水無瀬恋十五首歌合 ―河辺の恋―


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〔河辺恋〕同題の先例はない。『六百番歌合』には「寄河恋」があり、「水無瀬川」「飛鳥川」など名所歌枕に寄せて詠んだ歌が多い。その傾向は当歌合も共有しており、歌枕を詠んでいないのは後鳥羽院と家隆の二人のみである。


六十一番 河辺恋
   左             左大臣
泊瀬川ゐでこす波の岩の上におのれくだけて人ぞ強面き
   右              定家朝臣
なとり川わたればつらし朽ち果つる袖のためしのせぜの埋れ木

左の歌、「はつせ川ゐでこす波の」など、万葉集を引きて、またえんにもみえ侍るを、右の歌、「なとり川せぜの埋れ木」、事旧りて侍るべし。左歌勝ツ可ク侍らん。

左(良経)
泊瀬川ゐでこす波の岩の上におのれくだけて人ぞ強面(つれな)き


【通釈】泊瀬川の堰を越えて寄せる波が、岩の上に自ら当たって砕ける――私も自分だけが砕けるような思いをして、あの人はといえば岩のようにつれない。

【語釈】◇泊瀬川―大和国の歌枕。三輪山の近くを流れる川。◇ゐで―堰。川の水を堰き止めたところ。◇つれなき―冷淡だ。平然としている。

【本歌】作者不明「万葉集」
泊瀬川流るる水脈(みを)の瀬を早み井提(ゐで)越す浪の音の清(さや)けく
  源重之「詞花集」
風をいたみ岩うつ波のおのれのみくだけて物を思ふころかな

【補記】詞は万葉集の本歌からより多く取っているが、心は詞花集の重之歌から借りている。二つの本歌を一首のうちにスムーズにつなげて見せた技巧が感嘆させる。末句は冷淡な恋人の顔が髣髴とするようで面白いが、重之の歌では暗示にとどまる「恋人の(岩のような)つれなさ」まで詠み出してしまったのはどうか。心深さでは到底本歌にまさっているとは思えない。しかし、奔流のようなスピード感を湛える良経の歌のあとで重之の歌を詠むと、のんびりと平和な歌に聞こえてしまうことも確かだ。

【他出】「若宮撰歌合」十一番左持、「水無瀬桜宮十五番歌合」十一番左持、「秋篠月清集」1447、「玉葉集」1286。

●右(定家)
なとり川わたればつらし朽ち果つる袖のためしのせぜの埋(むも)れ木


【通釈】「名取川を渡れば、恋が露われる」というが、逢いに行けば、つれないあの人の態度が辛い。「瀬々の埋れ木」は、涙でぼろぼろになった袖の先例だったのだ。

【語釈】◇なとり川―陸奥国の歌枕。同名の川は今もあり、宮城・山形県境の山地に発して名取市で太平洋に注ぐ。「名を取る」(恋の評判を立てられる)意を掛けて詠まれるのが普通。◇ためし―前例・先例。◇埋れ木―水中や土中に永く埋もれていて、変わり果ててしまった木。下記本歌では、隠れていた恋心の暗喩として用いる。

【本歌】読人不知「古今集」
名取川瀬々の埋れ木あらはればいかにせむとか逢ひ見そめけむ
【先行歌】寂蓮「六百番歌合」「新古今集」
ありとても逢はぬためしの名取川朽ちだにはてね瀬々の埋れ木

【補記】古今集本歌による、手の込んだ変奏曲。本歌では秘めていた恋心を暗示する「瀬々の埋れ木」を、思いを秘めたまま朽ち果ててゆく我が身の象徴にすり替えている。

【他出】「拾遺愚草」2548。

■判詞
左の歌、「はつせ川ゐでこす波の」など、万葉集を引きて、またえんにもみえ侍るを、右の歌、「なとり川せぜの埋れ木」、事旧(ふ)りて侍るべし。左歌勝ツ可ク侍らん。


【通釈】左の歌は「はつせ川ゐでこす波の」など、万葉集を引用して、しかも艶にも感じられますのに対し、右の歌の「なとり川せぜの埋れ木」、言い古されておりましょう。左歌が勝つべきでしょう。

【語釈】◇事旧りて―さかんに本歌取りされて、ありふれた言い回しになってしまったことを言う。

▼感想
いずれも熟練の技を見せる佳詠の対戦。「良き持」でもおかしくないと思える。
名取川と埋れ木の取り合わせが当時いくらありふれたものであったとしても、判詞の「事旧りて侍るべし」が定家の敗因の指摘として正当であるとは思えない。



六十二番
   左             親定
我が袂さて山河の瀬になびく玉もかりそめにかわくまぞなき
   右              俊成卿女
ながれての契りをよそに水無瀬川かげはなれ行く水のしら波

左、「さて山河のせになびく」とおきて、「玉もかりそめに」など侍る文字つづき、まことにみ所おほくこそみえ侍れ。右の「みなせ川」、ことなるとがなく侍れど、左尤もかちに侍るべし。

左(後鳥羽院)
我が袂さて山河の瀬になびく玉もかりそめにかわくまぞなき


【通釈】私の袂ときたら……。山川の瀬に靡く藻のように秘かにあの人を恋して苦しみ……涙はそのまま絶えることなく流れる。藻を刈り、ではないが、かりそめにも乾く暇がないのだ。

【語釈】◇さて山河の―「さてやまず」が掛かり、「そのまま(涙が)絶えることなく」の意が響く。◇玉も―美しい藻。下記本歌より、身を隠して泣き濡れるイメージを暗示する。また「玉藻刈り」と続けて「かりそめ」を導く。◇かりそめに―ほんの一時も。

【本歌】紀友則「古今集」
河のせになびくたまものみがくれて人にしられぬこひもするかな

【校異】親長本は初句「わがために」。また末句「かわくまもなし」。

【補記】「我が袂、かわくまぞなき」が歌意上の主文をなすが、その間に美しい玉藻を揺曳させ、「さてやまむ」のためらいを添えるなど、これでもかと華麗な技巧を展開している。「かりそめに」までの詞続きの美事さに対し、末句が弱くないか。あと一歩で秀逸になり損ねた。

【他出】「後鳥羽院御集」1607。

●右(俊成卿女)
ながれての契りをよそに水無瀬川かげはなれ行く水のしら波


【通釈】「月日が流れてのちには…」との約束を置き去りにして、あの人の面影は私から遠ざかってゆく。水無瀬川の白波とともに…。

【語釈】◇よそに水無瀬川―「よそに見」(自分に無縁なものと思う)を掛ける。水無瀬川は、摂津国三島郡水無瀬の地を流れ、淀川に合流する川。後鳥羽院の水無瀬離宮もこの川のそばにあった。

【本歌】斎宮女御「拾遺集」
かつ見つつ影はなれゆく水のおもにかく数ならぬ身をいかにせん

【補記】天皇の寵愛が遠ざかることを歎いた斎宮女御作の本歌を想起させつつ、ながれ、かげ、波など、川の縁語をつらねて流麗に悲恋を描いた。

■判詞
左、「さて山河のせになびく」とおきて、「玉もかりそめに」など侍る文字つづき、まことにみ所おほくこそみえ侍れ。右の「みなせ川」、ことなるとがなく侍れど、左尤もかちに侍るべし。


【通釈】左は「さて山河のせになびく」と置いて、「玉もかりそめに」などとある文字続き、まことに見どころが多くみえます。右の「みなせ川」、これといった咎はありませんけれど、左が当然勝ちでしょう。

▼感想
六十一番に続き、これも好一番。いずれも題に相応しく流暢な調べで悲恋を歌い上げている。



六十三番
   左             宮内卿
飛鳥川契りしことはむかしにてかはるなのみやせに残るらん
   右              雅経
篠のくまひのくま河にぬるる袖ほさでや人の面かげもみん

右「ささのくまひのくま川」、ふるき心よろしくはみえ侍るを、左「あすか川」、「かはるなのみやせに残るらん」といへる、心殊によろしく侍れば、尤も勝たるべし。

左(宮内卿)
飛鳥川契りしことはむかしにてかはるなのみやせに残るらん


【通釈】「飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる」というが、「明日は」と約束したのはもう昔のことで、悪しく変わってしまった浮名ばかりが瀬に残っているのだろうか。

【語釈】◇飛鳥川―大和国の歌枕。「明日」の意を響かせて用いることが多く、また下記古今集の歌から、無常を表象する地名となる。◇かはるな―変はる名。以前とは変わってしまった聞こえ。「心変わりしたという(あの人の)評判」を意味すると共に、それによって「捨てられてしまったという(私の)評判」をも意味しよう。

【本歌】読人しらず「古今集」
世の中はなにかつねなるあすか川きのふの淵ぞけふは瀬になる

【校異】親長本、第二句は「契はおなじ」。

【補記】恋の末路を川の瀬に虚しく眺めているかのようだ。歌枕の用い方も上手いが、技巧を目立たせない慎ましい詠みぶり。

●右(雅経)
篠(ささ)のくまひのくま河にぬるる袖ほさでや人の面かげもみん


【通釈】ひのくま川で濡れた袖――「影をだに見む」というが、干さないでおけば、あの人の面影も見えようか。

【語釈】◇篠のくま―ひのくま河の枕詞。万葉集に「左檜隈(さひのくま)檜隈(ひのくま)河に」とあるのに由る。◇ひのくま河―檜隈川。大和国の歌枕。高取川の古称。下記本歌によれば、神事などの行なわれた川か。

【本歌】「古今集」神あそびの歌
ささのくまひのくま河に駒とめてしばし水かへ影をだに見む

【補記】神楽歌に詠まれた、古い由緒のある川の名を用いたことで、恋人の面影が見たいという気持が神への祈りのような雰囲気を帯びている。古朴な風体を狙って、それなりに成功した歌。

【他出】「明日香井和歌集」1109。

■判詞
右、「ささのくまひのくま川」、ふるき心よろしくはみえ侍るを、左「あすか川」、「かはるなのみやせに残るらん」といへる、心殊によろしく侍れば、尤も勝たるべし。


【通釈】右の「ささのくまひのくま川」は、古風な趣が結構に見えますが、左の「あすか川」は、「かはるなのみやせに残るらん」と詠んだのが、情趣が格別結構ですので、当然勝でしょう。

▼感想
万葉集以来の歌枕を用い、調べもそれに相応しく古風な二首の合わせとなった。



六十四番
   左             権中納言
しらざりつみはすゑまつる御秡河神さへうけぬ思ひせんとは
   右              家隆朝臣
千鳥なく河べのちはら風さえてあはでぞかへる有明のそら

左、「みはすゑまつるみそぎ川」などいへる、故ありてこそみえ侍れ。右、「有明の空」は、つねのことながらよろしく侍るを、「河べのちはら」など、いうにしもあらざるにや侍らん。左、「神さへうけぬ」などいへる、勝にや侍らん。

左(公継)
しらざりつみはすゑまつる御秡河(みそぎがは)神さへうけぬ思ひせんとは


【通釈】知らなかった、我が身の末は…。神酒を据えて御秡川に祈ったけれども、その神さえ応じてくれない思いをしようとは。

【語釈】◇みはすゑまつる―神酒(みわ)据え奉る。「身は末」を掛ける。◇御秡河―禊ぎをする川。

【参考歌】小一条院「金葉集」
しらざりつ袖のみぬれてあやめぐさかかるこひぢにおひん物とは

【補記】初句に「しらざりつ」と置いて「…とは」と結ぶのも平安後期にはやった一つの型であるが、公継には珍しく掛詞を用いた二・三句の繋げ方には工夫がある。

【他出】「夫木和歌抄」3833。

●右(家隆)
千鳥なく河べのちはら風さえてあはでぞかへる有明のそら


【通釈】千鳥が鳴く川辺の萱原を風は寒々と吹き、恋人に逢わずに帰るのだ、有明の空の下。

【語釈】◇ちはら―茅原。カヤの茂る原。

【補記】明け方まで家の前で待った挙句、恋人に逢えずに寒々とした河原を帰ってゆく男。千鳥は冬の風物で、妻を慕って鳴くとされた。

【他出】「壬二集」2809。

■判詞
左、「みはすゑまつるみそぎ川」などいへる、故ありてこそみえ侍れ。右、「有明の空」は、つねのことながらよろしく侍るを、「河べのちはら」など、いうにしもあらざるにや侍らん。左、「神さへうけぬ」などいへる、勝にや侍らん。


【通釈】左、「みはすゑまつるみそぎ川」など詠んだのは、由緒あると見えます。右、「有明の空」は、常套句ながらも結構ですが、「河べのちはら」など、必ずしも優美ではないのではないでしょうか。左の「神さへうけぬ」など詠んだのが良く、勝ではないでしょうか。

▼感想
これも素直な歌いぶりの二首の合せ、いずれも無難にまとまっている。



六十五番
   左             前大僧正
ともすればなき名立たの河波にげにぬれ衣をしぼりつるかな
   右              有家朝臣
音羽川せき入るる水の瀬をあさみたえ行く人の心をぞみる

右、本歌の心上下の句いくほどもかはらず侍るにや。左「立田川」はめづらしきさまにみえ侍れば、勝としるし侍りしなり。

左(慈円)
ともすればなき名立(たつ)たの河波にげにぬれ衣をしぼりつるかな


【通釈】ややもすれば、ありもしない恋の評判が立ってしまうという、立田の川波に、まさに「濡衣」を絞ったことだよ。

【語釈】◇なき名立たの―「たつ」は「(名が)立つ」「立田」の掛詞。◇立た―立田川(竜田川)。奈良県の生駒山地東側を南流し、大和川に合流する川で、万葉集以来の歌枕。紅葉の名所。◇ぬれ衣―身に覚えのない科(とが)を言うのは、今と変わらない。

【本歌】御春有助「古今集」
あやなくてまだきなきなのたつた河わたらでやまむ物ならなくに

【先行歌】藤原忠良「正治二年百首」
これやこのなきなたつたの里ならむなみのぬれぎぬきたる卯の花

【補記】「ともすれば」と言い「げにぬれ衣を」と言い、俗っぽく品がない。「拾玉集」では改作されているようで、ずっとましになっている。

【他出】「拾玉集」4958。(「なき名のみたつたの川による浪のまたぬれ衣をかさねつるかな」と改作されている。)

●右(有家)
音羽川せき入るる水の瀬をあさみたえ行く人の心をぞみる


【通釈】音羽川を堰き止め引き入れて落とす水――その瀬が浅いので、足が遠のいてゆく人の心をそこに見ることだ。

【語釈】◇音羽川―比叡山に発し、雲母(きらら)坂あたりを流れ、高野川に注ぐ川。

【本歌】伊勢「拾遺集」
おとは河せきいれておとすたきつせに人の心の見えもするかな

【補記】伊勢の本歌は、招かれた家の主人の風流な心を褒め称える歌であるが、その「人の心」を恋人の離れゆく心に置き換えて詠んだ。詞はほとんどそのままに、意味をすり換えて詠んだのはコストパフォーマンスにすぐれるが、俊成の判詞のように「上下の句いくほどもかはらず」と言われても仕方あるまい。

■判詞
右、本歌の心上下の句いくほどもかはらず侍るにや。左「立田川」はめづらしきさまにみえ侍れば、勝としるし侍りしなり。


【通釈】右の歌は、本歌の心と、上下の句がどれ程も変わっていないのでは。左の「立田川」は珍しいさまにみえますので、勝と記したのです。

▼感想
本歌・参考歌に見えるように、慈円の「たつた川」「ぬれ衣」には先蹤がある。「めづらしき」と褒めるのは、「しぼりつるかな」と続けたことについて言うか。右歌と比較すれば、まだしも、ということであろう。これと言って取り柄のない二首の合せのように思える。



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最終更新日:平成13年2月10日