水無瀬恋十五首歌合 ―秋の恋―

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〔秋恋〕秋という季節における恋。先例としては、『源道済集』に一首見えるほか、建久六年(1195)秋、九条良経主催の五首歌会で定家らが同題で詠んでいる。秋風・七夕・明月・鹿・紅葉など、恋の情趣を盛り上げる道具立てには事欠かない季節である。露に涙を、秋に「飽き」を、松に「待つ」を掛けるなど、技巧に適した詞の素材も揃っている。当歌合でも多彩な技の競演が見られ、十首中三首が「新古今集」に入集することになる。


十一番 秋恋
   左             親定
よしやさは頼めぬ宿の庭に生ふるまつとなつげそ秋の夕かぜ
   右            前大僧正
野べの露は色もなくてやこぼれつる袖よりすぐる荻の上風

左歌、「よしやさは」といへるより、「待つとなつげそ秋の夕かぜ」、心詞まことにをかしくは見え侍るを、右歌又、「色もなくてや」といひ、「袖より過ぐるをぎのうはかぜ」、いみじくをかしく侍るを、猶勝負申すべきよし侍りしかば、左劣るべしとは覚え侍らずながら、右の勝つべきにや侍るらんと、めづらしからん為に、殊更に申し侍りしなり。まことにかたはらいたくこそ侍りしか。

●左(後鳥羽院)
よしやさは頼めぬ宿の庭に生ふるまつとなつげそ秋の夕かぜ


【通釈】それならもういいわ、どうせあの人が来るとはあてにできない家――その庭に生える松ではないけれど、待つとは告げないでおくれ、秋の夕風よ。

【語釈】◇よしやさは―「よしや」は「(どうなろうと)ままよ、かまいはしない」ほどの意。「さは」は「それでは」。なお、親長本は「よしさらば」とある。◇まつ―松・待つの掛詞。◇なつげそ―告げるな。「な…そ」でやわらかい禁止の意を表わす。

【参考歌】在原行平「古今集」
立ちわかれいなばの山の峰におふる松としきかば今かへりこむ

【他出】「若宮撰歌合」三番左持、「水無瀬桜宮十五首歌合」三番左持、「後鳥羽院御集」1597。

右(慈円)
野べの露は色もなくてやこぼれつる袖よりすぐる荻の上風


【通釈】野辺の草についた露は、色もなしにこぼれたのだろうか。私の袖を過ぎていった荻の上風に吹かれて…。(私の袖から落ちた露は、涙で紅く染まっていたけれど。)

【語釈】◇色もなくて―野辺の露に「色もなく」と言うことによって、袖には紅涙が露のように置いていることを言外に匂わせる。◇袖よりすぐる―「より過ぐるといへる詞にて、野べを吹き行く意聞えたり」(本居宣長『美濃の家づと』)。自分の袖を過ぎて、野辺まで吹いて行った、ということ。◇荻の上風(うはかぜ)―荻の上葉を渡る風。後撰集中務の「秋風の吹くにつけてもとはぬかな荻の葉ならば音はしてまし」などにより、恋人の男が訪れないことを暗示する。

【補記】あちらに「色もなく」と言うことによって、こちらには「色がある」ことを暗示し、「袖よりすぐる」と言うことによって、同じ「荻の上風」が野辺まで吹いていったことをほのめかす。和歌的暗号をフルに用いた、ほとんど謎かけのような歌に見える。「事をたくみてよめるのみにて、恋のあはれなる情はなきうたなり」(『美濃の家づと』)と本居宣長は批判的である。

【他出】「若宮撰歌合」九番左勝、「水無瀬桜宮十五首歌合」九番左勝、「新古今集」1338、「拾玉集」4835・4948(重出)。ほかに「自讃歌」「新三十六人撰」「定家八代抄」など。

■判詞
左歌、「よしやさは」といへるより、「待つとなつげそ秋の夕かぜ」、心詞まことにをかしくは見え侍るを、右歌又、「色もなくてや」といひ、「袖より過ぐるをぎのうはかぜ」、いみじくをかしく侍るを、猶勝負申すべきよし侍りしかば、左劣るべしとは覚え侍らずながら、右の勝つべきにや侍らんと、めづらしからん為に、殊更に申し侍りしなり。まことにかたはらいたくこそ侍りしか。


【通釈】左の歌は、初句で「よしやさは」と詠んでから「待つとなつげそ秋の夕かぜ」(と結んだ)、心・詞、まことに興趣深くは見えますが、右の歌もまた、「色もなくてや」と言い、「袖より過ぐるをぎのうはかぜ」(と結んで)、大変興趣がございます。それでもやはり勝負を決めよとのことでございましたので、左が劣るだろうとは思いませんけれども、右の歌が勝つべきではないでしょうかと、滅多にないほどの秀歌であろうと思われましたため、ことさらに申し述べたのでございます。(このような秀歌に負をつけるとは、)まことに気が引けることでございました。

▼感想
いずれも、もっぱら技巧によって余情をかもし出そうとした歌で、その意味ではハイレベルの対戦となった。当歌合で後鳥羽院に負が付いたのはこの一番のみである。


十二番
   左            権中納言
わが心いかにかすべきさらぬだに秋の思ひはかなしき物を
   右           定家朝臣
今宵しも月やはあらぬ大かたの秋はならひを人ぞつれなき

両首ともに秋のおもひに堪へざる心はおなじきを、左は、潘岳が秋興賦の心にても侍らん。「悲しきものを」といへるや、やすらかならんと聞ゆるを、右は心猶あるさまにやと聞え侍りしかば、勝になり侍りしなり。

●左(公継)
わが心いかにかすべきさらぬだに秋の思ひはかなしき物を


【通釈】この気持をどうすればいいのだろう。ただでさえ、秋の思いは悲しいものなのに。(そのうえ、人を恋しているのだ。)

【語釈】◇さらぬだに―親長本は「さなきだに」。そうでなくてさえ。ただでさえ。

【参考歌】
さらでだに露けきころをなぞもかく秋しも物を思ひそめけん(「弁乳母集」)
さらぬだに秋の寝覚はあるものをけしきことなる荻のうは風(源師頼「続詞花集」)
みるもうしいかにかすべき我が心かかる報いの罪やありける(西行「聞書集」)

【補記】「秋の思ひ」は平安末期頃から使われるようになった、比較的新しい歌語である。漢語「秋思」をそのまま和語化したもので、判詞で俊成が指摘するように、ただちに漢詩や賦によまれた人生的感慨を想起させる語だったのであろう。

右(定家)
今宵しも月やはあらぬ大かたの秋はならひを人ぞつれなき


【通釈】今夜こそは、(ともに偲ぶべき)明月が出ているではないか。おおかた、秋は悲しいのが慣わしであるのに、あの人ときたらこんな月夜にも冷淡だよ。

【語釈】◇今宵しも―「しも」は強調の助詞。毎晩逢えないのは仕方ないとしても、明月の今夜こそは…という心。◇月やはあらぬ―月はないか、あるではないか。「やは」は反語。業平の古今集歌「月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身ひとつはもとの身にして」に拠る。◇大かたの秋―おしなべての秋。一般的性質としての秋。右近の後撰集歌「おほかたの秋の空だにわびしきに物思ひそふる君にもあるかな」に拠る。◇ならひ―慣例。ならわし。「秋は一般に悲しい季節である」という常識をいう。

【補記】業平の歌を背景にしているおかげで、なんとなくムードが漂う歌になっている。

【他出】「拾遺愚草」2538。第四句は「秋はならひぞ」。

■判詞
両首ともに秋のおもひに堪へざる心はおなじきを、左は、潘岳が秋興賦の心にても侍らん。「悲しきものを」といへるや、やすらかならんと聞ゆるを、右は心猶あるさまにやと聞え侍りしかば、勝になり侍りしなり。


【通釈】両首とも、秋の憂愁の情に堪えきれない心を詠んでいる点は同じです。左の歌は、潘岳の「秋興賦」の趣でもありましょうか。「悲しきものを」と詠んだのが、穏やかであろうと申しましたけれども、右の歌は情趣が一層あるようではないかと申しましたので、勝になったのでございます。

【語釈】◇潘岳が秋興賦―西晋の詩人、潘岳(247〜300)作の賦。『文選』巻十三所収。秋にあって人生の不如意を嘆じた内容。

▼感想
二首とも「秋は悲しい季節である」という文学的通念(これは、まったく「文学的」なものである)を前提とし、そこに恋の憂いを重ねている。素直すぎた公継の歌に対し、業平と右近の歌を背景に置いている分、定家の歌の「心」がまさったと見なされた。


十三番
   左           俊成卿女
なき渡る雲ゐの雁の涙さへ露おく袖の夜半のかたしき
   右            雅経
ながめしや心づくしの秋の月露のかごとも袖ふかきころ

左、「雲ゐの雁の涙さへ」などいへる、心すがたよろしく侍るを、右又、「露のかごとも袖ふかきころ」といへる末の句など、をかしく侍れば、持とすべきにや。

△左(俊成卿女)
なき渡る雲ゐの雁の涙さへ露おく袖の夜半(よは)のかたしき


【通釈】空を鳴き渡る雁の涙さえ落ちて、露を置くのかしら――夜半、独り片袖を敷いて寝ている、私の袖に。

【語釈】◇雲ゐの雁(かり)―空をゆく雁。源氏物語の同名の登場人物を暗示する。◇涙―露を雁の涙に見立てるのは、下記本歌以来の趣向。◇さへ―独り寝している自分は涙で袖を濡らしている。その上、雁の涙さえ…という気持。◇露おく―涙が滴となって置く。本歌により推測の意を帯びるため、「露やおく」または「露やおくらむ」の気持で言っている。◇かたしき―自分の衣だけを敷いて寝ること。男女が共寝する時、二人の衣を重ねて敷くという風習があった。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
なきわたる雁の涙やおちつらむ物思ふやどの萩のうへのつゆ

【補記】野宿しているはずもない主人公の袖に、空行く雁の涙が落ちるという不合理な幻想は、源氏物語を背景に考えないと腑に落ちない。落葉宮に心を移した夫夕霧の態度に悲嘆する雲居雁の挿話(「夕霧」)あたりを暗示しているのであろう。独り寝の歎きは、雲居雁の歎きと共鳴し、いっそう袖に涙を添えるのである。

△右(雅経)
ながめしや心づくしの秋の月露のかごとも袖ふかきころ


【通釈】あなたも眺めましたか。心をつかい果させる、秋の月を。(私の方は、月にあなたの面影を見て、)あなたへの不満ばかりに心を尽し、袖に涙を深く溜めているこの頃ですが。

【語釈】◇心づくしの秋の月―心魂を尽きさせる秋の月。「このまよりもりくる月の影みれば心づくしの秋はきにけり」(よみ人しらず「古今集」)を踏まえる。◇露のかごと―「露」は涙を暗示。「かごと」は非難・言いがかり・不平。光源氏が軒端荻に贈った歌「ほのかにも軒端の荻を結ばずは露のかごとをなににかけまし」(源氏物語「夕顔」)に由り、「契り合った仲ゆえの非難」の意を帯びる。新古今時代によく歌に用いられた語。

【補記】秋の情趣について言う本歌の「心づくし」を、恋の憂悶に置き換え、さらに源氏物語の恋の駆引を背景に据えて、興趣に富む恨み歌に仕立てている。

【他出】「夫木和歌抄」17110、「明日香井和歌集」1099。

■判詞
左、「雲ゐの雁の涙さへ」などいへる、心すがたよろしく侍るを、右又、「露のかごとも袖ふかきころ」といへる末の句など、をかしく侍れば、持とすべきにや。


【通釈】左は、「雲ゐの雁の涙さへ」などと言ったのが、情趣も姿もよろしくございますが、右もまた、「露のかごとも袖ふかきころ」と言う末句など、興趣がございますので、持とするべきではないでしょうか。

▼感想
源氏物語を背景とする二首の取り合わせ。判詞で源氏についての指摘がないのは、当座の会衆にとっては当たり前すぎる連想であったため、ことさら言うまでもなかったのであろう。


十四番
   左            左大臣
せく袖に涙の色やあまるらんながむるままの萩の上の露
   右           有家朝臣
物思はでただおほかたの露にだにぬるればぬるる秋の袂を

両首の心すがた、ともにいとをかしく見え侍るを、しひて委細に申すべきむね侍りしかば、左、「せく袖に」と侍るや、末に「萩の上の露」と侍るに、しひてかなはずやと申し侍りし。右は「ただおほかたの露にだに」といひて、「ぬるればぬるる秋の袂を」といへる、よろしくや侍らんとて、勝になされしにや侍らん。

●左(良経)
せく袖に涙の色やあまるらんながむるままの萩の上の露


【通釈】袖で涙をおさえ止めようとしても、その色は漏れてしまったのだろうか。物思いに耽って庭を眺めるうち、いつのまにか萩の花の上に置いた露――(それは、紅の色に染まっている)。

【語釈】◇せく袖に―「せく」は「流れをせきとめる」意。涙がこぼれるのを抑えようとした袖に。◇涙の色―血涙の色。◇あまるらん―親長本は「まさるらん」。◇萩の上の露―萩は紅紫色の花をつける。その花の上の露が、紅涙の色だということ。

【本歌】「狭衣物語」巻一
せく袖にもりて涙や染めつらむこずゑ色ます秋の夕暮
【参考歌】よみ人しらず「古今集」
なきわたる雁の涙やおちつらむ物思ふやどの萩のうへのつゆ

【補記】本歌は、飛鳥井の女君失踪後、秋の夕暮の景色を眺めつつ、女君を思慕して狭衣が詠んだ歌。『狭衣物語』の中でも殊にあわれ深い情景描写の見られる場面である。本歌の第二・三句「もりて涙や染めつらむ」が説明調に堕しているのに対し、良経の歌は「涙の色やあまるらん」と情感深く詠み直し、本歌をはるかに凌駕する。しかし、紅涙が染めた対象を紅葉から萩に移したことが、判詞に「しひてかなはずや」と指摘される結果となった。

【他出】「秋篠月清集」1438。

右(有家)
物思はでただおほかたの露にだにぬるればぬるる秋の袂を


【通釈】物思いをしなくても、(秋はもともと露っぽい季節なのだから、)濡れるというなら、ちょっとそこいらの露にだって濡れる秋の袂なのに。(まして恋をしている私の袂ときたら…。涙よ、そんなに濡らさなくてもいいだろう。)

【語釈】◇ただおほかたの露―単に普通の露。全くありふれた露。

【本歌】西行「千載集」
おほかたの露には何のなるならむ袂に置くは涙なりけり

【他出】「若宮撰歌合」三番右持、「水無瀬桜宮十五首歌合」三番右持、「新古今集」1314。ほかに「続歌仙落書」「自讃歌」「新三十六人撰」など。

■判詞
両首の心すがた、ともにいとをかしく見え侍るを、しひて委細に申すべきむね侍りしかば、左、「せく袖に」と侍るや、末に「萩の上の露」と侍るに、しひてかなはずやと申し侍りし。右は「ただおほかたの露にだに」といひて、「ぬるればぬるる秋の袂を」といへる、よろしくや侍らんとて、勝になされしにや侍らん。


【通釈】両首の心・姿、どちらも大変興趣深く見えますが、曲げて詳細に申し上げるよう、ご命令がございましたので…。左は「せく袖に」とありますのが、末句に「萩の上の露」とありますのに、無理があって首尾相応していないのではないかと、申し上げました。右は「ただおほかたの露にだに」と言って、「ぬるればぬるる秋の袂を」と言ったのが、結構ではありませんかというわけで、勝になされたということでございましょうか。

▼感想
俊成は勝負をつけ難いと判断したようであるが、衆議判では右が勝になり、その経過を詳しく説明せよと、後鳥羽院の命があったのであろう。判詞は衆議判の申し状の紹介という形になっていると思われる。左の歌で、初句「せく袖に」が末句「萩の上の露」に適っていないというのは、溢れるほどの涙を暗示する初句に対し、「萩の上の露」では首尾がととのわない、ということであろう。対して右歌の引用句は詞のつづき具合がより趣深いとして、右の勝となったのである。


十五番
   左            宮内卿
物思ふたもとはいはず鹿のねはただおほかたのね覚なりけり
   右           家隆朝臣
思ひ入る身は深草の秋の露たのめし末やこがらしの風

左歌、心すがたやさしくは見え侍るを、右歌、「みは深草の秋の露」といひ、「たのめし末やこがらしのかぜ」といへる心、なほよろしく侍らんとて、勝になり侍りしなり。

●左(宮内卿)
物思ふたもとはいはず鹿のねはただおほかたのね覚なりけり


【通釈】物思いのせいで濡れた袂のことは言わない。鹿の鳴き声に目覚め、私も泣き声をあげたのは、ありふれた秋の悲しい寝覚にすぎないのだ。

【語釈】◇物思ふたもと―恋のことで悩み、涙に濡れた袂。◇たもとはいはず―親長本は「袂はいはし」。◇鹿のね―鹿の鳴き声。「ね」には作者自身が上げた泣き声を暗示する。◇ただおほかたの―単に一般的な。

【参考歌】二条院讃岐「新古今集」
おほかたに秋のねざめの露けくは又たが袖に有明の月

【補記】鹿は秋に妻を慕って物悲しい声で鳴く、とされた。その声に目を覚まされ、恋情を催した作者は、寝覚の床で物思いに耽って涙を流した、と言うのである。しかし、この涙を物思いのせいにはしない。いつだって秋の夜長の寝覚は侘しいものなのだから…そう言って自らを納得させようとしている(「言はず」は、誰かに見とがめられた時、理由として口に出さない、という意にも取れる)。

右(家隆)
思ひ入る身は深草の秋の露たのめし末やこがらしの風


【通釈】恋に深く心を沈めた我が身は、深草に宿る秋の露のようなものだ。期待させたあの人は、私に飽きたのだろう、とうとう来てくれず、果ては露が木枯しの風に吹き散らされるように、私はあの人の酷い態度のために、はかなくこの世から消えてしまうのだろうか。

【語釈】◇思ひ入る―心の底まで思いを入れる。「入る」には「草叢のなかに分け入る」というイメージが掛かる。◇深草―丈高く繁った草の意に、地名の深草を掛ける。深草は平安京の南方、古今集・伊勢物語以来の歌枕。初句とのつながりから「思ひ入る」ことの深い意を兼ねる。◇秋の露―秋に「飽き」、露に涙と果敢ない命を暗示する。◇たのめし―「たのめ」は下二段活用の他動詞で、「期待させる」「あてにさせる」意。◇末―葉の縁語。◇こがらし―晩秋から冬にかけて吹く風。「来ず」「からし(ひどい・つらい)」を響かせる。

【参考】「伊勢物語」百二十三段
昔、男ありけり。深草にすみける女を、やうやう飽きがたにや思ひけむ、かかる歌をよみける。
  年をへてすみこし里をいでていなばいとど深草野とやなりなむ
女、返し、
  野とならば鶉となりてなきをらむかりにだにやは君はこざらむ
とよめりけるにめでて、ゆかむと思ふ心なくなりにけり。

【補記】「伊勢物語」を背景に据え、「飽きがた」になった男を待つ女の、絶望的な恋情を詠んでいる。上句・下句ともに体言止め。イメージの連鎖の仕方もみごと。新風の恋歌として、技法的にはほぼ完成の域に達した作であろう。

【他出】「若宮撰歌合」四番左勝、「水無瀬桜宮十五首歌合」四番左勝、「新古今集」1337、「家隆卿自歌合」145、「壬二集」2799。ほかに「自讃歌」など。

■判詞
左歌、心すがたやさしくは見え侍るを、右歌、「みは深草の秋の露」といひ、「たのめし末やこがらしのかぜ」といへる心、なほよろしく侍らんとて、勝になり侍りしなり。


【通釈】左の歌は、情趣も姿も優美には思えますが、右の歌の「みは深草の秋の露」と言い、「たのめし末やこがらしのかぜ」と言った情趣は、さらに結構でしょうということで、勝になったのです。

▼感想
これも衆議判に従った、という言いぶりである。宮内卿の歌も良かったが、相手が悪すぎ、三連敗になってしまった。ちょっと可哀想。



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最終更新日:平成14年3月12日