宇治稚郎子 うじのわきいらつこ

菟道稚郎子とも書く。応神天皇の末子。母は和珥臣の祖、日触使主(ひふれのおみ)の娘、宮主宅媛(みやぬしやかひめ)(古事記では宮主矢河比売)。応神十六年、百済より来朝した王仁に典籍を学ぶ。父応神に寵愛され、同四十年、天の日継と定められる。翌年父帝が崩御すると、大雀命と王位を譲り合ったが、先に亡くなったので、大雀命が即位することとなった(仁徳天皇)。書紀には、宇治稚郎子が自ら命を絶って大雀命の即位を実現させたとある。『山城国風土記』逸文によれば、桐原日桁宮(宇治市の宇治上神社の地とされる)を造営したという。また『播磨国風土記』には宇治天皇と見える。
兄の大山守命の屍体を見た時に詠んだという歌が古事記・日本書紀に伝わる。以下には古事記から引用した。

宇治神社
宇治神社 京都府宇治市。平等院の対岸、宇治川にかかる朝霧橋を渡ったところにある。宇治稚郎子を祀る。

ちはやひと 宇治うぢわたりに 渡り瀬に 立てる 梓弓あづさゆみ まゆみ いらむと 心はへど い取らむと 心はへど 本方もとべは 君を思ひ 末方すゑべは いもを思ひ いらなけく そこに思ひ かなしけく ここに思ひ い伐らずぞ来る 梓弓檀

【通釈】宇治川の渡りに、川を渡る浅瀬に、立っている、梓の木と檀の木。その木を伐ろうと、心には思うけれど、取ろうと、心には思うけれど、一方には君を思い出し、他方には妻を思い出し、痛々しく、あれにつけては思い出し、可哀想にと、これにつけては思い出し、伐らずに来てしまった、梓弓・檀の木を。

【語釈】◇ちはや人 「宇治」の枕詞◇い伐らむと 梓も檀も弓に用いた樹であるので、通常なら弓を作るために伐るのであるが、古事記の文脈に即せば、木を伐ることは兄大山守命を殺すことの隠喩となる。◇君を思ひ出 この「君」は古事記の物語に沿って考えれば、父応神天皇をさすか。◇妹を思ひ出 同じくこの「妹」は大山守命の妻をさすと考えられる。

【補記】古事記中巻。大雀命は父応神天皇の命に従い、末弟の宇治稚郎子に天下を譲ろうとしたが、大山守命は弟の即位を認めず、宇治稚郎子を殺そうと謀った。宇治稚郎子は大雀命から兄の計画を聞き知り、逆に計略を以て大山守命を宇治川に葬った。船とともに沈んだ大山守命の屍を引き上げた時に宇治稚郎子が詠んだのが、上の歌であるという。同内容の歌が日本書紀の巻第十一にも見える。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成21年03月10日