『拾遺愚草全釈』参考資料集 金葉和歌集・詞花和歌集

金葉集 詞花集

金葉和歌集

特に断りがない場合、二度本に拠る。

巻一・春 巻二・夏 巻三・秋 巻四・冬 巻五・賀 巻七・恋上 巻八・恋下 巻九・雑上 巻十・雑下

巻第一 春部

●金葉集・春・一四 正月八日、春立ちける日、鶯のなきけるを聞きてよめる 藤原顕輔朝臣

今日やさは雪うちとけて鶯の都に出づる初音なるらむ

【通釈】今日は立春だからそれでなのか、雪は解け、鶯も心うちとけて、山から都に出て来て初音を響かせるのだろう。

【参考】「雪の内に春は来にけり鶯のこほれる涙今やとくらむ」(古今集四、二条后)

【関連歌】上0203

 

●金葉集・春・二〇 道雅卿の家の歌合に梅花をよめる 藤原兼房朝臣

散りかかるかげは見ゆれど梅の花水は香こそうつらざりけれ

【通釈】梅の花が風に散り、池の上に舞いかかる――その影は水面に映って見えるが、香りまでが水に移ることはないのだ。

【付記】藤原道雅が西八条の山庄で催した歌合「左京大夫八条山庄障子和歌合」に出詠した歌。道雅の左京大夫在任は寛徳二年(一〇四五)十月から天喜二年(一〇五四)七月の死去の時までで、歌合の開催もその間と推測される。掲出歌は、《水の流れる庭に咲く紅梅を人々が見に来た》という景を描いた障子絵を題とする歌。一番左、勝負判無し。

【関連歌】上0108

 

●金葉集・春・二三 柳糸随風といふことをよませ給ひける 院御製

風ふけば柳の糸のかたよりになびくにつけてすぐる春かな

【通釈】風が吹くと、糸のような柳の若枝が一斉に片方を向いて靡く。それにつけて、春は過ぎてゆくことよ。

【語釈】◇かたより 片寄り。「より」に「縒り」の意が掛かり糸の縁語。

【付記】作者は白河院。「かたより」は片寄り。「より」に「縒り」の意が掛かり糸の縁語。

【関連歌】中2004

 

●金葉集・春・五〇 宇治前太政大臣家歌合によめる 源俊頼朝臣

山桜咲きそめしより久かたの雲ゐに見ゆる滝の白糸

【通釈】山桜が咲き始めてからというもの、空に眺められる滝の白糸よ。

【語釈】◇久かたの 雲の枕詞。◇雲ゐに見ゆる滝のしら糸 空に眺められる瀑布。山の斜面を覆い尽くす山桜を、空から流れ落ちる滝に見立てている。

【付記】「高陽院七番歌合」等とも呼ばれ、寛治八年(一〇九四)八月十九日、前関白藤原師実が自邸高陽院において主催した晴儀歌合出詠歌、七番右持。山の斜面を覆い尽くす山桜を、空から流れ落ちる滝に見立てる。判者を勤めた父経信は「きららかによまれたる」と賛辞を呈している。定家はこの歌を『百人秀歌』に取ったが、百人一首では「憂かりける人を初瀬の…」に選び替えている。

【関連歌】上0601、上1313、員外3183

 

●金葉集・春・六二 水上落花をよめる 大納言経信

みなかみに花や散るらむ山川の堰杙(ゐくひ)にいとどかかる白波

【通釈】川上で花が散っているのだろうか。谷川の井堰の杭に、ますます盛んな勢いでかかる白波よ。

【語釈】◇堰杙 井堰に打ち並べた杭。◇白波 散り流れる桜の花びらを白波に見立てた。

【付記】散り流れる桜の花びらを白波に見立てる。

【関連歌】上0018

 

●金葉集・春・六八 春ものへまかりけるに、山田つくりけるを見てよめる 高階経成朝臣

桜さく山田をつくる(しづ)()はかへすがへすや花を見るらん

【通釈】桜の咲いている山で田作りをしている農夫は、土を掘り返しては、返す返す花を見るのだろうか。

【付記】春、出掛けたついでに山田の田起こしを見て詠んだという歌。「かへすがへす」の掛詞に興趣の中心がある。

【関連歌】上0918

 

●金葉集・春・一〇八 春夜月をよめる 中務

花ちらばおきつつも見むつねよりもさやかにてらせ春の夜の月金葉集初度本

【通釈】花が散ってしまうのであれば、ずっと起きながら見ていようから、いつもより冴えた光で照らしてくれ、春の夜の月よ。

【付記】金葉集初度本に中務の歌として載せるが、『能宣集』に載り、続後拾遺集・万代和歌集なども能宣の作とする。

【関連歌】下2779

 

巻第二 夏部

●金葉集・夏・九七 応徳元年四月三条内裏にて庭樹結葉といへることをよませ給ひけるに 大納言経信

玉がしは庭も葉びろになりにけりこや木綿しでて神まつるころ

【通釈】柏の木が庭にも葉を広げるようになった。これはまあ、榊に木綿を垂らして神を祭る頃というわけか。

【語釈】◇玉がしは 柏の木の美称。◇葉びろ 葉が広く育った状態。繁栄を讃める心が籠る。◇木綿 (こうぞ)の樹皮をはぎ、その繊維を裂いて糸状にした物。◇しでて 榊などに垂らす。

【関連歌】上1252

 

●金葉集・夏・九八 鳥羽殿にて人々歌つかうまつりけるに卯花の心をよめる 春宮大夫公実

雪の色をうばひて咲ける卯の花に小野の里人ふゆごもりすな

【通釈】雪の色を奪って咲く卯の花のために、小野の里人は冬籠りをするなよ。

【本歌】「雪の色をうばひて咲ける梅の花いま盛りなり見む人もがも」(万葉集八五〇、書持)

【付記】卯の花を雪になぞらえ、小野の里人に雪と間違えて冬ごもるなと呼び掛けた。

【関連歌】員外3003

 

●金葉集・夏・一〇〇 卯花をよめる 江侍従

雪としもまがひもはてず卯の花は暮るれば月のかげかとも見ゆ

【通釈】雪とばかり見間違えてしまうのではない。卯の花は、日が暮れれば月の光かとも見える。

【付記】「後撰集歌の見立てを昼夜に分けた点が新たな工夫」(岩波新古典大系注)。

【関連歌】上0422

 

●金葉集・夏・一〇四 鳥羽殿歌合に郭公をよめる 修理大夫顕季

深山(みやま)いでてまだ里なれぬほととぎす旅の空なる()をやなくらむ

【通釈】深山を出て、まだ里に馴れていないほととぎすは、旅の空にある落ち着かない声で鳴いているよ。

【付記】永久四年(一一一六)四月四日、白河院鳥羽殿北面歌合。第四句「うはのそらなる」とする本もある。

【関連歌】上0926、上1118、員外3051

 

●金葉集・夏・一一三 郭公をよめる 権僧正永縁

聞くたびにめづらしければ時鳥いつも初音の心ちこそすれ

【通釈】聞くたびに新鮮で心惹かれるので、ほととぎすの声はいつも初音の気がするのだ。

【付記】永縁の代表作として知られた歌。『袋草紙』によれば、この歌は実は高階政業(まさなり)が四要講で献じた作であったが、法会の講師であった永縁が自作に譲るよう懇願し、衆議の結果永縁の作とすることが許されたという。この歌によって作者は「初音僧正」と称された。

【関連歌】員外3004

 

●金葉集・夏・一三五 五月雨をよめる 参議師頼

五月雨に沼の岩垣みづこえて真菰かるべきかたもしられず

【通釈】五月雨によって沼の岩垣を水が越えて溢れ、真菰を刈り取るべき場所も知れない。

【語釈】◇沼の岩垣 沼の周囲を垣のように取り巻く岩々。

【付記】堀河百首。「沼の岩垣」とは沼の周囲を垣のように取り巻く岩々。五月雨によって水嵩が岩垣を越え、どこで真菰を刈ればよいかも分からない。

【関連歌】上0028

 

●金葉集・夏・一三七 承暦二年内裏歌合によめる 源道時朝臣

五月雨に玉江の水やまさるらん蘆の下葉の隠れゆくかな

【通釈】降り続く五月雨によって、玉江の水嵩が増したのだろうか。蘆の下葉が隠れてゆくことよ。

【語釈】◇玉江 摂津国の歌枕。蘆の名所。今の大阪市高槻市あたり。万葉集巻七に「三嶋江之 玉江之薦乎」とあり、河内平野を満たしていた湖の名残である三島江の一部(または別称)であったらしい。

【付記】「玉江」は摂津国の歌枕。蘆の名所。今の大阪市高槻市あたり。

【関連歌】上0461

 

●金葉集・夏・一三九 五月雨の心をよめる 左兵衛督実能

五月雨は小田の水口(みなくち)手もかけで水の心にまかせてぞ見る

【通釈】五月雨の頃は、小田の水口(取水口)は人手もかけずに、水の流れるままに任せて見ているのだ。

【語釈】◇水の心 水が流れるさまを、意思あるものと見ての謂。◇まかせて 田に水を引き入れる意も兼ねる。

【付記】「水の心」とは、水が流れるさまを、意思あるものと見ての謂。「まかせて」には田に水を引き入れる意も兼ねる。

【関連歌】中1790

 

●金葉集・夏・一四五 水風晩涼といへることをよめる 源俊頼朝臣

風ふけば(はす)の浮き葉に玉こえて涼しくなりぬ日ぐらしの声

【通釈】風が吹くと、蓮の浮き葉の上を露の玉が過ぎてゆき、涼しくなった。あたかも蜩の声もして。

【語釈】◇蓮の浮き葉 蓮は夏、水の上に茎を高く伸ばすが、水面に浮いている葉もある。それを「浮き葉」と言った。◇玉こえて 露の玉が蓮の葉の上をころがり、葉のふちを越えて池に落ちる景。

【付記】夕立が降った後の景。「玉こえて」とは、露の玉が蓮の葉の上をころがり、葉のふちを越えて池に落ちる景。

【関連歌】上0333、員外2938

 

巻第三 秋部

●金葉集・秋・一六五 七夕の後朝の心をよめる 皇后宮権大夫師時

たなばたのあかぬ別れの涙にや花のかづらも露けかるらん

【通釈】織女の惜別の涙のせいで、花の髪飾りも露っぽいのだろうか。

【付記】堀河百首、題「七夕」。

【関連歌】上0437、下2133

 

●金葉集・秋・一六九 同じ心をよめる 源縁法師

咲きにけりくちなし色のをみなへし言はねどしるし秋のけしきは

【通釈】梔子(くちなし)色の女郎花の花が咲いたのだった。口では言わないけれども、秋になった(しるし)ははっきりしている。

【付記】女郎花の花が梔子色をしていることから、「口無し」に掛けて「言はねどしるき」と洒落た。詞書の「同じ心」は、一つ前の歌の詞書の「草花告秋」を指す。

【関連歌】員外2945

 

●金葉集・秋・一七三 師賢朝臣の梅津の山里に人々まかりて、田家秋風といへる事をよめる 大納言経信

夕されば門田(かどた)の稲葉おとづれて蘆のまろ屋に秋風ぞふく

【通釈】夕方になると、吹きつのる秋風は、門田の稲葉を音立てて訪れ、蘆で作った仮小屋の中まで吹き入って来る。

【語釈】◇おとづれて 「音をたてる」「訪れる」両方の意味がある。◇蘆のまろ屋 田のほとりに建てた、蘆葺きの仮小屋。「まろ屋」とは、形が丸みを帯びている小屋とも、蘆を「まる」のまま用いた小屋とも言う。

【付記】大納言源師賢(一〇三五~一〇八一)の梅津(京都市右京区。桂川の北)の山荘に親しい仲間が集い、歌会を開いた時、「田家秋風」という題で詠んだ歌。定家は小倉百首を始め、『定家十体』(麗様)、『近代秀歌』、『詠歌大概』、『定家八代抄』、『八代集秀逸』などの秀歌撰に採り、非常に高く評価していた。

【関連歌】上0833、中1607

 

●金葉集・秋・一九六 宇治前太政大臣家歌合に月をよめる 一宮紀伊

鏡山みねよりいづる月なればくもるよもなき影をこそ見れ

【通釈】鏡山の峰から出る月なので、鏡のように曇る夜もない光を仰ぎ見る。そのように、一点の曇りもない晴れやかな御代を見ることよ。

【語釈】◇くもるよ 「よ」は夜・世(代)の掛詞。

【付記】藤原師実邸での歌合で詠んだ歌。「くもるよ」の「よ」は夜・世(代)の掛詞。鏡山の峰から昇る月に寄せて、一点の曇りもなく晴れやかな御代を讃える。

【関連歌】下2159

 

●金葉集・秋・二〇五 顕季卿家にて九月十三夜人々月の歌よみけるに 大宰大弐長実

くまもなき鏡と見ゆる月かげに心うつらぬ人はあらじな

【通釈】曇りなく輝く鏡と見える月の光に、心を移さない人はあるまいよ。

【語釈】◇心うつらぬ 心を惹かれない。「うつる」は月影の縁語。

【付記】藤原長実(1075~1133)が父顕季の家で詠んだという歌。「心うつらぬ」は「心を惹かれない」ほどの意。「うつる」は月影の縁語。

【関連歌】上0038

 

●金葉集・秋・二二二 鹿をよめる 三宮大進

妻こふる鹿ぞなくなる独り寝のとこの山風身にやしむらん

【通釈】妻を恋しがって鹿が啼いている。独り寝の床に、鳥籠の山風が吹いて、寒さが身に沁みるのだろうか。

【付記】「独り寝のとこの山風」は「独り寝の床」「鳥籠(とこ)の山風」と掛けて言う。鳥籠の山は万葉集に「淡海路の鳥籠の山なる不知哉(いさや)川…」とある。滋賀県彦根市の丘陵かという。

【関連歌】中1761

 

●金葉集・秋・二三九 堀河院御時、御前にておのおの題をさぐりて歌つかうまつりけるに、(すすき)をとりてつかまつれる 源俊頼朝臣

鶉鳴く真野の入江の浜風に尾花なみよる秋の夕暮

【通釈】鶉が鳴く真野の入江――そこから吹き寄せる浜風に、穂の出た薄が波のように寄せる、秋の夕暮よ。

【語釈】◇真野の入江 琵琶湖の西、真野川が湖に流れ込んで入江状になっていた。

【付記】堀河天皇の在位した応徳三年(一〇八六)から嘉承二年(一一〇七)までの間に作られた歌。「おのおの題をさぐりて」云々と言うのは、いわゆる「探題」、籖引きなどをして当たった題で歌を詠むこと。多くの秀歌選や歌学書に取り上げられた俊頼代表作の一つで、定家も『定家十体(麗様)』『八代抄』『近代秀歌』などに採っている。

【関連歌】上0717、員外3162

 

●金葉集・秋・二四〇 河霧をよめる 藤原基光

宇治川の河瀬も見えぬ夕霧に槙の島人舟よばふなり

【通釈】宇治川の河瀬も見えずに立ちこめる夕霧の中、槙の島人が舟を呼び続けているのが聞こえる。

【関連歌】下2543

 

●金葉集・秋・二四三 摂政左大臣家にて、紅葉隔墻といへる心をよめる 藤原仲実朝臣

もずのゐる(はじ)の立ち()の薄紅葉たれ我がやどの物と見るらむ

【通釈】百舌が止まっている櫨の木の高く伸びた枝の葉は、薄く紅葉している。誰が自分の家のものとして眺めるのだろうか。

【付記】藤原忠通邸歌会。どこかの屋敷の垣根越しに美しい紅葉を見た、という設定。庭の櫨の紅葉を独占して見れる人を羨ましがっている。百舌も櫨も当時は珍しい題材。

【関連歌】上0749

 

●金葉集・秋・二五五 九月尽の心をよめる 源師俊朝臣

草の葉にはかなく消ゆる露をしも形見におきて秋のゆくらん

【通釈】草の葉にはかなく消える露、これを形見に残し置いて、秋は去ってゆくのだろう。

【付記】はかない露を形見と見たところ、惜秋の心が深い。師俊は金葉集の撰者俊頼の婿。

【関連歌】下2245、員外3519

 

●金葉集・秋・三〇二 摂政左大臣家にてよめる 藤原時昌

神のすむ三笠の山の月なればかりそめにゐる雲だにもなし

【通釈】神の住む三笠山から昇る月なので、かりそめに居座る雲さえもありはしない。

【付記】藤原忠通家で詠んだという歌。藤原氏の氏神が鎮座する三笠山の月に寄せて、主人を讃美する。

【関連歌】中1985

 

巻第四 冬部

●金葉集・冬・二七〇 関路千鳥といへる事をよめる 源兼昌

淡路島かよふ千鳥のなく声に幾夜ねざめぬ須磨の関守

【通釈】淡路島との海峡を通って来る千鳥の鳴く声に、須磨の関守は幾晩眠りを破られたことだろうか。

【付記】冬歌であるが、関を詠んで旅情も釀し、独り寝の辛さを詠んで恋の情趣も纏綿する。また源氏物語須磨の巻を意識した作であることが指摘されている。定家は小倉百首を始め『八代抄』『八代集秀逸』などにこの歌を採り、酷愛の一首であった。

【本説】「例のまどろまれぬ暁の空に、千鳥いとあはれに鳴く。友千鳥もろ声に鳴くあかつきはひとり寝ざめの床もたのもし」(源氏物語・須磨)

【関連歌】上0243、上0462、中2016

 

●金葉集・冬・二七六 深山の(あられ)をよめる 大蔵卿匡房

箸鷹の白斑に色やまがふらんとがへる山に霰ふるらし

【通釈】箸鷹の毛の白い斑点に色を見間違えるだろうか。鳥屋(とや)に籠っている山に、霰が降っているらしい。

【語釈】◇とがへる山 羽の抜け替わる時期、鷹は小屋にこもる。その小屋のある山。

【付記】「とがへる山」とは、羽の抜け替わる時期、鷹が籠る小屋のある山。箸鷹の毛の白い斑点を霰と見紛わせた趣向。

【関連歌】中1555

 

●金葉集・冬・三〇四 歳暮の心をよみ侍りける 中納言国信

何事を待つとはなしに明けくれて今年も今日になりにけるかな

【通釈】これといって何を待つともなく、日を送り送りして、今年も大晦日の今日になってしまったことよ。

【関連歌】中1718

 

巻第五 賀部

●金葉集・冬・三二五 宇治前太政大臣家歌合に祝の心をよめる 大蔵卿匡房

君が代はかぎりもあらじ三笠山みねに朝日のささむかぎりは

【通釈】大君の御代は限りないでしょう。三笠山の峰に朝日が射す限りは。

【付記】藤原師実邸での歌合に出詠した作。「三笠山」は春日社の鎮座する山で、藤原氏を暗示。皇室と藤原氏による平和な支配を言祝いだ。

【関連歌】上0096

 

巻第七 恋部上

●金葉集・恋上・三七二 さはることありて久しくおとづれざりける女のもとより言ひつかはしてはべりける 読人不知

あさましやなどかきたゆる藻塩草さこそは海人のすさびなりとも

【通釈】呆れることよ。どうして手紙を書き絶えてしまうのですか。あなたの気慰めに過ぎなかったのでしょうが、それにしてもひどい。

【付記】藻塩草の縁語で、訪問の途絶えた男を恨んだ歌。

【関連歌】上1392、員外3641

 

●金葉集・恋上・四一六 俊忠卿家にて恋歌十首人々よみけるに、頓来不留といへることをよめる 源俊頼朝臣

思ひ草葉末にむすぶ白露のたまたま来ては手にもたまらず

【通釈】人を思うという名の思い草。その葉末には涙のような白露が結ぶと言うが、私も涙を溜めてあなたを待っていたのだ。それなのに、あなたは白露の「玉」よろしく、「たまたま」来ては、私の手に抱かれることもなく帰ってしまう。まるで、白露が手にもたまることなくこぼれ落ちてしまうように。

【付記】定家は『八代抄』『詠歌大概』『近代秀歌』『八代集秀逸』に採り、非常に高く評価していた。

【関連歌】上0288

 

●金葉集・恋上・四二〇 恋のこころを人にかはりて 皇后宮女別当

たのめおくことの葉だにもなきものを何にかかれる露の命ぞ

【通釈】あの人からは期待させてくれる言葉さえないというのに、何にすがって繋いでいる、はかない私の命なのか。

【付記】葉・かかる・露と縁語をつらね、縋るものもない恋心を切々と詠む。金葉集巻七恋部上巻末。作者は藤原基俊の娘。

【関連歌】上1460

 

巻第八 恋部下

●金葉集・恋下・四三九 恋歌よみけるところにてよめる 源俊頼朝臣

忘れ草しげれる宿を来てみれば思ひのきより生ふるなりけり

【通釈】あなたに忘れられたかと、忘れ草の繁る宿に来てみると、「思い退()き」と言う軒から生えているのだった。

【語釈】◇忘れ草 普通萱草(ノカンゾウ・ヤブカンゾウなど)を指すが、この歌では忍草(ノキシノブ)をこう呼んだか。◇思ひのき 「思ひ退()き」に「軒」を掛ける。「思ひ退く」は心が離れる意。

【付記】恋歌を詠む歌会などに出詠した歌か。

【関連歌】上0390

 

●金葉集・恋下・四六九 返し 一宮紀伊

音に聞く高師の浦のあだ波はかけじや袖の濡れもこそすれ

【通釈】噂に高い高師の浦のあだ波は我が身に掛けますまいよ。袖が濡れてしまいますから。――そのように、浮気な人の言葉など、心に掛けますものか。涙で袖が濡れてしまいましょう。

【語釈】◇高師の浦 大阪府高石市あたりの海。現在は埋め立てが進み、かつての白砂青松の海岸の面影はない。◇あだ波 いたずらに立ち騷ぐ波。「あだ」に相手の浮気っぽさをほのめかしている。◇袖の濡れ… あとで泣く(袖を涙で濡らす)のはいやだ、という意を籠めている。

【付記】康和四年(一一〇二)閏五月、堀河天皇が清涼殿で披講させた『艶書歌合』出詠歌。藤原俊忠の「人知れぬ思ひありその浦風に波のよるこそ言はまほしけれ」への返歌。『八代抄』や百人一首など、第二句を「たかしの浜の」として引く例が多い。定家は他に『近代秀歌』『八代集秀逸』などにも採っている。

【関連歌】上1267

 

●金葉集・恋下・四七八 題不知 読人不知

もらさばや細谷川のむもれ水影だに見えぬ恋にしづむと

【通釈】打ち明けたい。細谷川の埋れ水には水影も映らないように、恋しい人の姿さえ見ることのできない、この秘かな恋に沈んでいると。

【付記】「もらす」「影」「しずむ」と水の縁語を連ねる。

【関連歌】下2587

 

巻第九 雑部上

●金葉集・雑上・五二一 大峰にて思ひもかけず桜の花の咲きたりけるを見てよめる 僧正行尊

もろともにあはれと思へ山ざくら花よりほかにしる人もなし

【通釈】山桜よ、私がおまえを愛しく思うように、おまえも私を愛しく思ってくれ。(知合いもいないこんな深山では、)おまえのような花よりほかに友とすべき相手もないのだ。

【付記】修験道の行場、大峰で思いがけず桜の花が咲いているのを見て詠んだという歌。定家は百人一首のほか、『定家八代抄』『八代集秀逸』にも採っている。

【関連歌】中1621、下2068

 

●金葉集・雑上・五三三 大峰の(しやう)の岩屋にてよめる 僧正行尊

草の庵なに露けしと思ひけむ漏らぬ岩屋も袖はぬれけり

【通釈】何をまた、草の庵だけが露っぽいものだと思っていたのだろう。雨漏りのしない岩屋でも、袖は濡れるのだった。

【付記】「生の岩屋」は笙の岩屋とも。奈良県吉野郡、大峰山脈の絶壁にある岩窟で、名高い修行場であった。

【関連歌】下2322、員外3456

 

●金葉集・雑上・五三七 宇治前太政大臣の時の歌よみを召して月の歌よませ侍りけるに、もれにければ、公実卿のもとに言ひつかはしける 源師光

春日山みねつづき照る月かげに知られぬ谷の松もありけり

【通釈】春日山の連峰を月が照らすように、藤原氏の歌人たちは栄に浴していますが、月光が届かない谷の松のような私の如き歌人もいるのでした。

【付記】太政大臣藤原師実が時の歌人たちを召して月の歌を詠ませた時、撰に漏れた師光が藤原公実(堀河天皇の側近で歌壇に重きを置いた)のもとに贈ったという歌。藤原氏の氏神を祀る春日大社のある春日山に寄せて、藤原氏の陰に隠れてしまった自らの立場を訴えたのである。作者の師光は美濃守頼国の子。生蓮(宮内卿の父)とは別人。

【関連歌】上0386

 

●金葉集・雑上・五五〇 (詞書略) 小式部内侍

おほえ山いく野の道のとほければふみもまだ見ず天の橋立

【通釈】大枝山を越え生野を通り、幾つもの野を過ぎて行く道があまりに遠いので、まだ天の橋立を踏んでもおりませんし、丹後からの母の手紙も見ておりません。

【付記】詞書によれば、小式部内侍が歌合に呼ばれた時、藤原定頼が彼女の局にやって来て、「丹後の国におられる母上(和泉式部)のもとへ人を遣わしましたか。まだ使者は来ませんか。さぞ心細いでしょう」とからかった。それに対して、「母からは手紙さえもらっていません」と答えた歌。「母の力を借りずとも大丈夫です」と言い返したものであろう。定家は小倉百首のほか『八代抄』『八代集秀逸』に採っている。

【関連歌】上0254、中1839

 

●金葉集・雑上・五九一 家を人に放ちて立つとて、柱にかきつけ侍りける 周防内侍

住みわびて我さへ軒の忍草(しのぶぐさ)しのぶかたがたしげき宿かな

【通釈】古家の軒端には忍草が生えるというけれど、この家にはもう住んでいられず、立ち退くことになってしまい、私もまた軒の忍ぶ草。しのぶと言えば、色々懐かしいことの多い家であるよ。

【付記】周防内侍が家を手放した時、柱に書きつけたという歌。この歌に詠まれた周防内侍の旧宅については『今鏡』『無名抄』『今物語』などに記されている。寂超が『今鏡』を執筆していた頃(西暦1170年前後)この家はまだ残っていて、柱に書き付けた歌もそのままになっていたという。

【関連歌】上0390

 

巻第十 雑部下

●金葉集・雑下・六一二 小式部内侍うせてのち、上東門院より、としごろ給はりけるきぬを、亡きあとにもつかはしたりけるに、「小式部内侍」と書きつけられたるを見てよめる 和泉式部

もろともに苔の下にはくちずして埋まれぬ名を見るぞかなしき

【通釈】一緒に苔の下に朽ちることなく、私ばかりが生き残ってしまって、埋もれることのない娘の名を見ることが悲しいのです。

【付記】小式部内侍は生前上東門院(藤原彰子)に仕え、毎年衣を賜わっていたが、死んだ後も例年通り下賜された。その衣に小式部内侍の名が書き付けられていたのを見て詠んだ歌。亡骸は埋れて目に見えなくなっても、死者の名は埋れることなく目に触れ、悲しい追想を誘う。和泉式部の代表歌の一つで、定家は『近代秀歌』『詠歌大概』『八代抄』『八代集秀逸』などに採り、極めて高く評価していた。

【関連歌】上0707、中1583、中1671、下2640

 

●金葉集・雑下・七〇九 竜女成仏をよめる 勝超法師

わたつ海の底のもくづと見し物をいかでか空の月と成るらん

【通釈】海の底の藻屑と見ていた竜女が、どうして空の月となってこの世を照らしているのであろう。

【語釈】◇もくづ 藻屑。海の底に住む竜女を、取るに足らない存在としてこのように言った。

【付記】法華経・提婆達多品(移動)の竜女成仏の教えを詠む。

【関連歌】下2747

 

詞花和歌集

巻一・春 巻二・夏 巻三・秋 巻四・冬 巻五・賀 巻七・恋上 巻八・恋下 巻九・雑上 巻十・雑下

巻第一 春

●詞花集・春・一 堀河院御時百首歌奉り侍りけるに春立つ心をよめる 大蔵経匡房

氷ゐし志賀の唐崎(からさき)うちとけてさざ波よする春風ぞ吹く

【通釈】凍りついていた志賀の唐崎の(みぎわ)はすっかり氷がとけて、さざ波を寄せる春風が吹いている。

【付記】「志賀の唐崎」は今の滋賀県大津市唐崎。琵琶湖の西岸。冬には山おろしの寒風で湖が結氷するが、畿内の東端に当たるゆえ春の訪れの早い土地とされた。

【関連歌】上0803

 

●詞花集・春・二 寛和二年内裏歌合に霞をよめる 藤原惟茂

きのふかも霰ふりしは信楽(しがらき)外山(とやま)の霞春めきにけり

【通釈】昨日だったろうか、あられが降ったのは。それが今日はもう、信楽の端山に霞がかかって、春めいてしまった。

【付記】寛和二年(九八六)六月十日、花山天皇が内裏で催した歌合に出された歌。

【関連歌】下2314

 

●詞花集・春・一二 春駒をよめる 俊恵法師

まこも草つのぐみわたる沢辺にはつながぬ駒もはなれざりけり

【通釈】真菰草が一面に芽ぐむ沢辺からは、繋がれていない馬も離れはしないのだった。

【付記】春の野に放たれた馬を主題に詠む。真菰草の若芽を食うのに夢中で、繋がなくても沢辺から離れないさまに興じる。

【関連歌】中1785、員外3473

 

●詞花集・春・一七 題不知 源頼政

深山木(みやまぎ)のその梢とも見えざりし桜は花にあらはれにけり

【通釈】深山の木々の中にあって、どれがその梢だと見分けることの出来なかった桜は、咲いた花によって、自然と目につくようになった。

【付記】『平家物語』『源平盛衰記』などにも引用され名高い歌。「一年近衛院御在位の御時、当座の御会のありしに、『深山の花』といふ題を出されたりけるに、人々みな詠みわづらはれたりしを、この頼政卿、『深山木のその梢とも見えざりし桜は花にあらはれにけり』といふ名歌仕つて御感にあづかる」云々(『平家物語』巻一「御輿振」)。

【関連歌】上0053

 

●詞花集・春・二二 おなじ歌合によめる 大蔵卿匡房

白雲と見ゆるにしるしみよしのの吉野の山の花ざかりかも

【通釈】山に白雲がかかっているように見えるのではっきり分かる。吉野の山の花盛りなのだ。

【本歌】「みよしのの吉野の山の桜花しら雲とのみ見えまがひつつ」(後撰集、読人不知)
【付記】寛治八年(一〇九四)八月十九日、前関白藤原師実が自邸高陽院で催した晴儀歌合『高陽院七番歌合』に出詠した歌。二番右持。源経信の判詞は「めづらしげなけれど、別の難もなければ」と素っ気ないが、後世の評価は高く、例えば鴨長明の『無名抄』では俊恵がこの歌を評して曰く「是こそはよき哥の本とは覚え侍れ。させる秀句もなく、飾れる詞もなけれど、姿うるはしく清げにいひ下して、たけ高くとほしろきなり」。定家も『八代集秀逸』に採るなど高く買っていたことが知られる。

【関連歌】上0911

 

●詞花集・春・二六 白川に花見にまかりてよめる 源俊頼朝臣

白川の春の梢を見わたせば松こそ花のたえまなりけれ

【通釈】白川の春の梢を見渡すと、松の緑が花の絶え間を埋めているのだった。

【付記】山桜の白が所々松の緑によって途切れている情景。花の白さと松の緑の対比に眼目がある。「白川」は京都東山の山裾から西方、鴨川辺までの地名。比叡山に発する白川の流域。

【関連歌】上0043、上0912

 

●詞花集・春・三九 橘俊綱朝臣の伏見の山庄にて水辺落花といふことをよめる 源師賢朝臣

桜さく()の下水はあさけれど散りしく花のふちとこそなれ

【通釈】桜が咲いている木の下を流れる水は浅いけれども、散り敷く花びらが深く積って、花の淵となっているのだ。

【関連歌】中1738

 

巻第二 夏

●詞花集・夏・七六 題不知 曾禰好忠

そま川の筏のとこの浮まくら夏はすずしきふしどなりけり

【通釈】杣川を浮かび流れる筏の床を枕にして横たわる――夏には涼しい寝床であったよ。

【付記】筏師の身になって詠む。普段は辛い筏の枕も、夏は納涼床になる。『毎月集』では「五月はじめ」に載せる。

【関連歌】上0029、員外3057

 

●詞花集・夏・八〇 題不知 相模

下もみぢ一葉づつ散る()のしたに秋とおぼゆる蟬の声かな

【通釈】色づいた下葉がはらはらと一枚ずつ散る木の下蔭にいると、もう秋なのだなと思える蟬の声よ。

【付記】木の下蔭にいて、いちはやく秋を感じている。「一葉づつ散る」といった細かい心の働かせ方は以前の和歌にはあまり見られなかったもので、この作者の感性の清新さがよく出ている。

【関連歌】中1697、下2227

 

巻第三 秋

●詞花集・秋・八三 津の国に住み侍りけるころ、大江為基任はててのぼり侍りにければ、言ひつかはしける 僧都清胤

君すまばとはましものを津の国の生田の杜の秋の初風

【通釈】あなたが住んでいたら、たずねたかったのに。津の国に行って、そこの生田の森に訪れる秋の初風がどうだったかと。

【付記】作者が摂津国に住んでいた頃、摂津守の任が解けて帰京する大江為基(参議斉光の子)に贈ったという歌。為基の摂津守辞任は永祚元年(九八九)。定家は『定家十体』に「長高様」の例歌として引く。

【関連歌】中1827、下2643、員外3098

 

●詞花集・秋・一〇六 寛和二年内裏歌合によませ給ける 花山院御製

秋の夜の月に心のあくがれて雲ゐにものを思ふころかな

【通釈】秋の夜の月へと心が遊離して、雲の上にあって物思いに耽る今日この頃であるよ。

【付記】自ら主催した内裏歌合での出詠歌。第一番左勝。詞花集の詞書には寛和二年(九八六)とあるが、歌合本文によれば開催は前年の寛和元年八月十日。「月」に仏道を、「雲ゐ」に内裏を暗示。花山天皇の出家はこの歌合の翌年であった。

【関連歌】上0348

 

●詞花集・秋・一〇八 題不知 大江嘉言

荻の葉にそそや秋風吹きぬなりこぼれやしぬる露の白玉

【通釈】荻の葉に、それそれ、秋風が吹く音がする。白玉のような露はこぼれてしまったか。

【付記】「そそや」は「それそれ」と注意を喚起する語であり、また風に騒ぐ荻の葉の擬音語。

【関連歌】中1699、員外3107

 

●詞花集・秋・一〇九 題不知 和泉式部

秋吹くはいかなる色の風なれば身にしむばかりあはれなるらむ

【通釈】秋に吹くのはどんな色をしている風だからといって、身にしみるばかりに哀れ深いのだろうか。

【付記】透明であるはずの風が、秋は身に染みる。「しむ」と「色」は縁語。なお結句を「人の恋しき」とする本もある。

【関連歌】上0439、上1039、中1891、下2429

 

●詞花集・秋・一三三 題不知 曾禰好忠

山里は往き来の道の見えぬまで秋の木の葉にうづもれにけり

【通釈】山里は、人が往き来するための道が見えないほどに、秋の木の葉で埋もれてしまったのだった。

【付記】『好忠集』の中心をなす「毎月集」三百六十首の「九月中」にある歌。但し第二句「かはとのみちも」。

【関連歌】上0359

 

巻第四 冬

●詞花集・冬・一四九 東山に百寺拝み侍りけるに、時雨のしければよめる 左京大夫道雅

もろともに山めぐりする時雨かなふるにかひなき身とはしらずや

【通釈】山をめぐるように時雨が降っている。俺と一緒に寺めぐりをしようというのか、時雨よ。降る峡がない――生きていても甲斐のないこの身だと知らないのか。

【付記】「山めぐり」は時雨が山をめぐるように降ることと、東山の寺を巡礼することを掛けて言う。「ふる」は「経る」「降る」の掛詞。「かひなき」は「値打ちのない」意。「かひ」には「峡」の意が掛かり山の縁語。

【関連歌】上0957

 

●詞花集・冬・一五二 鷹狩をよめる 藤原長能

霰ふる交野(かたの)御野(みの)の狩ころも濡れぬ宿かす人しなければ

【通釈】霰が降る交野の御領地で、狩する人の狩衣は濡れてしまったよ。雨宿りする所を貸してくれる人がいないので。

【付記】「濡れぬ」は上からの続きとしては「(狩衣が)濡れてしまった」意になるが、下の句へは、「濡れない(宿をかす人が…)」の意で続く。すなわち「ぬ」を完了・打消の両義にはたらかせたのである。珍しい技法として評判を呼んだようで、定家も『定家十体』に「面白様」の例歌として引き、『八代抄』『八代集秀逸』にも採る。

【関連歌】上0247

 

巻第五 賀

●詞花集・賀・一六一 一条院、上東門院に行幸せさせ給けるによめる 入道前太政大臣

君が代にあぶくま川の底きよみ千年(ちとせ)をへつつすまむとぞ思ふ

【通釈】我が君の御代にめぐり逢って、阿武隈川の底が清らかで千年経っても澄んでいるように、私もこの御代にいつまでも住みたいと思うのです。

【付記】一条天皇が上東門院彰子のもとに行幸した時に、彰子の父である道長が詠んだ歌。詞花集巻五賀部巻頭。金葉集三奏本などにも見える。

【関連歌】上0995

 

巻第七 恋上

●詞花集・恋上・一八八 題不知 藤原実方朝臣

いかでかは思ひありとも知らすべき(むろ)八島(やしま)のけぶりならでは

【通釈】どうやって恋の火が燃えているとあなたに知らせることが出来ましょう。常に燻ぶり続けているという室の八島の煙でなくては。

【付記】「思ひ」の「ひ」に「火」の意を掛ける。「室の八島」は下野国の歌枕。この地の清水から発する蒸気に、秘めた恋心を喩えた。定家は『八代抄』『八代集秀逸』に採る。

【関連歌】上0372、上1152

 

●詞花集・恋上・二一一 冷泉院春宮と申しける時、百首歌奉りけるによめる 源重之

風をいたみ岩うつ波のおのれのみくだけて物を思ふ頃かな

【通釈】風がひどいので岩に打ち当たる波のように、自分ばかりが千々に心を砕いて思い悩むこの頃であるよ。

【付記】「岩うつ波の」までが「おのれのみくだけて」を言い起こす序。心を動かさない恋人を「岩」に、それでも恋人に思いを寄せる我が身を「波」になぞらえる。定家は小倉百首のみならず『八代抄』『八代集秀逸』にも採っている。

【関連歌】上0899、中1665、員外2827、員外3548、員外3645

 

●詞花集・恋上・二二五 題不知 大中臣能宣朝臣

みかきもり衛士のたく火の夜はもえ昼はきえつつ物をこそ思へ

【通釈】皇居の門を護る衛士の焚く篝火、その炎が夜は燃え盛り、昼は消え尽きているように、私もまた、夜は恋心を燃やし、昼は消え入るばかりに過ごしているのだ。

【付記】「たく火の」までは序詞。定家は小倉百首のみならず『八代抄』『八代集秀逸』にも採っている。

【関連歌】上1152、員外3194、員外3389

 

●詞花集・恋上・二二九 題不知 新院御製

瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ

【通釈】風がひどいので岩に打ち当たる波のように、自分ばかりが千々に心を砕いて思い悩むこの頃であるよ。

【付記】「岩うつ波の」までが「おのれのみくだけて」を言い起こす序。心を動かさない恋人を「岩」に、それでも恋人に思いを寄せる我が身を「波」になぞらえる。『久安百首』では「ゆきなやみ岩にせかるる谷川のわれても末にあはむとぞ思ふ」とある。本歌は日本書紀に武烈天皇の作とする「大太刀を垂れ佩き立ちて抜かずとも末は足しても遇はむとぞ思ふ」。定家は小倉百首のほか『定家十体』の「有一節様」の例歌に引き、『八代抄』『詠歌大概』『八代集秀逸』に採って、非常に高く評価していた。

【関連歌】員外3084

 

巻第八 恋下

●詞花集・恋下・二三六 左京大夫顕輔が家に歌合し侍りけるによめる 藤原顕広朝臣

心をばとどめてこそは帰りつれあやしやなにの暮を待つらん

【通釈】心は恋しい人のもとに留めて帰って来たというのに。いぶかしいことよ、どうして夕暮を待ち侘びるのだろう。

【付記】作者は俊成。『長秋詠藻』によれば題は「後朝恋」。

【関連歌】上0072

 

●詞花集・恋下・二五六 通ひける女の、こと人に物言ふと聞きて言ひ遣はしける 清原元輔

憂きながらさすがにもののかなしきは今はかぎりと思ふなりけり

【通釈】そんな風に思うのは厭だけれども、それでもやはり物悲しく感じてしまうのは、これであなたとの仲が終りだと思うからなのでした。

【付記】通っていた女が別の男と契りを交わしたと聞いて言い遣ったという歌。

【関連歌】中1945

 

●詞花集・恋下・二五七 ひさしく音せぬ男につかはしける 俊子内親王大進

とはぬまをうらむらさきに咲く藤のなにとてまつにかかりそめけむ

【通釈】訪れない間はずっと恨み続けることになるのに、どうして待たせるばかりのあなたに関わり始めてしまったのだろう。

【語釈】◇うらむらさき 淡い紫。「恨む」意を掛ける。◇まつにかかりそめけむ 松に絡まるようになったのだろう。「まつ」には「待つ」が掛かり、「待つだけの人に関わり始めたのだろう」といった意をしのばせる。

【付記】松に絡みつく藤の花に寄せて、待たせてばかりいる男への恨みを詠んだ。

【関連歌】上0518

 

●詞花集・恋下・二六七 中納言通俊たえ侍りにければ、いひつかはしける 読人不知

さりとては誰にか言はん今はただ人を忘るる心をしへよ

【通釈】あなたに忘れられたとなっては、他の誰に尋ねればよいでしょう。今はただ、どうすれば人を忘れることができるのか、その心を私に教えて下さい。

【付記】藤原通俊の訪問が絶えたので、言い送ったという女の歌。通俊の返歌は「まだしらぬことをばいかがをしふべき人を忘るる身にしあらねば」。

【関連歌】上0075

 

巻第九 雑上

●詞花集・雑上・三〇〇 題不知 花山院御製

こころみにほかの月をも見てしがな我が宿からのあはれなるかと

【通釈】ためしに、よそでの月を見てみたいよ。月がこれほどあわれ深く美しいのは、眺める場所のせいかなのかどうかと。

【語釈】◇我が宿からの 今自分がいる場所ゆえの。金葉集の詞書によれば「我が宿」は内裏の清涼殿を指す。

【付記】詞花集では月に関する雑歌として載せる。内裏で見る月の素晴らしさをしみじみと思い遣った歌であろう。金葉集(三奏本)にも載り、詞書を「清涼殿にて月を御覧じてよませ給へる」とする。

【関連歌】上0545、上1008

 

●詞花集・雑上・三一六 たのめたる夜、見えざりける男の、後にまうで来たりけるに、出でて逢はざりければ、言ひわびて、「つらきことを知らせつる」など言はせたりければよめる 清少納言

よしさらばつらさは我にならひけり頼めて来ぬは誰か教へし

【通釈】わかりました、それなら、人の心の薄情さは私から学んだというわけです。でも、期待させて来ないという非道い仕打ちは、誰があなたに教えたのでしょうか。

【付記】逢うことを拒否された事について「つらきことを知らせつる」と非難して来た男に対し、貴男が私に対してした「頼めて来ぬ」ことの方が余程「つらきこと」であると言い返したのである。詞花集では巻九雑上に収めるが、『定家八代抄』は恋の部に入れている。定家は『八代集秀逸』にも採り、高く評価していた。

【関連歌】上1077

 

●詞花集・雑上・三三七 長恨歌のこころをよめる 源道済

思ひかね別れし野辺を来てみれば浅茅が原に秋風ぞ吹く【通釈】恋しさに耐えきれず、あの時死に別れた野辺に来て、その場所を見ると、浅茅が生い茂った野原に秋風が吹いているばかり。

【付記】白楽天の長編叙事詩「長恨歌」を題に詠んだ歌。楊貴妃が殺された場所に戻り、立ち去りかねたという玄宗皇帝の思いを詠む。王朝人に愛された悲劇的な物語を和歌に移して淀みなく、きわめて高い評価を得た。

【関連歌】上0196

 

●詞花集・雑上・三七四 下臈(げらふ)に越えられて堀川関白のもとに侍りける人のもとへ、大殿(おとど)にも見せよとおぼしくてつかはしける 大中臣能宣朝臣

年をへて星をいただく黒髪の人よりしもになりにけるかな

【通釈】長年、朝から晩まで精勤した私の黒髪が、人よりも霜(白髪)が多くなってしまい、下の地位になってしまうとは。

【付記】自分より下位だった人に官位を追い越された不満を、関白藤原兼通に仕える人に宛てて訴えた歌。「しも」には霜(白髪の暗喩)・下(低い地位)の意を掛ける。

【関連歌】中1593

 

●詞花集・雑上・三八一 左京大夫顕輔、近江守(あふみのかみ)に侍りける時、とほき(こほり)にまかりけるに、便りにつけて言ひつかはしける 関白前太政大臣

思ひかねそなたの空をながむればただ山の端にかかる白雲

【通釈】(あなたに逢いたいという)思いが抑えきれずに、そちらの方の空を眺めると、ただ山の稜線に白雲がかかっているのが見えただけだ。

【付記】藤原顕輔が近江守であった時、遠い郡へ赴任することになり、藤原忠通が便りに付けて贈ったという歌。顕輔は近江守に天承元年(一一三一)から保延元年(一一三五)まで在任。また永治元年(一一四一)から天養二年(一一四五)までは同国権守。

【関連歌】員外3481

 

●詞花集・雑上・三八二 新院位におはしましし時、海上遠望といふことをよませ給ひけるによめる 関白前太政大臣

わたのはら漕ぎ出でてみれば久かたの雲ゐにまがふ沖つ白波

【通釈】海原に漕ぎ出して遠望すると、沖合には、雲と見紛うばかりに白波が立っている。

【語釈】◇久かたの 雲にかかる枕詞。◇雲ゐ 雲のあるところ、空。単に雲の意味にも転用された。この歌では空・雲両説が古来対立。

【付記】作者は藤原忠通。保延元年(一一三五)四月二十九日、崇徳天皇の内裏歌合での作。第四句を「雲居にまよふ」として載せる本もある。定家は百人一首のほか『八代抄』や『八代集秀逸』にも採っている。

【関連歌】中1678

 

巻第十 雑下

●詞花集・雑下・三八五 円融院御時、堀河院に再び行幸せさせ給ひけるによめる 曾禰好忠

水上をさだめてければ君が代にふたたびすめる堀河の水

【通釈】水源を定めておいたので、我が君の代に、再び堀河の水は澄んだ。(先例を定めておいたので、今上の御代に再び堀河院に行幸された。)

【付記】貞元元年(九七六)、内裏が焼亡したため、円融天皇(在位九六九~九八四)は堀河院(旧基経邸)を里内裏とした。

【関連歌】下2393

 


公開日:2013年01月30日

最終更新日:2013年01月30日