志貴皇子の子。兄弟に光仁天皇・春日王・海上女王らがいる。壱志濃王の父。
叙位・任官の記事は史書に見えない。万葉集に十九首の短歌を載せるが、歌の排列からすると、いずれも天平初年〜八年頃の作と見られる。天平前期の代表的な歌人の一人。
湯原王の
【通釈】彦星の別れを惜しんでおられる心よりも、二星を見まもる私の方がつらい。夜が次第に更けてゆくと。
【補記】天界の恋人たちを思いやる地上の人。夜が更けると、牽牛織女の別れの時が近づくので「苦し」と言った。
【他出】「拾遺集」題しらず 湯原王
ひこぼしの思ひますらん事よりも見る我苦し夜のふけゆけば
【通釈】織姫が彦星と袖を連ねて寝る夜の明け方ばかりは、天の川の川瀬の鶴は夜明けを告げて鳴かなくてもよい。
【補記】一首目で牽牛を、二首目で織女を詠む。
湯原王の鳴く鹿の歌一首
秋萩の散りの
【通釈】秋萩の散り乱れる中、妻を呼び立てて鳴く鹿の声が遥かに聞こえることよ。
【主な派生歌】
夏山の木末(こぬれ)の繁に霍公鳥鳴きとよむなる声の遥けさ(*大伴家持[万葉])
千年ふとわが聞くなへに蘆たづの鳴きわたるなる声の遥けさ(紀貫之[新千載])
あはぢ島吹きこす秋の浪風にたぐふ牡鹿の声のはるけさ(藤原家隆)
湯原王の
【通釈】月の出ている夕暮、心がしおれてしまいそうな程にあわれ深く、白露の置いているこの庭に秋の虫が鳴くことだ。
【補記】「こほろぎ」は秋鳴く虫の総称で、松虫や鈴虫なども含んだらしい。
【他出】「玉葉集」題しらず 湯原王
夕づく夜心もしのにしら露の置くこの庭にきりぎりす鳴く
湯原王の吉野にて作る歌一首
吉野なる
【通釈】吉野の菜摘の川の淀んだあたりで鴨が鳴いている。山陰のあたりで、ここから姿は見えないのだけれども。
【補記】「夏実の川」は吉野宮滝東方、菜摘の地を流れる吉野川。
【他出】古今和歌六帖、五代集歌枕、和歌初学抄、新古今集、歌枕名寄、夫木和歌抄
【主な派生歌】
なつみ川かはおとたえて氷る夜に山かげさむく鴨ぞ鳴くなる(伏見院[新後撰])
春もなほなつみのかはのあさ氷まだ消えやらず山かげにして(西音[玉葉])
わきて猶こほりやすらん大井河さむる嵐の山陰にして(基嗣[風雅])
なつみ川こほりかねたる早きせをうきねの床と鴨ぞ鳴くなる(宗良親王)
なつみ川山陰にして見し雪ののこるがさくか岸の卯花(正徹)
すむ鴨ぞ猶たちさらぬなつみ川山陰にしてなくほたるかな(木下長嘯子)
湯原王の宴の席の歌二首
【通釈】とんぼの羽のように透き通った美しい袖を振って舞うあの子を、私は心の奥底からいとしく思っているのです、よく御覧になって下さい、我が君よ。
【補記】湯原王主催の宴で、舞姫を称え、賓客への挨拶とした歌であろう。
青山の嶺の白雲朝に
【通釈】青い山の峰にかかる白雲のように、毎朝毎日いつ見ても見飽きることがありません、我が君は。
【補記】これも宴に招待した賓客に捧げた歌。
湯原王の月の歌二首
【通釈】天におられる月読壮士よ、お供えをしよう。今宵の長さは、夜を五百夜つなげた程にしてほしい。いつまでも月を賞美していたいから。
【補記】月見の宴などで披露した歌か。次の一首と共に女の立場で詠んで宴席に艶を添える。「月読壮士」は月の神、月読命。
【通釈】ああ、程近い里にいるあなたが来るというしるしのように、遍く月が照っている。
【補記】「おほのびに」の原文は「大能備尓」で、語義未詳。「あまねく」の意とする説にしばらく従う。
湯原王の打酒の歌一首
【通釈】焼き鍛えた大刀の角を打ち合わせ、ますらおの祝うこの美酒に、私はすっかり酔ってしまった。
【補記】題詞の「打酒(だしゅ/ちょうしゅ)」は酒を酌んで飲むこと。漢土の俗語的用法と言う。「打ち放ち」は未詳。大刀の鎬を互いに打ち合わせることか。呪(まじない)の儀式であったか。
湯原王の娘子に贈る歌 (四首)
目には見て手には取らえぬ月の内の
【通釈】目には見えても手に取ることの出来ない、月に生えている桂の木のようなあなたを、どうしたらよいのだろう。
【補記】「楓」の用字は原文のまま。新撰字鏡に楓をカツラと訓む。月に桂が生えているとは、唐渡来の伝説。彼の地では桂花(金木犀の類)を指したらしいが、日本では落葉高木の桂とも混同された。なお、湯原王と娘子の贈答歌は万葉集巻四の0631番歌〜0642番歌を参照。
【他出】古今和歌六帖、和歌童蒙抄、伊勢物語、新勅撰集
草枕旅には妻は
【通釈】旅にまで妻は連れて来ていますが、櫛笥に収めた玉のように大切にあなたのことを思っているのです。
【補記】「娘子」の「家にして見れど飽かぬを草枕旅にも夫(つま)のあるが羨(とも)しさ」に応じた歌。
【通釈】ああ愛しくてたまらない。あなたは近くの里にいるのに、それを私は雲のかなたのように遥かに恋い慕っているのだろうか。逢ってから一月も経っていないのに。
【語釈】◇居らむ 動詞「をる」の未然形に助動詞「む」が付いたものであるが、ここでは「居るらむ」の意で用いる。現在推量の助動詞「らむ」はそもそも「あら-む」から来ている語らしく、「をり」はもともと「ゐあり」から転じた語であるから、「あら-む」で「ある-らむ」の意を代用するのと同じく、「をら-む」で「をる-らむ」の意を代用し得るものと考えられる。
【補記】「娘子」の報贈歌は「絶ゆと言はば侘しみせむと焼大刀(やきたち)の諂(へつか)ふことは辛(から)しや吾君(わぎみ)」。
玉にぬき
【通釈】数珠として緒に通して、消えないまま頂きましょう。秋萩の枝先の破れた葉に置いた白露を。
【補記】「わわら葉に」は不詳。取りあえず「末のわわけたる葉をいふ」とする萬葉集古義の説に拠った。
湯原王の歌一首
【通釈】あなたに恋して心が乱れたら、糸車に掛けて縒り合わせればよい――そう思って恋し始めたのです。
【補記】「くるべき」は糸を繰る道具。
湯原王の歌一首
【通釈】月の光をたよりにいらっしゃい。山を隔てて遠いというわけではないのだから。
【語釈】◇山き隔(へな)りて 旧訓は「山を隔てて」。原文「山乎隔而」とする本が多いが、元暦校本・類聚古集・紀州本などの古写本は「山寸隔而」とある。
【補記】女の立場で詠んだ歌。作者不詳の「和する歌」は、「月読の光はきよく照らせれど惑(まと)へる心思ひあへなくに」。
【他出】古今和歌六帖、綺語抄、袖中抄
【主な派生歌】
月よみの光を待ちてかへりませ山路は栗のいがの多きに(*良寛)
更新日:平成15年11月09日
最終更新日:平成19年09月08日