(すが)のね―(すげ)の根。密生する。スの音に「(恋をのみ)す」を掛け、またネには音(ね)すなわち泣き声を暗示している。◇しのぎ―しなわせる。「しのぐ」は「『しなふ』の他動詞的な語とみてよい」(『字訓』)。◇ふる雪の―降る雪のように。「ふる」は積もった状態を言う。ここまでが「消えだにやらず」の序。◇消えだにやらず―一向に消えるようすもなく。「消え」は雪と恋心と両方に掛けて言う。また恋(こひ)のヒ即ち火の縁語。◇山もしののに―底本、「のゝ」の傍に異本参照「みゝ」とある。親長本も「しみみに」。「しののに」は濡れて重くなった状態、「しみみに」はぎっしりと詰まっている状態を言う語。ともに万葉集から見える語。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
奥山の菅のねしのぎふる雪のけぬとかいはむこひのしげきに

【補記】古調を狙った歌。家隆は技巧に走れば、じゅうぶん冴えた腕を見せるのだが、時々熟さない詞遣いをする大様さを見せてしまう。

【他出】「壬二集」2800。

■判詞
左、「おもひかねてもゆくかたぞなき」、いみじくをかしくみえ侍るを、右、「すがのねしのぎ降る雪の」といへるは、よろしく侍るを、末の句「山もしののに」や、ふるき詞に侍れど、しひて庶幾(そき)すべからずや侍らんとて、左かち侍りしなり。


【通釈】左の「おもひかねてもゆくかたぞなき」、非常に興趣深く見えますのに対し、右の「すがのねしのぎ降る雪の」と言ったのは、結構ですけれども、末句「山もしののに」が、古い詞ではありますが、あまり真似すべきではないだろうということで、左が勝ったのです。

【語釈】◇庶幾(そき)すべからず―手本とすべきでない。望ましいものとすべきでない。

▼感想
「しののに」は「しののに濡れて」などと和歌に用いられた語だが、「山もしののに」は耳慣れない用法である。万葉集の「都しみみに 里家は さはにあれども」(坂上郎女)などから誤って用いたのではないか。万葉の古語を採用することには慎重だった俊成が「庶幾すべからず」と難じるのは当然であった。



二十番
   左           俊成卿女
かよひこし宿の道柴かれがれに跡なき霜のむすぼほれつつ
   右            定家朝臣
床の霜枕の氷消え侘びぬむすびもおかぬ人のちぎりに

左歌、心すがた、よろしく侍るべし。右歌も「床の霜枕の氷」などいひて、「むすびもおかぬ」といへるも、いうには侍れど、左猶よろしく侍れば、勝になりき。

左(俊成卿女)
かよひこし宿の道柴かれがれに跡なき霜のむすぼほれつつ


【通釈】あの人はよく通って来れくれた。庭の小道の雑草を踏んで…。冬になり、草が枯れてゆくとともに、あの人の訪れもだんだん離(か)れるようになって、毎晩、その道には足跡のついていない霜が結ぶ――私の床にも霜が置き、心は結ぼれてばかり。(s)

【語釈】◇道柴―道端の雑草。◇かれがれに―枯れ枯れに・離(か)れ離(が)れに。◇むすぼほれ―霜が結ぶ・心が屈託する。道だけでなく、孤閨の床に霜が置くことも暗示していよう。

【参考歌】式子内親王「新古今集」
あともなき庭のあさぢにむすぼほれ露のそこなる松虫の声

【補記】二つの掛詞により、庭の情景と作者の心情とがオーバーラップする。しかし何より秀逸なのは「跡なき霜の」の句であろう。

【他出】「若宮撰歌合」四番右負、「水無瀬桜宮撰歌合」四番右負、「新古今集」1335、「俊成卿女集」205。

●右(定家)
床の霜枕の氷消え侘びぬむすびもおかぬ人のちぎりに


【通釈】床には霜が置き、枕には氷が固く張って、消えかねている。私も、心が消えそうな思いで歎いている。固く結んでもいないあの人との約束なのに。

【語釈】◇消え侘びぬ―霜と氷が、なかなか消えずにある。「わび」は動詞の連用形について「…しかねる」の意になる。心情にも掛けて言い、「心が消えそうに侘しい思いをしている」の意にもなる。◇むすびもおかぬ―(約束を)結んでいない。「むすび」は「霜・氷」の縁語で、また「おく」は「霜」の縁語。約束は固く結んでいないのに、床や枕はしっかりと氷結している、というアイロニー(皮肉)になっている。◇ちぎり―約束。言い交わすこと。

【他出】「若宮撰歌合」五番右持、「水無瀬桜宮撰歌合」五番右持、「新古今集」1137、「拾遺愚草」2539など。

■判詞
左歌、心すがた、よろしく侍るべし。右歌も「床の霜枕の氷」などいひて、「むすびもおかぬ」といへるも、いうには侍れど、左猶よろしく侍れば、勝になりき。


【通釈】左の歌は、心・姿が結構です。右の歌も「床の霜枕の氷」などと言って、「むすびもおかぬ」と言ったのも、洗練されてはいますが、左のほうが更に結構ですので、勝になりました。

▼感想
凄寒たる恋の悲哀を描いた二首の合せ。秀歌の多い当歌合でも、稀に見る好一番である。左右ともに新古今に入集したのは、この番のみ。
定家の歌はことばの調合がさすがに美事だが、情趣の深さと一首全体の姿で、俊成卿女に一歩ひけをとった。



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最終更新日:平成13年11月24日